第31話 サリヴァンナおばさまの危機
サリヴァンナおばさまが死にそう……?
にわかには信じがたかったけど、嘘や冗談ではなさそうだ。
「マーニ、とにかく落ち着いて、私にも分かるように説明してちょうだい!」
(ふうー……。サリヴァンナが階段から落ちた。そのはずみに腹の子どもを早産して、出血が酷い。悪いことに、気を失っていて回復薬の飴を舐めさせることができないんだ。ーーだからッ、早く助けてやってくれッ! このままじゃ、サリヴァンナも赤ん坊も死んでしまう!)
「ええッ! サリヴァンナおばさま、また子どもを産んだの!?」
って、そこじゃない!
知らないうちに子どもが増えてたことはびっくりだけど、今はどうやって助けるかを考えないと……!
(早く助けに!)
風魔法使いではない私がどんなに急いでも、おそらくジョアン侯爵家まで1時間半から2時間はかかるだろう。
私が着くまでに、何か少しでも手当てを出来ないものか……。
「そうだわ! アイテム袋にゲンキーナを入れて持たせるから、マーニはそれを咥えてマルティーノおじさまのところへ届けてくれる? 飴は無理でも、飲み物なら飲み込んでくれるかもしれないわ」
(よし、わかった! お前もすぐに来てくれるんだな?)
「もちろん、すぐに駆け付けるわ! ーーポチッとな! さあマーニ、これを咥えて」
私はアイテム袋にゲンキーナを1ダースほど入れ、マーニに差し出した。
マーニはアイテム袋をしっかり口に咥え、私の目を見てコクリと頷いたかと思うと、次の瞬間には姿を消していた。
「マ、マルチェリーナ様! 何かあったんですか?」
「サリヴァンナおばさまが階段から落ちて死んでしまいそうなのよ! 私、ジョアン侯爵家へ行ってくる! ラヴィエータ、悪いけど、クリス様とアルフォンソに事情を説明しておいてちょうだい!」
私は急いで立ち上がり、外へと駆け出した。
「はっ、はい! 後のことはお任せください! お気をつけて!」
背後からラヴィエータの心配そうな声が聞こえてくる。
ああ、こんな時に風魔法使いがいれば……、クリス様は遠出をすると言っていたから、おそらくアルフォンソを連れて出かけてしまっただろう。
他に風魔法使いは……、そうだ!
お兄様に送ってもらおう!
最速トブーンを飛ばして一旦プリマヴェーラ辺境伯家の屋敷に立ち寄り、そこからお兄様に送ってもらう方が断然早く着くはずだ。
「サリヴァンナおばさま……! 私が着くまで、どうか頑張っていてください!」
私はそう祈りながら、必死で最速トブーンを操った。
「お兄様! お兄様ーッ!」
私は屋敷の玄関扉をバンと開け放つなり、大声でお兄様を呼んだ。
「チェリーナ? どうしたの、そんなに慌てて」
私の声を聞きつけたカレンデュラが居間から顔を出した。
「カレン! お兄様はどこ!?」
「えっ、チェレス様ならエスタンゴロ砦に行くと言ってお義父様と一緒に出掛けたわ」
「そんな!」
なんてことだ。
こんなことなら直接ジョアン侯爵家へ向かったほうがマシだった。
「チェリーナ、何かあったの?」
「お母様っ! サリヴァンナおばさまが、サリヴァンナおばさまが……!」
「サリヴァンナがどうかしたの?」
お母様とカレンデュラは、私のあまりの慌てぶりに何を言われるのかと不安そうに身構えた。
「死んでしまいそうなんです! 私、早く助けに行かないと! お兄様に送ってもらおうと思ってここに来たのに……っ!」
「なんですって!? どうしてそんなことに!」
「階段から落ちて、赤ちゃんを早産して死んでしまいそうだって、マーニが知らせに来てっ! 気を失っているせいで、回復薬の飴を舐められないって!」
うう、こんな時に限ってお兄様がいないなんて涙が出そう……!
