第23話 森に響き渡る声
私の言葉に、お父様は手のひらで日差しを遮るようにして遠くに目を凝らした。
「うーん、そうだなあ。大体いつもこんなものじゃないかな」
お父様は特におかしいとは感じていないようだ。
私の記憶では、エスタンゴロ砦付近の森は陰鬱な雰囲気ではあるものの、普通の森よりワントーン暗い程度の色合いだった。
もっとずっと奥に入ってから、だんだん黒さが増して恐ろし気な様相になって行ったと思うんだけどな……。
でも、いつも見ているお父様がそう言うなら、私の記憶が間違っているのだろう。
「じゃあ私の気のせいですね。久しぶりに見たから恐ろしく感じるのかもしれません」
「まあ、慣れないうちは怖いだろうな。でも、上から見てる分にはだいぶマシなんだぞ。魔の森を歩くと、肌で禍々しさを感じるからな」
そ、それほどですか……。
そういえば私も、子どもの頃にうっかり魔の森に足を踏み入れてしまった時は本当に怖い思いをしたっけ。
あの時はエスタンゴロ砦の目と鼻の先、しかも整地された部分だったというのに、それでも負のオーラや重圧感のようなものを感じたものだ。
「マルチェリーナ様は、お子様の時に魔の森へ入られたんですよね」
「えっ? な、なぜそれを……」
「もちろん、昨日のことのように覚えていますよ! あの時は街中がその噂で持ち切りになっていましたから! もう少しで魔獣に殺されてしまうところを、間一髪でチェーザレ様がお助けしたと聞きました。あっ、でも、マルチェリーナ様の魔法具のおかげで死者がでなかったこともちゃんと聞いていますよ?」
ええーっ、街中で噂って、みんながあの時のこと知ってるの!?
うちの騎士たちにしか知られていないと思ってたから地味にショックだ……。
それはそうとキキエーラ、口数が戻ってきたところを見ると、気分が良くなったようでなによりです……。
「まったく、あの時は本当に心臓が止まるかと思ったんだぞ。エスタンゴロ砦から遠く離れたマヴェーラの街にいる筈の娘と妻が、目の前で魔獣に襲われているんだからな」
うう、ごめんなさい……。
いま考えると、恐ろしく短慮だったと自分でも思います。
「ごめんなさい……。あの時のことは心から反省しています」
「もう危ないことはするなよ?」
「はい。私はあれから心を入れ替えました」
いまの私は後先をきちんと考えられる大人ですから、もう大丈夫です!
「……本当かな。ポルトの町に遊びに行った時にも、海老を獲ると言って大騒ぎした挙句、トブーンから海に落ちたんだよな」
クリス様!?
なんで私が怒られてる時にさらに怒られるようなことをバラすんですか!?
「なにっ!? なんだ、その話は? 聞いてないぞ。どういうことなんだ、チェリーナ!」
ひいっ!
クリス様のせいで怒られた!
「は、はいっ。屋台で海老を買おうとしたら売り切れていたんです……。それで、目の前が海だから自分で獲れるかなと思ったのですが、海老の代わりに見たこともないくらい大きな魚が獲れてしまって。その魚に引っ張られて海に落ちちゃったんですよね。エヘッ」
「……チェリーナ」
「でも、クリス様が助けてくれましたから! この通り無事です!」
「ハアー……、うちの娘がすまんな、クリス」
もう3年も前の話なんだから今更ですよ、お父様。
できれば時効にしてほしかったです。
「いえ、妻を助けるのは夫の務めですから」
「これからも苦労をかけるが、よろしく頼むよ……」
「もちろんです」
ふと気が付くと、キキエーラがワクワクした顔で話に聞き入っているのが目に入った。
あの……、こんなエピソード、私の物語に盛り込まないでくださいね?
「やっぱりマルチェリーナ様は物語の主人公のようです! どんな危機的状況に陥っても、主人公には必ず助けが来るんですよ! それも、助けに来るのは王子さまや騎士さまだと相場が決まっています!」
エヘ、やっぱり私ってお姫さまっぽい?
