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止まない逆セクハラ

 


「んっ……。あれ?私は……。」


 目が醒めると、私はベッドの上だった。ぼんやりと、状況がつかめないまま起き上がると、天使が脇の椅子に座りながらベッドに上半身を預け寝ていた。


 天使じゃなかった。


 あの男だ。


 じゃあやっぱり天使ね。


 何と愛らしい顔をしているのか。大きな鼻は母なる大地に屹立する雄大な山を思わせ、閉じた厚手のまぶたは産まれたての愛玩動物の尻のように柔らかそうだ。ふくよかな唇は禁断の果実のような危ない魅力を放っている。


 理性の一切を失い、この男とべちょべちょのぐちゃぐちゃの液体になってしまいたいという欲望をギリギリのところで思いとどまる。


「危ない危ない……。流石に寝ている旦那を襲うのは、貞淑な妻のすることではないわね。」


 妻。


 その言葉を口にして、顔が幾分か温度を上げたのがわかった。


 幾分かどころではない。


 蒸発しそうだ。


 蒸発してそのまま彼の鼻に吸い込まれ、肺を三日三晩出入りしたい。


 いつのまにかベッドから出て服を脱いで下着姿になり狼のような姿勢になっていた自分に気づき、再び自分を律する。


 何回か深く呼吸をして落ち着いた後、しばらく寝顔を眺めた。


 彼は、私の夫になるといった。


 この、天涯孤独のまま死ぬはずだった『醜い魔女』の夫にだ。


 彼は私の名前しか知らない。


 私は彼の名前すら知らない。


 普通なら信じられないような言葉だったが、あの熱い瞳を思い出せば、それが疑いようのない本心からのものだと思えた。


 彼は一晩で私の心を救い出してしまった。


「流石は天使ね。」


 久しぶりに、グッスリと寝た気がする。


 外を見ると、太陽は登りきり、すっかり昼だった。


 早く着替えて、一晩私のそばにいてくれたであろう彼に軽食でも作ろう。


 そして名前を聞こう。


 こんな異世界に飛ばされてしまった不運な彼の、力になってあげよう。

 アーリン・ヴォルトレット、この命をかけて。


 たとえ、彼の気が変わって、私の元から去ろうと構わない。


 彼のあの言葉が嘘であろうと問題ない。


 私は昨晩のために生まれてきた。


 あの言葉があれば私はこの先生きていける。


 何年かぶりに微笑みながら、アーリンは部屋を出た。





 ◆






 起きるとアーリンさんはいなかった。


 昨夜の部屋に戻るとアーリンが食事を並べていた。焼いたパンに目玉焼き。切った野菜にスープ。牛乳。


 思わず腹が鳴ってしまった。


「おはよう旦那様。」


「だっ……!?あ、そうか。お、おはよう。」


 耳慣れない呼び名が寝ぼけた頭を一瞬で冷ました。


 おずおずと席に着く。


「口に合うか心配だけど、久しぶりに自分で食事を用意したの。食材は良いものだから、悪くはないと思うわ。」


「ありがとうございます。いただきます。」


 スープに口をつけてすする。美味しい。


「美味しいです。」


「良かった。」


「昨晩は迷惑をかけたわね。ベッドまで運んでくれたのかしら?」


「あ、はい。石像に手伝ってもらいながら。」


「ありがとう。」


 な、なんか恥ずかしいな。


 昨日、自分が言ったことが頭でグルグル回る。

 随分臭いことを叫んでしまった。

 こんなブサイクが。

 でもこの世界ではブサイクじゃないのか。

 いやいや、未だに全く信じられないな。


「運んだ、ということは、私の体にあなたが触れた、ということね?」


「はい。」


「あなたの指一本一本が、私の肉を掴んだ、ということなのよね?」


「は、はい。」


「私の肉を。あなたの指が。」


「何の確認ですか。」


「それにしてもさっきの、美味しいです、というあなたの言葉。とても美しい声だったわね。」


「そうですか?」


「もう一度言ってくれるかしら。」


「お、美味しいです。」


「いいわね。次は、アーリンさん、美味しいです。て」


「アーリンさん、美味しいです。」


「アーリンさんが美味しいです。て。」


「もうやめましょう。」


「アーリンさんの肉が美味しいです。って。」


「聞こえてますか?」


「アーリンさんの肉、美味しいですって、ちょっと私の頸動脈付近を噛みながら言って欲し「ごちそうさまでした。」


 寝起きにはディープすぎる逆セクハラを制し、僕は食器をまとめて持ち部屋を出ようとする。


「あぁ、洗い物はガーゴイルに任せるから置いておいていいわ。」


「そうですか。ガーゴイルって言うんですねあれ。」


「そうよ。そうだった、聞きたかったことがあるの。」


「なんですか?」


「あなたの名前は何?」


 そういえば言ってなかった。変な話だ、婚約までしてるのに。


「神野翔平です。」


「ジンノ・ショウヘイ……。姓がショウヘイ?」


「あ、逆です、すみません。ショウヘイ・ジンノです。」


「じゃあ、ショウヘイって呼ぶわね。」


「待ってください。あの、良かったら、『ジンノ』って呼んでくれませんか?」


「それはいいけど。」


「ちょっと言ってみてください。」


「ジンノ。」


 むず痒い。

 本当に久しぶりに、正しく名字を呼ばれた。

 それだけでこんなに嬉しいのか。


「もう一回言ってください。」


「ジンノ。」


「もう一回言ってください。」


「命令されるの最高ね。ジンノ。」


「もう一回。」


「ジンノの肉は美味しいです。」


「あ、もういいです。」


 再び始まってしまった。よくもまぁ無表情でこんなに淫語がでてくるな……。


「しかし、ガーゴイルも知らないだなんて。本当にこの世界のこと何も知らないのね。当たり前だけど。」


「恥ずかしながら……。」


「じゃあ今日は、この世界のことを教えてあげるわ。書斎に、説明するのに役立ちそうな本がいくつかあるから、それを読みながらが良いかもしれないわね。あと、あなたの世界のことも聞かせて欲しいわ。」


「わかりました。助かります。」


「じゃあ、出て左が書斎だから。先に行ってて。あと書斎の奥にトイレもあるから使ってね。使ったら臭いの残ってるうちに報告するように。」


「報告はしません。先に行ってますね。」


 軽口を言いながら部屋を出る。


 ひさびさに、こんなに人と話したな。

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