この世界のお勉強
「昨日も言ったけど、ここは北方大陸の南部にあるルテア王国の中よ。大体、この辺り。」
アーリンは地図の、ある地点を指差した。
「ちなみに、ここにルテア王国、と書いてあるのだけれど、文字は読める?」
「……読めません。」
「なるほど。言葉はわかるのに文字は読めないのね。不思議だわ。ちなみにこの世界にはいくつかの言語があるの。ちょっと試してみるわね。」
書斎の天井を見ながら、アーリンは何か言葉を探すような仕草をした。
「えー、私の名前はアーリン・ヴォルトレットです。」
「知ってます。」
「なるほど。じゃあ次は……私の名前はアーリン・ヴォルトレットです。」
「知ってますって。」
「さっきまで話してた言葉と、今の言葉、あなたにはどのように聞こえたの?違って聞こえたりしなかった?」
「え?いやふつうに、同じように聞こえました。」
「同じように聞こえるのね。面白いわ。私は今、ここ北方大陸で使われてるルテナ語とは別の、リボルノ語とハット語で話しかけたの。」
「うそ?全く同じでしたよ?」
「そう聞こえるみたいね。多分だけど、あなたの世界の言葉に頭の中で自動的に翻訳されてるんじゃないかしら?それか、相手の心を読んでる可能性もあるけど。今私が何を考えてるかわかる?」
じっとアーリンは僕を見つめてきた。その綺麗な顔にドキッとしてしまう。
「わかりません。」
「そう。ならさっきも言ったように、無意識のうちに翻訳しているか、言葉として発した音に含まれる感情を、自動的に読み取ってるか、どちらかだと思うわ。ちなみに今私が考えていたのは、あなたの尻に舌「オマタセシタ。ジンノ。」
「え、いや全然待ってないですよ。コーヒーありがとう。」
いいタイミングでアーリンの言葉を遮ってくれたガーゴイルからカップを受け取った。なぜかその光景を見て、アーリンが驚いているように見える。
「あなた、ガーゴイルが今何言ってるかわかったの?」
「?はい。オマタセシタって言ってましたよね?」
「私には、グギャグギャとしか聞こえなかったわ。なるほど。じゃあ私の仮説で合ってるみたいね。あなたは、この世界の言葉、おそらくその全てを無意識のうちに理解できる。きっと魔物の言葉も全て理解できるのでしょうね。かっこいいわ。」
「そうだったんですね……。」
それは不幸中の幸いだ。
言葉がわからなければ、僕の混乱は今の比じゃなかっただろう。
「原理はまったくわからないけれど。まぁそれの究明については後回しにしましょう。ルテア王国の説明に戻るわね。」
◆
アーリンの説明は、要点を抑えていてとてもわかりやすかった。
ルテア王国は世界で三番目に経済力と軍事力がある国で、奴隷の数は世界一。
その全てが犯罪奴隷だそうだ。
犯罪を犯した者を、奴隷魔術というものを使って逆らえなくして、無理矢理働かせることで罪をつぐなわせる、それが犯罪奴隷。
ゆえに、このルテア王国は『スレイブランド』だったり、『牢屋のない国』と呼ばれる。
牢屋に犯罪者を閉じ込めたりせず全て奴隷にすることで、刑務所の運営費を削って、労働力を得る。非常に賢いやり方だ。
ちなみに僕が売られていたのは、そうやって奴隷ビジネスがキッチリと国で管理されているルテアでは珍しい、違法オークションだったらしい。
そこでは激安奴隷だったり、逆に犯罪奴隷ではあり得ないほど質の高い超高額な奴隷だったり、ルテアでは禁止されてる性奴隷等が密かにやり取りされているのだとか。
「あの場にいたのは、他国の盗賊が攫ってきて、無理矢理オークションに出された者たちなのよ。」
だとしたらあの場にいた猫耳娘もそうなのだろうか……。少し胸が痛んだ。助けることはできないのだろうか。
「奴隷屋で見たんですけど、頭に猫の耳が生えてる子がいたんです。あれって……。」
「猫耳というと、猫人、森族の一種だけど。あなたの世界にはいないのかしら?」
「はい。知性があるのは、人間しかいません。」
「そうなのね。こっちの世界では人間、いわゆる人族以外にも色々な種族がいるわ。獣の特徴を持つ森族。空を飛べる羽を持つ鳥族。長寿のエルフ族。龍の特徴を持つ鱗族。それぞれ能力も寿命も様々よ。」
ますますファンタジーな感じになってきたな。
「森族というと、この世界で最も醜い種族とされる者たちね。戦闘力は高いから、護衛用の奴隷かしら。」
あの子が醜い?信じられないな。あんなに可愛かったのに。
それに、その、すごい体をしていた。
思い出すとちょっと興奮する。
「発情の臭いがするわ。」
「え!?」
バレた。あなた獣か何かですか?
