第60話 舞台『ラベスティアの森の怪人』~第二幕~
「この道をまっすぐ進むと街の中心に出る」
マントのフードを目深にかぶったエルネストは、フランカを馬車に乗せて街の近くまでやって来た。
フランカはいったん馬車を降りたものの、もう一度話をしたいと思い、エルネストのいる御者席へ近づいていく。
「どうか話をさせてください! 私は街へは行きたくありません! あのお屋敷でーー」
「それは無理だよ。君には素晴らしい未来がある。自由に好きなところへ行って、恋をして、その人と結婚するんだ。さあ、これを受け取って。当座の生活費だよ」
エルネストはそう言うと、フランカの方へ財布を差し出した。
「妖精さん……」
「僕はこの通り、ただの人間の男だよ」
エルネストはまっすぐ前を向いて手綱を握り直す。
「あなたのお名前を教えてください」
「……エルネスト」
名乗ると同時に、エルネストは手綱を波打たせ、馬に合図を送った。
「エルネスト……! 待って、待ってください!」
フランカがそのまま放心したように馬車が走り去った方向を見ていると、一人の男が転がるようにしてやって来た。
「ばばば、化け物が出たあーーー!」
「化け物……? どうかしたんですか?」
「顔が醜く焼けただれた化け物が出た! 街を襲ってくるかもしれねえ! 早く化け物退治しねえと!」
エルネストの姿を見かけて勘違いしているのだと悟ったフランカは、街の方へ走っていく男の後姿を見ながら決意した。
「こうしてはいられないわ! エルネストに危険を知らせないと!」
フランカはそう言うと、今来た道を戻り始める。
「ああ、こんなことになったのは私のせいだわ! あの方が優しい人だということを私は知っていたのに」
フランカは後悔する気持ちを歌に乗せた。
「幼い頃から、あなたはいつも私に歌を教えてくれた。寂しいときは傍にいて励ましてくれた。それに……、思い出したことがあるの。どうかもう一度、あなたと話をさせて」
もう一度エルネストに会いたい、その気持ちを胸にフランカは歩き続けた。
「坊ちゃま……。本当によかったんですか?」
引きちぎられた眼帯の紐を繕い終わったばあやは、それをエルネストに手渡した。
「仕方がないことだよ」
「坊ちゃまが傷ついたお気持ちはよく分かります。それでも……、あの子は坊ちゃまと話をしたがっていた。きちんと聞いてあげてもよかったと思いますよ」
諭すように言うばあやの話を聞いているうちに、エルネストも自分が早計だったのではないかと思い始めてくる。
「だけど……、何もかも、もう遅いんだ」
ーーガシャガシャッ、ガシャン!
突然、門扉を激しく叩く音が聞こえてきた。
「こんな時間に、誰が?」
すでに辺りは日が落ちて、すっかり暗くなっている。
「まさか……、フランカが戻ってきた……?」
エルネストは急いで眼帯を付けると、一縷の希望を胸に門へと急いだ。
外へ出ると、案の定フランカが鉄柵の向こうに立っている。
「フランカ……!」
「エルネスト! ここにいては危険だわ!」
「えっ、どういう事なんだい?」
自分の屋敷にいるのが危険だと言われてもピンとこないエルネストは、不思議そうに聞き返す。
「あなたを見かけた街の人が! あなたを退治すると言っているのよ!」
「なんだって!?」
エルネストは仰天した。
「一緒に逃げましょう!」
「……僕のことは放っておいて、君は逃げるといい」
フランカは急を知らせるためだけに戻ってきたのだと知り、エルネストは再び肩を落とした。
「そんなこと出来ないわ! 大事なあなたが殺されてしまうかもしれないというのに!」
「えっ……」
「私、思い出したことがあるの。幼い日、狼に襲われそうになっていたところを助けてくれた男の子。あれは、あなただったのよね? あなたは私を助け、いままで育ててくれたんだわ。それなのに私は……、恩知らずな私をどうか許して」
フランカの目に涙があふれた。
「フランカ……」
「どうか言い訳させてちょうだい。あなたを見て確かに驚いたけれど、あの時は急だったんですもの。でも、そんなことは慣れの問題で、些細なことでしょう?」
「さ、些細なこと……? 僕のこの顔は、君にとっては些細なことなの?」
信じられない思いで、エルネストは聞き返す。
「そうよ。あなたが素晴らしい人だということは、誰よりも私が知っている。どうかこれからも、あなたの傍に居させてちょうだい」
「フランカ!」
「エルネスト!」
エルネストは門を開いてフランカを招き入れた。
気持ちを確かめ合った2人は、互いに相手に捧げる愛の歌を歌い、幸せの絶頂の中に身を委ねるのだった。
「いたぞ! あいつだ!」
幸せなひと時をぶち壊す声が割って入る。
