第35話 助かった命、助からなかった命
外に出てみると、一番損傷の激しかった真ん中の馬車の近くに人が大勢集まっていた。
前も後ろもぐしゃりと潰れてしまった馬車は、すでに全ての扉が取り外されている。
ずいぶん見通しがよくなってるけど、一体この馬車のどこに人が取り残される余地があるの……?
「マルティーノおじさま、見つかりましたか?」
「いや……。微かに声が聞こえるが、姿が見えないんだよ」
「この馬車は、8人乗りの馬車かしら? ーー誰かいたら返事をしてちょうだい!」
4人掛けの座席が、向かい合わせで2列並んでいる。
私は馬車の中を覗き込みながら、どこかにいるらしい子どもに声をかけた。
「そ、その馬車には、乗客が10人いました。3列目に親子が乗っていたはず……」
声が聞こえた方を振り向くと、額から血を流した若い男の人がそう教えてくれた。
どうやら彼もこの馬車の乗客だったらしい。
「3列目なんてないわよ?」
「押し潰されてしまったんです。2列目の座席を外せませんか?」
そういわれて改めて馬車の中を覗き込んでみると、2列目の後ろに10センチほどの隙間がある。
こ、こんなスペースに人が挟まってる……?
怖いんですけど……。
「どれ、俺がやってみよう。チェリーナ、ちょっとどいててくれ」
「はい」
マルティーノおじさまは馬車の中に上半身を突っ込むと、座席に手を掛けて思い切り引っ張った。
バリバリとすごい音を立てながらも、割とあっさり座席が床から外れる。
「座席の下にいたぞ! 母親と、女の子だ!」
「ひ……、うう……、ひ……」
マルティーノおじさまの腕に抱えられて現れたのは、金色の髪をした2、3歳ぐらいの小さな女の子だった。
胸を圧迫されていたのか、苦しそうな呼吸を繰り返している。
「チェリーナ、この子をミッチーナのところへ連れて行ってくれ!」
「はいっ!」
私が子どもを受け取ろうと両手を伸ばすと、誰かが私の肩に手をかけた。
「俺が連れて行くよ」
「クリス様……! お願いします」
私は急いでクリス様に場所を譲った。
母親の方は大丈夫だろうか……。
中を覗き込もうとすると、マルティーノおじさまは私の視界を遮るように体をずらしてそれを制止した。
「見るんじゃない……。母親の方はもう……」
そんな……!
全員助けられたと一安心したところで、ついに犠牲者が出てしまったなんて……。
「さあ、チェリーナ。急いでこの子の治療をしてやろう」
「はい……」
私はクリス様の後ろをトボトボと付いて歩いた。
あの子はまだ、母親の記憶が残るかどうかも分からない位の幼さだというのに……。
母親を亡くしてしまった子どもの今後を思うと、私の心は鉛のように重くなっていくのだった。
『……完治しました』
完治のアナウンスが聞こえると、私はカプセルの蓋を開けて眠っている女の子の顔を覗き込んだ。
顔を縁取る金色の巻き毛が愛らしい、整った顔立ちの子どもだ。
「助かってよかった……」
「失礼いたします、お嬢様。外の患者もすべて治療を終えました」
1人の医者が進捗状況を報告しに来てくれた。
みんなの治療が終わったなら、もう私たちにできることはないだろう。
「ありがとう。それじゃ、私たちはそろそろ帰るわね」
「お礼を言うのはこちらの方です。本当にありがとうございました」
いえいえ、困った時はお互い様ですよ。
さてと、帰る前にマルティーノおじさまに一声かけないとな。
私たちはマルティーノおじさまを探して宿の外へ出た。
「どういうつもりか説明しろ!」
あれ……?
あそこでめっちゃ怒ってるのってマルティーノおじさまじゃない?