「チェリーナ、こうしてはいられないわ。早くジョアン侯爵家へ行きましょう。私が送るわ」
「お、お母様が……?」
「忘れたの? チェレスにトブーンを加速する方法を教えたのは、この私よ」
そうでした!
トブーンを加速する方法を編み出したのはお母様なのだ。
「お母様、お願いします!」
「わかったわ。カレンデュラ、後のことをお願い」
「はい! お義父様とチェレス様にも連絡しておきます」
お母様はカレンデュラの言葉にうなずくと、先頭を切って歩き出した。
そして、玄関近くに出しっぱなしだった最速トブーンの座席に座り、シートベルトを締めてリモコンを手に取る。
「すぐに加速するわよ。しっかりつかまっていて」
「は、はいっ!」
いきなりは怖いけど、緊急事態だから仕方がない。
ふわりと浮かび上がったと同時に、私は背後からの風を感じた。
ブバババババババババーーーーーー!
「ひいーーー! こわいー!」
手すりを握る手に力がこもる。
今まで経験した中でダントツのスピードなんだけど……!
お母様……、もしかしてお兄様の上をいくスピード狂なんじゃないですか?
「少しだけ我慢してちょうだい。30分もかからないと思うわ」
「ふぁいっ! わたしのことふぁー、おきゃまいなくー!」
風圧でまともにしゃべることすら難しい!
ちらりと横目でお母様を見ると、怖がる様子もなく涼しい顔をしている。
風魔法使いって、スピードに対する怖さを感じない生き物なんだろうか……?
それはともかく、うちの領にも早急に風魔法使いを雇わないと。
多忙を極めるアルフォンソだけだと、こういう肝心な時に不在の確率が高い。
「そろそろ慣れたわよね? それじゃ、もっと加速するわよ! ーーテイルウィンド・マキシマム!」
「ふえーーーッ?」
えええ、これより早くなるんですか?
とんでもない……、とんでもないよ、お母様!
そして半死半生でジョアン侯爵へ辿り着いた私は、お母様の後ろを付いてふらふらと玄関に近づいて行った。
正直……、いまにもリバースしそうです……!
玄関に着いたちょうどその時、私たちは使用人が飛び出してくるところに出くわした。
「ちょっと待って! サリヴァンナはどこ!?」
「ああっ、プリマヴェーラ辺境伯夫人とお嬢様!? よくいらしてくださいました! マルティーノ様、プリマヴェーラ辺境伯夫人とお嬢様がいらしてくださいました!」
「義姉上、チェリーナ……! ガイオ、早く医者を呼んできてくれ!」
使用人の男の人はうなずいてそのまま走り出て行った。
「まだ呼んでなかったの?」
「とっくに呼びに行ったのに、まだ来ないんだよ! 医者は何をやっているんだ!」
マルティーノおじさまは、サリヴァンナおばさまを心配するあまりいらいらしているようだった。
「マルティーノおじさま、ゲンキーナは飲ませましたか?」
「ああ、ゲンキーナを届けてくれてありがとう。おかげで意識は取り戻したんだが……」
マルティーノおじさまはそう言って後ろに顔を向けた。
その視線の先を追ってみた私は、あまりの惨状に悲鳴をあげそうになり、慌てて手で口を覆った。
サリヴァンナおばさまは、一目見ただけで命が心配になるほどの血だまりの中に横たわっていたのだ。
あんなに血を流して、大丈夫なんだろうか……。
「マルティーノおじさま、治癒薬は使いましたか?」
「それが、どう使っていいのか分からないんだよ。剣で切られたなら切り傷に当てればいいのはわかるが、出産の場合はどうするんだ? 腹に巻くのか?」
な、なるほど。
確かにどう使ったらいいのか分からないね。
「とにかく、サリヴァンナの傍に行ってみましょう」
お母様に促された私たちは、階段下に横たわるサリヴァンナおばさまの元へ近づいた。
近づくにつれ濃くなっていく血のにおいに、死の瀬戸際にあることが生々しく伝わってくる。
このままじゃ、サリヴァンナおばさまは本当に死んでしまう……!