コーヒーは飲むものですよ。吹き出すものではありません、お兄様。(知ってる)
鏡を覗いて見ると、俺の首筋にはうっすらとはいえない赤い痣が。
それはもうくっきりはっきり手の形を主張していた。
どうやって命の危機を乗り越えたのか?
内緒だ。
モテない君には殺意を覚えられそうなやり方でやり過ごしたとだけ言っておこう。
「それにしても急にどうしたんだ?」
俺は自分もシャワーを浴びて頭をスッキリさせてから、キッチンで二人分のコーヒーを淹れる。
俺はブラック、と言いたいところだが砂糖一匙にミルク少しで、フェリルには砂糖たっぷりでミルクなし。
リビングでソファに寛ぐフェリルはちゃんと服を着ている。
上は下着を着けていないので薄着の胸はバッチリ透けて見えるが。
コーヒーは魔王討伐の後に一部の土地で飲まれるようになった飲み物だが、始めは非常に人気がなかった。一部の好事家、というか世間からすれば変わり者が飲んでいただけ。
俺もその変わり者の一人だ。
数ヵ月前にどこぞの店のオーナーが砂糖やミルクを加えるという飲み方を発見してからは一般にも少しずつ浸透しつつある。
「お兄様は子供ですね」
「うん?」
ミルクなしのカップをフェリルに渡し、ソファの隣に背を沈めた俺に、フェリルの笑みを含んだ声が言った。
「大人の男性は何もなしのブラック?で飲むのがカッコイイ、のだそうです。お兄様はどちらも入れるのですね」
「アホ、んなこと一部の気取り屋が勝手に言ってるだけだろ」
「そうなんです?ま、お兄様はもともと自堕落な引きこもりの一文なしですから、いくら接吻や交尾が上手くてもあまりカッコイイ大人とは言えませんが」
「……ぶほっ!」
「あら、汚いですね」
ああ汚い。
吹き出したコーヒーがシャツにも床にも飛び散ったよ。
だが、今はそれどころではない。
聞き捨てならないセリフを耳にした気がするのだ。
どこだ?
接吻?交尾?
いやそこも問題だが。
だいたいキスはつい先程も拘束を解かせるために行ったが、交尾はまだ致してない。
致してもいないことを上手いと断定されるのはプレッシャーというか……。
接吻だの交尾だの言い方が古めかしくて余計恥ずかしいわ!
……いや、だがたぶん。
問題はそれでは……。
「とりあえずしてもいないことを上手いと決めつけるのはやめろ」
頭の中でフェリルのセリフを精査しながらひとまず注意しておく。
「なんと!お兄様は交尾が下手だと言うのですか?そんなまさか、それでは私のめくるめく官能の日々と子沢山の未来が……。やはりここは私が勉強しておくべきなのでしょうか。そういったお店の方に教えを受けに行くべきですか。それにしてもお兄様は自堕落で引きこもりでヘタレで一文なしで挙げ句交尾が下手だなんて!どうしようもない不良品ですね。ですが、私は愛がありますからすべて受け止めてみせましょう!ご安心下さい」
つい先程、殺そうとしておいて何を言う。
なんか増えてるし。
「誰がヘタレだ誰が」
「おや、女性の側がいつでもバッチ来い!とお待ちしてますのに中途半端にしか手出ししないオスをヘタレ以外になんと呼べばいいんです?悔しかったら手を出してごらんなさい!」
ほら、と胸をつき出して両手を広げるフェリル。
頼むからもう少し恥じらいを持て、と言いたい。
ノーブラだからバッチリ形が透けてるんだって。
嬉しくないわけではないが。
(男だからね)
だからと言ってではありがたく、とはなかなか行けないものなのだ。
フェリルは実の妹も同然の存在だし、あまりにアケスケに迫られたら逆にちょっと引くっていうか、しかもフェリルは種族も違うし。
始めてがそれで大丈夫か?とか思ってしまうのだ。
ドーテーとしては。
けしてフェリルが嫌いとか可愛くないとかは言わないが。寧ろ美少女だし。どちらかというと断然好みだし。
だがしかし。
だがしかし!
かといってやっぱり踏み込めないのは師匠のことがあるからか、俺がドーテーだからか。
「誰が出すか!それより一文なしってどういうことだ?」
俺は曲がりなりにも英雄の一人だ。
幾つもの国からそれなり以上の恩賞を受け取っている。
それこそこの家も含めあと五年はごろごろして働かずに済むくらいには。
「お兄様のご様子からもしや、とは思っていましたが。昨夜のことを覚えてないんですね」
ーーこれだけ酒臭を匂わせているくらいですから仕方ないですかね?
「昨夜?」
「お兄様は昨夜カジノに行かれました。そこで何をトチ狂ったか散々賭け事に乗じ、最終的には全財産、及びご自身の魔導武器さえも取り上げられたのですよ?」
なん……だ、と。
「ついでに言いますとこの家も名義が変更されておりますので、すでにお兄様のものではありません。可及的速やかにできれば今日明日じゅうに出ていってほしいとのことです」
ペラ、とフェリルが顔の前に突きだした紙は確かに財産やら魔導武器やらの差し押さえ証書と家の名義変更の証書に間違いなかった。