いやあ、困っちゃうーー
ギャオオオオオオオオォォォーーー!
「えっ、今何か聞こえませんでしたか?」
どう聞いても獣の咆哮だったけど!?
「魔獣だな。だいぶ興奮しているようだから、おそらくどこかで戦闘しているんだろう」
そうだ。
上から見るとどこまでも続く広い静かな森だけど、森の中には魔物がいて、それを倒すことを生業としている冒険者がいるんだ……。
「怖い……」
咆哮を聞いたことで恐ろしくなったのは私だけではないようで、キキエーラも顔色を失くしてブルブル震えている。
「魔の森はもう十分見ただろう。そろそろエスタンゴロ砦へ戻るか」
お父様からの提案に、私はほっと胸を撫で下ろした。
早く帰りたいー!
やっぱり魔物なんて身近に感じたくないよ!
でも、お父様や、プリマヴェーラ辺境伯領の騎士たちは、毎日命懸けでこの国を守ってくれてるんだよね……。
日頃の感謝の気持ちを込めて、帰りにワインでも差し入れようかな。
ギャオオオオオォォーーー!
ゆっくりとバルーンをUターンさせ、エスタンゴロ砦を目指していると、またもや咆哮が聞こえてきた。
「苦戦してるのかもしれないな……」
「様子を見に行かなくていいんですか?」
お父様が下の様子を気にしていることに気付いたクリス様が尋ねた。
「いつもなら様子を見に行くところだが……、いまは女の子が2人もいるしな。こんなところで参戦する訳にはいかないよ。砦に戻ってから誰かに見に来させよう」
私たちのことが足かせになっていたのか……。
だけど、もし助けに行かなかったことで死人が出たなんてことになったら……。
「場所の特定が出来なくなるんじゃないですか? バルーンを降りずに上から援護しては?」
「しかし、上空から火魔法を放って火事にでもなったら……」
こんなところで火が燃え広がったら大変だ。
火消し君スーパーを用意しないと!
「俺が水魔法で援護します」
「……わかった。なるべく火力の少ない魔法を使うが、万が一の時は頼むよ。それじゃ、まずは戦闘場所を探すとしよう」
クリス様の申し出に覚悟を決めたお父様は、リモコンを操ってバルーンの進行を止め、その場に浮いている状態にした。
私も万が一の時は火消し君スーパーで援護します!
「さっきは右方向から聞こえた気がした。何か見えないか?」
木はたくさん見えるけど……。
こんな広大な森の中から、戦闘中の冒険者を見つけるのは至難の業だ。
ああ、せめて双眼鏡でもあれば……。
ん?
そうだ、双眼鏡を出せばいいんだ!
私は早速ペンタブを出し、二つの円とそれを結ぶ本体を描いた。
倍率は3段階に切り替えられるようにして、あとはどんな機能を付けようかな。
よし、”遠くまでよく見える双眼鏡。倍率10倍、30倍、50倍”と、”半径3キロ以内生命体感知センサー付き”でいいや。
「できた! ーーポチッとな!」
どれどれ、成功してるかな?
「チェリーナ、何が出来たんだ?」
「しーっ、ちょっと静かにしてください!」
クリス様静かにしないと聞こえな……、って間違えた。
聴覚はまったく関係なかったわ。
でも、せっかくだから精神を集中してみようか。
双眼鏡をしっかり構えて、中を覗き込んで……。
「わあっ、見えた!」
すっごい近く見えるー!
「いたか! どこだ?」
あっ、それはまだ見つかってません……。
ええと……、センサー君、頑張って早く見つけてちょうだい!
ピカッ、ピカッ、ピカッ……。
レンズの中に、赤い点滅が複数見える。
きっとこれに違いない!
「お父様、クリス様、あの辺りです!」
「あの辺りってどの辺りだ?」
あの辺りはあの辺りだよ!
言葉じゃ説明しにくい!
「リモコンを貸してください。私が操縦します!」
センサーが点滅してるということは、いまも生きて戦っているということだ。
早く助けに行かないと!