深慮
森を出て2日、ルテアの城下町に着いた。僕がこの世界に来て初めて出会う巨大な街。中世ヨーロッパを思わせる美しい街並みの中央に、荘厳な城が立っている。しかしそれに感動するような余裕が僕にはない。
道中の空気はひどく重苦しかった。
野営の時も食事の時もジム司祭はにこやかに世間話などしてくるのだが、アーリンもハーティもほとんど無視。馬車に寄り付けもしなかった。
◆
「おはようございます」
「あ、お、おはようございます」
僕がアーリンが出した野菜や干し肉を預かり、朝食の下ごしらえをしているとジムが話しかけてきた。
「朝から精が出ますね。失礼ですが、貴方はアーリン様の従者でいらっしゃいますか?」
「そうよ」
僕の返事を待たずして、いつの間かジムの後ろに来ていたアーリンが答えた。
「そうなんですね。いやはや高名なアーリン様の従者に相応しい、美しい従者ですな」
「嫌味かしら?私の二つ名を知らないわけでもないでしょう?」
「いえ、そんなつもりは毛頭ございません」
「そう。それにしてもあなた態度を改めた方がいいわよ?そっちの事情は知らないし、知りたいとも思わせたくないでしょう?」
「……随分と嫌われたものですな」
……何て空気が重い朝なんだ……。
◆
ほぼ唯一と言っていい会話が、こんな調子だった。お陰で胃が痛い。しかし、こんなあからさまに敬遠して大丈夫なのだろうか……?この人、僕らを殺そうとしてたんだよね……?
疑問と不安に悩まされながらも、ジムが近くにいる状況では聞くこともできず、ものすごくモヤモヤ、ハラハラしたまま、城下町に入り、そのまま王への謁見を迎えた。
◆
「両名大儀であった。して早速だが報告に移って欲しい。労う時間もないのは心苦しいが」
「いいわそれで。長居もしたくないし」
仁王立ちのアーリン。腕なんか組んじゃってる。その話口調はいつものように平坦で何の敬意も感じられない。
え?こんなんでいいの?この人王様なんだよね?
赤い絨毯が引かれた階段の上、大上段で玉座に座る人物からは尋常ではない風格が滲み出ている。年齢は30弱くらいだろうか。随分と若い王様なんだな。細い目からは油断のない視線がのぞいている。
そんな人を前にして、自然と僕は跪いているのだが、アーリンもハーティもそうする気配は微塵もない。2人ともこの国の要職に着いているらしいが、この妙な力関係は何なんだろう。胃が痛い。
ちなみにジムは別室待機だ。謁見の間に入ることはアーリンが断固として拒否した。
ルテア王は、そんな2人の性格をよく知っているらしく、すぐさま本題に入った。
「チット侯の姿が見えないのは、残念ながら、そういうことであろうか」
「ええ。私が着いた時にはとっくに殺されていたわ。チット侯を殺した女はルビオナ、と名乗っていた。精霊の封印を解こうとしていたわ」
謁見の間の両端に立って並んでいたこの国の要人らしき人物たちがどよめいた。
「ルビオナ……その名に心当たりは?」
「ない。組織で動いてるみたいだったけど、その組織の名もわからない。捕らえて拷問でもして吐かせようかと思ったのだけど、遠隔操作型のゴーレムだったからそれもできなかった。チット侯の亡骸と一緒に一応持って帰って来たから、調べるといいわ」
「そうか……アンナ教に敵対している組織なのだろうが、チット侯を殺す戦力があるとなると、早急に手を打たねばなるまいな」
「私のことは巻き込まないで頂戴ね?」
「私も面倒だからゴメンだぞ!!!」
無表情に答えるアーリンと、いつもの満面の作り笑顔で答えるハーティ。
いやいや!いいんですかそんなに簡単に突っぱねて!?冷や汗が止まらない……!
「ああ、わかっている。今回は国内にチット侯を超える手練れが2人しかいなかったので止む無く依頼したのだ。これより先の調査はアンナ教本部に協力を要請するとしよう」
しかし、すんなりとルテア王は受け入れた。本当にどうなってるんだこの2人の立ち位置は。
「それでは報告は以上としよう。こちらの宮廷魔術師に調べさせるから、ゴーレムとチット侯の亡骸はあとで預かろう。そんなことよりも」
そこで一旦言葉を区切ったルテア王は、その威厳ある表情を崩し、ニヤリと笑ったあと―――
「今日は帰らないでいてくれるのかアーリン?恋しかったのだぞ?今夜こそ、その身を我が腕に委ねてみてはくれぬのか?」
―――すんごくイヤらしいことを言ってきた。
「ほんと物好きね。こんな『醜い魔女』を抱きたいだなんて」
「いやいやこれほど気の強いいい女も珍しい。あとで私の部屋へと来るがいい」
びっくりして2人の顔を見比べる。王はさっきまでの風格はどこへやら、ただの変態オヤジの顔をしている。アーリンは無表情だが、これ、もしかして怒ってるんじゃないか……?
