第17話 幽霊騒動
私はクリス様の背中に顔をうずめ、声を限りに叫んだ。
「うるさいぞ。ほら、何もないじゃないか」
「えっ?」
そう言われて恐る恐る首を伸ばして覗いて見ると、ベッドとクローゼットが置かれた簡素な部屋の中が見えただけだった。
……さっきの部屋とおんなじだね。
床にうっすら溜まっている埃も踏まれた跡がないし、どうやら音の出所はこの部屋ではないようだ。
「隣の部屋かな?」
「えっ、まだ見るんですか? もう帰りましょう!」
私はクリス様の服を引っ張って引き留めた。
しかし、私の必死の抵抗もむなしく、クリス様はあっさり隣の部屋のドアも開け放ってしまう。
「キャーーーッ!」
「何もない。やっぱり気のせいだったんだよ。もしかするとネズミがいるのかもしれないな」
ネ、ネズミ!?
それはそれで怖いよ!
ーーギシッ……。
「クリス様、また聞えました!」
「もう一つ隣の部屋からかな?」
クリス様はそう言って2、3歩足を進めると、またしてもあっさりとドアを開け放った。
少しは躊躇して!
こっちにも心の準備があるから!
「キャーーッ!」
「わーッ!」
……ん!?
部屋の中から声が聞こえた?
やややや、やっぱりいたんだ!
「ゆうれいー! キャーッ、怖い!」
「えッ、幽霊!? うわあっ、怖い!」
部屋の中の声の主は、焦ったようにバタバタと大きな足音を立てながら走り出てきた。
いやいやいや。
幽霊はあなたでしょ?
「何者だ。この宿は営業していない筈だが」
「えっ、は、はい……。私はソブリオといいます。一月ほど前にこの領へ仕事を探しにやって来たのですが……」
ん、この幽霊さん名前があるのね。
というか、生きてる人間じゃない!
まったく人騒がせな!
「ああ、移住者か。ここで何をしてるんだ?」
「はい……。実は、仕事をクビになってしまって……。手持ちのお金が心もとなくなってきたので、節約しようと……。あのう、この宿はあなた様の所有物だったのでしょうか?」
ソブリオはクリス様の堂々とした様子に、首をすくめながら尋ねている。
よく見ると、10代後半くらいの大人しそうな男の子だ。
どうやら、自分の不法侵入を咎められるのではないかと恐れているようだった。
「まあ、そうだな」
「申し訳ありませんっ! すぐに出て行きますので、どうかお許しください!」
ソブリオはガバリと頭を下げ、必死に許しを請う。
「出て行くって、行く当てはあるのか?」
「それは……」
ないんだね。
「仕事をクビになったと言っていたが、なぜクビになったんだ?」
「はい……。新しい街の建設現場で仕事をしていたのですが、私があまりに力がないもので……。角材の3、4本は肩に担げるようじゃないと、仕事にならないと言われてしまいました……」
そ、それは……。
雇用主も取り立てて無理難題を言ってるわけじゃないよね。
むしろ、一見してヒョロヒョロで力がなさそうなソブリオを、よく一度でも雇ってくれたものだ。
「そうだったの。人には向き不向きがあるわ。力仕事じゃない仕事を選べばよかったのに」
「それが……。私が想像していたよりも仕事の種類がなくて。やっとありつけた仕事が力仕事だったのです」
トントントントン……。
誰かが階段を上がってくる音がする。
「マルチェリーナ様? 何度も悲鳴が聞こえましたが、大丈夫でしょうか?」
あっ、さっき私が無駄に叫んだ声を心配して見に来てくれたのか!
いやあ、ごめんごめん。
「ラヴィエータ! 何でもないのよ、うるさくしてごめんなさいね」
「それならよかった……、あら? ソブリオさん?」
「ラヴィエータさん」
え、ラヴィエータとソブリオは知り合いなの!?
どんな関係?
「2人は知り合いなのか?」
同じことを疑問に思ったらしいクリス様が尋ねる。
「はい。最近、教会の雑用を手伝いに来てくれる方です。食事くらいしかお礼が出来ないのに、よく手伝ってくれる優しい方で。子ども達も懐いてるんですよ」
なるほど……、ここで寝泊まりして、教会で食事をもらって生き延びていたのか……。
ちょっと綱渡り過ぎないかな!?
「子どもは好きなのか?」
「はい。私は兄弟が多いもので、下の弟や妹の面倒を見ていましたから」
「そうか。それなら、ここで働かないか? この宿を孤児院兼保育所として改装する予定なんだ」
おお、まさしく適材適所です!
子ども達の面倒を見るなら、力の強さよりも、優しさや忍耐力の方が重要だもんね。
「えっ、はっ? わ、私を雇っていただけるのですか?」
ソブリオは思いがけない話に目をパチクリさせている。
「ソブリオさん、こちらのアメティースタ公爵様ご夫妻はとても慈悲深い方々で、子ども達のために心を砕いてくださっているんです。あなたもぜひ私たちと一緒に働きませんか?」
うっ、にっこりほほ笑むラヴィエータがまぶしいッ!
ソブリオもそう思ったようで、頬を赤らめながら目をギュッとつぶっている。
「は、はい! ぜひっ! よろしくお願いいたします! アメティースタ公爵様……、えっ? アメティースタ公爵様!?」
遅いよ!
いくら美少女の笑顔が強烈だったと言っても、脳の処理能力に問題あり過ぎじゃないかな!
「はは、よろしく頼むよ。それじゃ早速だが、この宿の掃除を手伝ってくれるかな?」
「はいっ、もちろんです!」
「それじゃ、チェリーナ。俺たちはアルフォンソの事務所へ戻ろうか。ラヴィエータ、夫に何か伝言はあるか?」
クリス様……、わざとらしく夫の存在をアピールしましたね……。
「えっ……! お、夫!?」
ソブリオは頭をガツンと殴りつけられたような顔をしている。
ええ……、残念ながらラヴィエータは既婚者なんです。
「いいえ、特にありません。お気遣いいただきありがとうございます」
「そうか。チェリーナ、それじゃ行こう」
「はい」
トントンと階段を下りながらそっと振り向くと、この世の終わりみたいな顔をしたソブリオがチラリと見えた。
残念だったけど……、元気を出して次に行ってみよう!
この領は女性の方が多いんだからね!
「思いがけず男手が見つかってよかったな。女性だけでは物騒だからな」
「そうですね。性格もよさそうでしたし」
ソブリオが物騒なことが起こった時に役に立つかどうかは置いといて、女性と子どもだけでいるよりは心強いだろう。
「事務や売り子として女性を雇うにしても、やっぱり男手も欲しいよなあ。人が増えれば、ガラの悪い男に難癖付けられることもあるだろうし」
確かに……。
女性相手だと威圧的になる嫌な人もいるもんね。
「うーん……、そうだわ! エスタの街は男の人が多いと聞いています。体力的に冒険者を続けるのが難しくなった人たちが、移住を考えてくれるかもしれませんよ? 元冒険者なら、ガラの悪い男に気迫で負けることもないでしょうし、うってつけじゃないでしょうか?」
エスタンゴロ砦に近いエスタの街は、魔の森へ行く冒険者の拠点となる街だ。
屈強な男の人がたくさんいるに違いない!
地元の女性と結婚してくれる独身男性ならなお良しだね!
「ああ、それはいいかもしれないな」
「早速お父様に相談してみましょう!」
私はポケットから通信機を取り出すと、大きな声でお父様を呼んだ。
「おとうさまー、おとうさまー! こちらチェリーナ隊員です、どーぞー!」