「その猫人に発情してるのね。」
「え、あ、いや。」
気まずい……。目の前で旦那がほかの女性に発情をしてるのを見て、嫌な気分だろな……。
「気になるのなら、助けてもいいわ。この家で世話をしてもいいし。」
「え!いいんですか?」
「もちろん。あなたがしたいことは何だってしてあげる。」
無表情で言い放つアーリン。男前だ。
「その……変な話、嫉妬しないんですか?僕がほかの女の人を気にしても。」
「しないわ。むしろ私を救ったように、あなたはたくさんの女性を救うべきよ。こんな尊い存在を独り占めしようだなんて、愚かしいこと思わないわ。あなたはたくさんの嫁をもらうべきよ。」
すごい懐の深さだ……。日本じゃ考えられない価値観だな……。
「いや、そんなにたくさんの奥さんはいらないです。アーリンさんだけで十分です。」
「……不意打ちはずるいわ。」
そう言って、アーリンは立ち上がった。
「下着をかえてくるわね。」
また言ってる。
下着かえるって……やっぱりそういうことなのか……?
……いちいち言われると気まずいな……。
◆
「あなたの嫁として情けないことを言ってしまうのだけれど、初夜はしばらく待って欲しいわ。」
帰ってきたアーリンは開口一番そう言った。
「少し甘い言葉を言われただけでこれだもの。肌を重ねたら幸せで死んでしまうわ。ごめんなさいね。」
「は、はい。」
そう言った後、再びこの世界についてのことをザックリと教わった。
使用している通貨だったり(色々なものの物価を聞いてみて、おそらく1ギリー=100円くらいだとわかった。なんと僕は2億7000万円でこの人に買われたのだ。)、ほかの国のことだったり。生活水準。職業。色々なことを教えてもらえた。
「この人はどう?」
「カッコいい、とおもいます。」
「不正解よ。この人はこっちではブ男。じゃあこの女性は?」
「綺麗ではない、ですかね……。」
「不正解。この人はルテアで1番美しいとされる歌姫よ。」
今は、人物画が多く載ってる画集や新聞、歴史書らしきものを集めて、描かれている人物が美しいか美しくないかを当てるゲームをしている。
どれだけ僕の美意識がズレているか知りたかったらしい。
結果は全問不正解。ズレまくっていた。
ここからは僕の仮説だ。
日本でも昔は現代とは違い、一重のふくよかな女性がモテたという。
だから、この世界のこの時代は、僕のような顔が美しい『流行り顔』と判断される時期なのではないだろうか。
転移する直前の日本も、彫りが深い男性よりも、『塩顔男子』とやらが人気だったし。
「あの、これは僕の予測なんですけど、この世界でも大昔は、僕みたいな顔がブサイクで、アーリンさんのような顔が美しいとされる時代もあったんじゃないですか?」
「そういった文献は見つかってないわね。ただ、この世界の美意識の根本になっている教えはあるわ。」
アーリンは本棚の上の方から、分厚い本を取り出して広げた。
「これが、この世界で最大の宗教である『アンナ教』が崇める唯一神、美の神『アンナ』よ。」
そう言って指差した絵には、僕そっくりの醜い女性が描かれていた。