背筋を大粒の冷や汗が流れた。怒ってる時のアーリンを思い出したからだ。
奴隷屋では、からかったあの男は心底怯えていた。屋敷で僕が怒らせてしまった時は生きた心地がしなかった。アーリンを怒らせてはだめなのだ。
やばい、これはキレるぞ、やばい、やばい―――
「お酌ぐらいはしてあげるわ」
「何を強がっている。臣下の目など気にするな」
「気にするわ。だって恥ずかしいじゃない」
―――あれ?
何この感じ。
「その恥じらいもまたお前の魅力じゃ。ささ、皆よ、話は終わりだ。これ以上ここにいるのは野暮だぞ。なぁアーリン?」
「さぁ?私に言わせないで欲しいわ。意地悪な男」
「はっはっは!たまらんな!さぁ皆出てった出てった!」
その声に、またか、しょうがないな、といった顔をした要人たちが次々と頭を出て行く。
これって、もしかして、いつもの流れなの?
アーリンとルテア王は
城内中が容認してる愛人関係なの?
うそ。
すごいショック。
でもそうとしか見えないやり取りだったよな。
親しげで、どこか色気のある会話だった。ハリウッド映画に出てきそうなお洒落な感じの。
2人の関係が浅からぬものであること、そして長い付き合いであることがにじみ出てくるような、大人のラリーだった。
浮かれていた自分が許せない!
勝手にアーリンは僕にベタ惚れだと思っていたけど、他にそういう相手がいないってどうして決めつけていたんだろう。
この世界の常識はわからないが、アーリンが僕に一夫多妻を勧めてきたんだから、この逆もあっても不思議じゃないじゃないか。こっちの世界じゃ普通なんだきっと。うんうん。前の世界の感覚は捨てなきゃな。
……あ、だめだ全然言い聞かせられない。すごくショック。というか、いつのまにか僕はこんなにアーリンに依存していたんだろう。好き好きすごく好き。こんなブ男がガチ惚れでごめんなさい行かないでアーリン!
「さぁ行くぞジンノ!!」
「あ、はい……」
ハーティに連れられて謁見の間を出た。あ、だめだ僕絶対泣いてる。
◆
「さぁ人払いはしたぞ」
「何度やっても気持ち悪いわねこのやり取り」
「仕方ないだろう、これが一番手っ取り早いんだから。俺だってお前みたいなブスいやだよ」
「殺すわよ」
「王だぞ俺は。まぁいい本題に入ろう。なぜお前らはアンナ教に目をつけられていたんだ?コレット大森林で何があったんだ」
「何もないわよ。何も知らないわ。チット侯が殺されて、賊を私が倒して封印を重ねがけした。それだけ。けどあの司祭は私たちのことを何故か探っていた。生意気にも私を殺そうとまでしていたわ。ってことは『私が相当な情報を知っている可能性もあるからその時は始末しよう』というのも司祭の思惑だったわけでしょ?じゃあ何で私が『相当な情報』を持っているかもしれないなんて思ったのかしら?私が『相当な情報』を得る手段は、あの場において限られていたと思わない?」
「ルビオナか」
「そう。ルビオナとルビオナの組織はアンナ教にとって致命的になる何かを知っていて、動いている。それを私が万が一拷問でもして聞き出してしまっていたとしたら、と、そこまで考えてあの司祭を送り込んだんでしょう」
「面倒なことに巻き込ませてしまったようだな……」
「ほんとよ」
「だが、結局お前は何も知らないんだな?」
「そうよ。あの司祭の探り方があまりにも必死で露骨だから、逆にちょっと興味を持ってしまったけれど。厄介そうだし首を突っ込みたくない。何もしないから放ってほいて欲しいわ」
「わかった。これからアンナ教本部はあれやこれやと理由をつけてお前を監視するだろうな。一刻も早く疑いが晴れるよう俺からも根回ししておこう」
「助かるわ。ちなみに貴方は、この件について何か知っているの?」
「いや。アンナ教のタブーなんて興味もないよ。俺はお前らの味方だ」
「殺すわよ」
「なんでだよ」
「冗談よ。一応は信頼してるのだからよろしくね」
「了解した」
◆
城を出て、あらかじめ決めておいた城下町の宿に向かう途中、僕の目から、とうとう涙が溢れた。
「ど、どうしたんだジンノ!!」
「いや、僕が悪いんです……僕が勝手に舞い上がってたから……」
往来にも関わらず崩れ落ち、四つん這いで僕は嘆いた。
「舞い上がってたって……!?」
「僕が勝手に思い込んでたんです……アーリンみたいな素敵な女性が、僕だけを愛してくれるだなんて、都合のいいことを……」
「ヴォルトレットはお前だけを愛しているぞ!?」
「いいんです気をつかわなくても……相手は一国の王ですから、アーリンが心奪われても仕方ない……」