「あんなに怒って、どうしたんでしょうね?」
「ただ事ではなさそうね」
普段は陽気なマルティーノおじさまの怒りっぷりに、お母様も驚いた顔をしている。
「怒って当然だろ。医者が5人もいて、誰一人侯爵家に来なかったんだからな。家族も使用人も、どんな気持ちで医者の到着を待っていたことか……。許せなくて当たり前だ」
そうだった!
そうだよ、なんで5人も医者がいたのに誰も来なかったの?
いくら大きな事故があったっていっても、1人くらいは侯爵家へ行けた筈だ。
「ジョアン侯爵様の使いの者など誰も来ておりません。もし来ていたら、何を置いても駆け付けておりますとも」
悪びれもせずそう言い返したのは、例の頑固じじいだった。
「来てないわけがない! マリクが呼びに来た筈だ!」
「いいえ、どなたも来ておりません。なあ、お前たち? 誰も来なかっただろう?」
頑固じじいはそう言って、自分の後ろに並んでいる医者たちの方を振り向いた。
くうー、小憎らしいあの顔……!
”お前ら、本当のことは言うなよ? 分かってるんだろうな?”って書いてあるのが見えるようですけど!?
「は……」
「う……」
「……」
医者たちは良心が咎めるのか、まともな返事も出来ず、うつむいて弱々しい声を漏らすばかりだった。
「失礼ながら、侯爵家の使用人がわざと知らせなかったのでは? そんな使用人を侯爵家に置いておくなど……。責任を追及すべきでしょうな」
こ、こいつー!
マリクってちょっとどんな人だったか覚えてないけど、絶対こいつが悪い奴!
なんなら全財産賭けてもいい!
「マリクが知らせにこなかったなんて嘘よ!」
人ごみの中から、1人の女の人が飛び出してきた。
「ダリア! 家に戻っていろと言っただろう!」
「お父様がマリクに濡れ衣を着せようとしているのを、黙って見ているわけにはいきません!」
濡れ衣!
ほらやっぱり、頑固じじいの方が悪い奴で当たりだった!
「どういうことなんだ?」
マルティーノおじさまが尋ねると、ダリアと呼ばれた女の人は懸命に説明を始めた。
「父は、マリクをこの領から追い出そうとしてこんなことをしているのです! ジョアン侯爵領医師会の長という権力をかさに着て、他のお医者様方にも自分の言うことを聞くよう強要しているに違いありません!」
「何を馬鹿なことを! マリクという者など来なかったと言っているだろう! みんながそう証言しているではないか」
え、誰も証言はしてなかったけど。
むしろ、あからさまに強要されてますって雰囲気を出しまくってました。
「あの医者が嘘をついてるな」
「ええ、僕もそう思います」
「そうね、不審な点が多すぎるわ」
そうですよね!
「私も絶対に嘘だと思います! 第一、あの顔は嘘をついている顔です!」
「なんだと!? 言いがかりは止めてもらおう! ーーまたお前か……ッ!」
おっと。
私の声がちょっとだけ大きかったようで、本人に聞こえてしまったみたいだ。
頑固じじいは鬼のような形相で振り返り、私を睨みつけている。
「おい。俺の可愛い姪にそんな口の利き方は許さん!」
「め、姪御さんでしたか……。それはそれは」
それはそれはじゃなくて、さっきからの失礼な態度を謝ってほしいよね!
「お前の言うことは信用ならんな。侯爵家でゆっくり話を聞かせてもらうぞ」
「私は何もしておりません。娘の話には何の証拠もなければ、ただ1人の証人さえ名乗り出ないではありませんか。最初からマリクという者などーー」
「マルティーノさまーッ! 遅くなり……ッ、申しわけ、ございません! ただいま、お屋敷に、お医者様を……ッ、お連れいたしますー!」
一同が固唾を飲んで状況を見守る中、遠くから絞り出すような声が聞こえてきた。
振り向くと、背中に誰かを背負った男の人が必死に走ってくるのが見える。
なんとなく見覚えがあるし、たぶんあの人がマリクだよね?
なんか、息も絶え絶えって感じだけど……、大丈夫かな?