「化け物だ!」
「殺せ!」
「退治しろ!」
大勢の人々が屋敷の門へ詰めかけ、鉄柵を掴んでゆすぶり始めた。
「まあっ、なんということなの! このお方をどなただと思っているのです! この方はーー」
外の騒ぎに気付いてやってきたばあやが言いかけた時、門の向こうから馬が近づいてくる音が聞こえてきた。
「どうどう! ーーエルネスト様にお取次ぎ願いたい!」
「エルネストは私です」
エルネストが名乗りをあげると、サッと馬を下りた人物はその場で恭しく頭を下げた。
「エルネスト・グランディーゾ様、お迎えに上がりました」
「迎えに?」
「お気の毒ではございますが、お父上が急逝されました。次期グランディーゾ公爵となられるのはあなた様でございます。葬儀もございますので、至急本宅へお戻りくださいませ」
自分を捨てた父に対する思いはとうに吹っ切れてはいたものの、やはり亡くなったと聞けば少なからず衝撃を受ける。
「お、おい……、あちらのお方はご領主様だそうだぞ……」
「誰だよ、化け物だなんて言いやがったヤツは」
「早いとこ逃げようぜ……」
街の人々はコソコソと囁きあったかと思うと、くるりと後ろを向いて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「グランディーゾ公爵様……。あなたが……」
フランカは呆然とエルネストを見つめた。
「フランカ、僕と一緒に来てくれるかい?」
「でも……、私なんて、あなたに相応しくないわ」
「何を言うんだ。僕には君以外考えられないよ。ーーフランカ、どうか僕と結婚してください」
「エルネスト!」
返事の代わりとばかりに、フランカはエルネストの胸に飛び込んだ。
「ゴホン。無粋ではありますが……、結婚式は喪が明けてからにしていただけますようお願いいたします」
「ハハハ! 分かったよ」
『エルネスト、おめでとう!』
『エルネスト、よかったね!』
『おめでとう!』
妖精たちが口々に2人を祝った。
ばあやも目に浮かんだ嬉し涙をそっとぬぐっている。
そして誰からともなく祝福の歌が始まった。
それはいつしか大きな歌声となり、幸せな2人は妖精たちが振り撒いた光の中でキラキラと煌めくのだった。
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フィナーレの歌の余韻を噛みしめた後、パラパラと拍手が鳴り始め、あっという間に割れんばかりの大拍手になった。
一幕の終わりではどうなることかと思ったけど、ハッピーエンドになってよかった!
前もってあらすじを聞いてなかったらハラハラしたよ。
一般的に歌劇は、悲劇的な終わり方のほうが何故か人気が出やすい傾向にあるんだけど、悲しい歌の方が人の情感に訴えるものがあるからなのかな。
「よかったな」
「はい、2人が幸せになれて本当によかったです!」
「……フン。現実にはありえない話だけどな。まあ、面白かった」
ガブリエル……。
友人の晴れ舞台だというのに、こんな時でさえ素直に褒められないの!?
「はー、ヤダヤダ! なんで素直によかったって言えないんですかね」
「実際問題、公爵家の後継ぎが捨て子と結婚できる訳ないだろう」
うっ、それはそうかもしれないけど!
「舞台の中のことなんですから、余計なことは考えずに広い心で物語を楽しんでくださいよ」
「楽しんだぞ。パヴァロとマリアはやはり歌がうまい」
「おいおい、カーテンコールが始まるぞ。ケンカしてないで拍手をしろよ」
おっと、ガブリエルのせいでつい手がとまっちゃったじゃないの。
さて、まずは妖精の衣装を着たアンサンブルの皆さんが登場して……、おお、子役のフランカもいるね!
劇団員の誰かの子どもなのかな?
「子ども時代のエルネストがいないな」
クリス様に言われて、目を凝らしてよく見てみると確かにいない。
ソロを歌ってたのに、カーテンコールに出てこないってことある?
「本当ですね。あの子、ものすごく歌が上手かったですよね。どうして出てこないのかしら?」
首を傾げている間に、主役の2人が登場した。
まずはマリアが前に出て、優雅に腰を落として客席に一礼する。
惜しみない拍手がマリアに向けられた後、マリアがパヴァロ君に向かって手を差し伸べた。
そして、マリアと場所を入れ替わったパヴァロ君は、感無量といった表情で胸に手を当て大きく一礼する。
わあーっという歓声と共に、盛大な拍手がパヴァロ君へと送られた。
「……大成功だな」
「はいっ……。大成功です。グスッ」
舞台上で抱き合うパヴァロ君とマリアを見ながら、クリス様が伸ばしてきた手を握り返し、私たちは微笑みあった。