第30話 不安な心
男心と秋の空ーー。
変わりやすい秋の空のように、男性の愛情は変わりやすいことの例えだ。
こんなことわざを思い出したのは、ここのところクリス様と妙にぎくしゃくしている気がするから……。
ううん、絶対に気のせいなんかじゃない。
最近クリス様は、私が起きる前に仕事に行くことが多くなった。
後からアルフォンソの事務所に顔を出しても、キキエーラが留守番をしているだけで、いつも行き先も告げずに二人でどこかへ出かけてしまっているのだ。
だから、今日こそはと頑張って早起きをしている。
私はベッドの上で眠い目をこすりながら、着替えをしているクリス様に今日の予定を尋ねることにした。
「クリス様、おはようございます。今日は」
「ああ、おはよう。今日は仕事で遠出するから。チェリーナは好きに過ごすといい」
え、ちょっと待ってください。
せっかくこんなに早く起きたのに!
「私も一緒に行き」
「じゃあな! また後で!」
……ほら。
今日もまただ。
止める間もなく、そそくさと逃げるように寝室を出て行ってしまった。
一体クリス様は、毎日毎日私を置いてどこへ行っているんだろう。
以前はいつも私を連れて行ってくれたのに……。
今は私の話を遮るばかりで、まともに会話すら出来なくなってしまった。
「クリス様……」
新婚1ヵ月半で、早くも秋風が吹き始めるとは思ってもみなかったな……。
お兄様もカレンデュラももうプリマヴェーラに帰ってしまったし、私は独りぼっちだ。
「孤児院に行って、製本作業でもしようかな……」
ありがたいことに、お父様の物語を読みたいという人は後から後から現れて、生産が間に合わないほどの人気ぶりなのだ。
それに、子どもたちと遊べば、少しは気が晴れるかもしれないし……。
私はもぞもぞとベッドから這い出し、暗い気持ちを振り切るように出かける支度を始めた。
「おはよう、みんな!」
私が孤児院の玄関扉を開けて挨拶をすると、子どもたちがわーっと駆け寄ってきた。
「おねえちゃん、おはよう!」
「おはようございます!」
「おはよー!」
すっかり私に慣れた子どもたちは、遊びに来るといつも笑顔で歓迎してくれる。
可愛らしくまとわりつく子どもたちに、私は少しずつ心が癒されていくのを感じていた。
「マルチェリーナ様、最近毎日いらしてくださいますが、お仕事は大丈夫なんですか?」
「今日は遠出をするんですって……。だから私は留守番なのよ」
「まあ。いつも一緒だったのに、近頃クリスティアーノ様はどうされたんでしょうね?」
やっぱりラヴィエータの目から見ても、最近のクリス様は様子がおかしいようだ。
まさかとは思うけど……、今更好きな人が出来たとかじゃないよね……?
私の目を盗んで、毎日その人の元へ通ってたりして……。
婚約破棄イベントを回避出来たと思ったら、ここにきてまさかの不倫略奪イベント突入!?
「クリス様……、もしかして……」
不倫なんて、そんな……!
胸が締め付けられるような不安さに、気持ちがどんよりと落ち込んできた。
もしもそんなことになったら、どうしたらいいのか分からない……。
ゲームではそんな展開なかったし、結婚してからそんな目に合うなんて考えてもみなかった。
クリス様と結婚したら、いつまでも幸せに暮らすとばかり……。
「えっ? いえいえ、それは絶対にあり得ません! クリスティアーノ様に限ってそんなこと!」
まだ何も言わないうちから、私が言いたいことを察したラヴィエータが一生懸命否定してくれる。
私だって信じたいけど……、だけど……!
「マルチェリーナ様、さあ、こちらへ来て座ってください」
「ええ……、ありがとう」
「みんな、向こうに行って遊んでてくれる? 私たちは大事なお話があるの」
子どもたちに声をかけるラヴィエータにハッとした。
気が付くと、子どもたちがみんな心配そうな顔をして私を見ていたのだ。
「ごめんね、みんな。さあ、このチョコレートをみんなで食べてね」
私はアイテム袋からチョコレートの箱を取り出すと、近くにいた子どもに手渡した。
こんな小さな子どもたちに心配をかけてしまうなんて、大人失格だよ……。
「ありがとう……」
子どもたちは心配そうに振り返りながらも、素直にその場を離れてくれた。
「マルチェリーナ様……。魔法学院に在学されていた時、クリスティアーノ様はとても人気があったんですよ。ご存じでしたか? このフォルトゥーナ王国の王子であり、あの美しさですから、クリスティアーノ様に憧れている女子生徒はたくさんいたんです」
「えっ? そうだったの?」
いつも一緒にいたのに、全く気が付かなかった。
でも、クリス様達5人組はみんなイケメンお坊ちゃまで目立ってたもんね。
モテても不思議はないか。
「でも、クリスティアーノ様はどんな女性にも興味を示しませんでした。気を引こうとする女子生徒は冷たい目で一瞥されるだけで。ふふっ」
「そんな場面を見たことがあるの?」
知らないうちにクリス様がアプローチされていたなんて……!
私ったら何も知らずにのんきすぎやしないか。
「ええ、何度もありますよ。当時の生徒なら誰でも知っていたと思います。クリスティアーノ様が笑いかける女性は、マルチェリーナ様一人だけだということを」
「え……?」
私だけ……?
「クリスティアーノ様の心に住むのは、マルチェリーナ様お一人だけなんです。もっと自信を持ってください。クリスティアーノ様が女性に言い寄られることは、これからもきっとあるでしょうし、それはどうにもなりません。ですが、なびくことは絶対にないと私が保証します」
ラヴィエータは、テーブルの上に置いていた私の手に自分の両手を重ね、ぎゅっと包み込んでくれた。
「ふふっ、ラヴィエータが保証してくれるの? ふふふっ、それなら安心ね」
「そうですよ、安心してください」
私たちはお互いの顔を見て微笑みあった。
クリス様がそんなにモテていたなんて知らなかったけど、大勢の女性にアプローチされて、その上で私を選んでくれたということは……。
私、クリス様を信じていていいんだよね……?
(大変だッ!)
「うわあっ! マーニ!? びっくりさせないでよ」
急に私の目の前、ぶつかりそうなほどの至近距離にマーニが現れた。
思わずのけぞる私を無視して、マーニはスタッとテーブルに着地する。
そしてマーニは、真っ白な体毛をぶわっと逆立て、宝石のような青い目を細めて睨みつけるように私を見据えた。
ど、どうしたのかな、顔が怖いよ?
(死にそうなんだよ!)
「え、なんで? 腐ったものでも食べたの?」
いくら神獣でも、その辺に落ちてるものなんか拾い食いしない方がいいと思うよ?
あと、毒キノコと毒のある魚も止めた方がーー
(違うッ!)
マーニはいらだったように、テーブルを鋭い爪でガリガリと削った。
テ、テーブルがささくれるよ……。
(腹痛じゃない! いや、腹は腹だが、サリヴァンナが、サリヴァンナが……!)
サリヴァンナおばさま……?
マーニのこの焦った様子、尋常じゃない気がしてきた。
サリヴァンナおばさまの身に何かがあったんだ!
「マーニ、サリヴァンナおばさまがどうかしたの!?」
(だから、死にそうなんだよッ!)