おいおいと泣き出した僕の背中を、ハーティさんがさすってくれている。優しい……けどこの優しさに甘えちゃダメだ。
「ハーティも、僕以外に、愛する男性がいるのならあらかじめ教えておいてください……心の準備をしておくので……」
「何言ってるんだ!私はジンノ一筋だ!!」
驚いた顔をするハーティ。こんな愛らしい顔を見せる相手が他にいるかもと思うと苦しい。あぁ、僕はいつのまにかハーティさんにも心惹かれていたのか……。
「いいんです……だってそれがこの世界の常識なのでしょう……?それが普通だというなら僕も受け入れないと……」
「常識?」
「僕の世界では一夫一妻が普通だったので、慣れるまで時間がかかるかもしれません……けどこちらの世界は多夫多妻が常識だというのなら受け入れないといけませんよね……正直、アーリンにルテア王という存在がいたことはつ、辛いです……しかしこれは僕のエゴですから……」
涙を啜りながら僕が話すことを聞きながら、ハーティはポカンとした顔をしている。きっと僕がこんなことでショックを受けているのが不思議なんだろう。
「えーっと……そ、そうだな!!ジンノも、こっちの世界に慣れないといけないな!!」
「はい……」
「だが、こっちの世界にも、一途にひとりの男を想い続ける女というのも、いるんだぞ!!」
「いや、いいですよそんな、慰めなんて……」
ハーティさんが笑顔でそんな優しい嘘をついてくれる。なんて優しい笑顔なんだ。……ん?優しい笑顔か……?何か企んでるような悪い顔のような気もするけど……
「ヴォルトレットはたしかに、お前とルテア王の2人を愛している!!しかしそれはこの世界では普通のことだ!!責めないでやってほしい!!」
「そうですね……」
厳しいが、ハーティの言っていることは正しい。
「だけどな!?このハーティ・ヘッジホッグが愛するのは、ジンノ!!お前だけだ!!」
「え……?」
ハーティはキラキラした真っ直ぐな目で見つめ、僕の両手を掴みながら叫んだ。
「安心してほしい!!私はヴォルトレットとはちがい、生涯ジンノしか愛さないことを誓おう!!」
「ハーティさん……!」
なんて嬉しい言葉なんだ……!身勝手にも傷ついた僕の心の隙間に入り込んでくる……!ああ……僕はこのまま救われてもいいのだろうか……!?
「ほら!!またさん付けで呼んだな!!」
「あぁ、すみません……!」
「まったく、罰としてまた耳舐めだ!!さぁ!!早く宿に行こう!!そして耳舐めだけと言わず、傷ついたジンノの心を慰めるためなら、その先のことも何でもしてやろう!!私に全てを委ねるがいい!!そして、あんな浮気女ではなくこのハーティ・ヘッジホッグを第一夫人に……」
「だれが浮気女ですって?」
なぜか手をワキワキとしながら興奮しだしたハーティの頭上から、恐ろしいほど冷たい声が降って来た。
「あ……!?ヴォルトレットか!?これはその……!え、どこから聞いていたんだ!?」
「随分盛り上がって、静音魔法が効かないほどの大声を出していたわね。あなたの嘘八百は全て聞こえて来たわ」
嘘八百……?
「宿に戻ったら、キチンとジンノの誤解を解いてちょうだい。じゃないと、どんな手を使ってでも、あなたを殺すわハーティ」
「はい……」
誤解って何だ……?
◆
その日の夜
誰もいないはずの謁見の間で、ルテア王の低い声が響いた。
「アーリンがまだ何も知らない、というのは本当だろう」
国民に愛される一国の王とは思えないほど、重く陰のある声。
「本部が疑う必要はないと思うが」
「いえ、彼女たちは知ってしまいました!禁忌の一端を!」
そう言って、ジム・ウィルは大げさに笑う。大げさに手を広げ、大げさに話す。
「一緒にいた男、魔力の波長でわかります。あれは、『迷い者』なのです!」
「……本当か?」
「ええ、ならば石板のあの文字を解読した恐れがある。その上でもし、稀代の魔術師であるアーリンが本気で答えを求めたら……ああ恐ろしい!」
ジムの芝居に拍車がかかり、両手で顔を覆うようにして嘆きはじめる。
「責任はあなたにありますルテア王!緊急の事態だったとはいえ、事情を知らない、アンナ教徒でもない、ましてや男ですらないあの2人を向かわせるなんて!」
「わかった。ならば動こう。アーリン・ヴォルトレットとハーティ・ヘッジホッグの両名を調査する」
「調査など必要ありません!」
「ならば殺そう」
ルテア王もまた、大げさに宣言した。何もない上を見上げ、何か、天上の遥かな存在へと聞こえるように。
「全てはアンナ様の御心のままに」