四季の巡る国
冬心、あなたに溶かせますか?
ある国に、寒がりの王様がいました。
冬になると「寒い、寒い」と暖炉の前で手をこすり合わせて、毛布をかぶったまま動かなくなるのです。ですが春、夏、秋、のあいだにしっかり働いているので、この国は冬になってもちっとも困りません。
冬は耐えて過ごすもの、と王様は冬になる度に言っていました。
しかし、今回の冬は違いました。
暦のうえでは春がきてもおかしくない時期なのに、この国には春が訪れません。
季節の塔に、冬の女王様が閉じこもってしまったのです。
困った王様は、扉を三度叩きました。
「冬の女王や、出ておいで。もう春の女王は支度ができておるのだよ」
王様のうしろには、たくさんの兵士が並んでいます。
言うことを聞かなければ、王様の命令ですぐにでも突撃しそうな勢いです。
ですが冬の女王は、王様の言葉に答えても、顔を合わせることはありません。
「王様、お願いです。もう少しだけお待ちください、私はまだ塔を出る準備ができておりません」
その言葉に、王様は苛立ちを隠せませんでした。
すでに7度、同じやりとりを繰り返しているのです。
「冬の女王よ、それはもう7回も聞いた。国の皆が春を待ち望んでおるのだ。皆を困らせるのも、いい加減にしなさい」
王様は頭を抱えるようにして、じっと扉を見つめます。
どうして冬の女王が季節の塔から出てこないのか見当もつきません。
兵に命じて扉を力づくでこじ開けたいところでした。
ですが、そうもいかない理由がありました。
それは春の女王に、冬の女王と入れ変わるように言ったときのことです。
王様は名案をかかえて、冬の女王の住まいを訪れました。
「春の女王よ、おまえが行けば、冬の女王も出てくるのではないだろうか」
その言葉を聞いた春の女王は、じっと黙ったまま静かに考え込んでいました。
春の女王は鮮やかな彩りの服で着飾って、その姿は見るものの心に花を咲かせます。季節の塔に入れば、すぐにでも草木は芽吹き、花は咲き乱れるにちがいありません。じっと冬を耐え忍んだ生命は息を吹き返して、今にも恋に落ちるでしょう。
「どうだ春の女王よ、冬の女王を説得してはくれないか」
王様は悩んだ末に、周囲に誰もいないことを確認して、ひとつ頭をさげました。
王様は国のいちばんえらいひとで、これまで頭をさげたことがありません。
もしそんな姿を見せてしまえば、王の権威はすぐにでも失墜して、この国はめちゃくちゃになってしまうでしょう。
けれど王は、承知のうえで頭をさげました。
「この国に春がこなければ、どんな生き物もやがては凍えて死んでしまう。春の女王よ、お願いだ。冬の女王を季節の塔から出しておくれ」
真摯な態度の王様に、春の女王の心は揺れ動きます。
「王様、頭をあげてください。私にもそのお気持ちはとてもよくわかります」
春の女王は、王様の前でひざまずきました。
自分の目よりも低いところに王様の頭があることなど、あってはならないことなのです。
「では、やってくれるか」
王様の瞳がぱっと輝きました。
しかし春の女王は、しゃがみこんでうつむいたまま顔をあげません。
「そうしたいのですが、私は冬の女王のお気持ちもわかるのです」
「ほう、冬の女王の気持ちがわかるのか。それはいい、ならば今すぐ説得に行ってはくれないか」
「王様、よく聞いてください。冬の女王が季節の塔に閉じこもってしまったのは、ちゃんと理由があるのです」
「理由、理由か。なるほど、しかし今はそれどころではない、国の一大事なのだ、まずは冬の女王を季節の塔から出してくれ」
理由ならあとからいくらでも聞こう、なあに咎めることなどしない──王様は愉快そうに笑いました。
それを見た春の女王は、悲しそうに首を振ります。
「それではだめなのです、冬の女王に季節の塔から出てもらうことはできません」
「バカなことを言うものではない。これ以上、冬が続けば皆は死んでしまう」
王様は大きな声で、春の女王にこの国の惨状を訴えました。
飢えと寒さ、さらには春がこないという恐怖に国じゅうは暗い顔です。
このままずっと冬のままだったらどうしよう──皆がそう思っていました。
「ですが、王様──」
「もういい、もういい──」
ついカッとなって、春の女王の住まいを後にしてしまいました。
王様も、春の女王の言い分はわかっています。
冬の女王にも何か理由があるのでしょう──ですが、このまま冬が続けばこの国はおしまいなのです。
「どうしますか、突入命令さえあれば、すぐにでも冬の女王をこの塔から連れ出してみせますよ」
兵士たちの隊長が、剣を片手にやってきました。王様がいけと命令すれば、身体の大きな兵隊たちは一気に塔へとなだれこむでしょう。うすい扉の一枚など、すぐにでも破ってしまえそうです。
「ううむ、決断のときか──仕方がない、やれ」
王様の一声で、兵士たちはいっせいに扉を壊して塔へと入っていきました。
ですが──いつまで待っても、誰も帰ってきません。
「うーむ、どうしたのだろう」
王様は首を傾げて、入口の外から中を覗きこみます。
そこには氷漬けになった兵士たちが並んでいました。
あの強そうな隊長も、剣を振り上げたまま凍ってしまっています。
その傍らには、冬の女王が悲しそうな顔で立っていました。
「冬の女王よ、そこから出てくるのだ」
「いいえ王様、まだ私は準備ができていません」
首を振って、塔の奥へと姿を隠してしまいます。
ちからづくでもダメとなると、王様はもうどうしようもありません。
おまけに兵たちは、王様が帰ったあとに氷から解放されて、冬の女王から暖かいスープをごちそうになったそうです。
困った王様はお触れを出しました。
「冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない」
お触れを見て、聞いて、3人の魔法使いがやってきました。
ひとりめは、春の魔法使いです。
「なあに簡単なことですよ。冬の女王が、自分から外に出てきたくなればいいのですから」
春の魔法使いは、お花やお菓子をたくさん抱えて、季節の塔へと入っていきます。
扉は壊れたままなので、入るだけなら簡単でした。
しかし、お花もお菓子も冬の寒さで凍えてしまい、春の魔法使いも自分の魅力をうまくアピールすることができませんでした。
「すみません、頑張ってみたのですが」
春の魔法使いは、困り顔で帰っていきました。
ふたりめは、夏の魔法使いです。
「春の魔法使いはバカだなあ、モノに頼るなんて情けないぞ。私は自分自身の魅力で、冬の女王様を季節の塔から外に出してみせますからね」
夏の魔法使いは太陽のような満面の笑みです。
「冬の寒さもなんのその、私は夏の魔法使いだぞ」
王様に胸を張って、自慢げに季節の塔へと入っていきましたが、すぐに逃げ帰ってきました。
それもそのはず、夏の魔法使いは半袖のシャツに半ズボン。
おまけに履物はビーチサンダルで、がたがたぶるぶると震えています。
「あそこはいけない、私の自慢話を聞いているのかいないのか、返事のひとつもくれなかった。それに考えてみれば、夏さえあればいいではないですか。そもそも王様がきちんとしつけないからいけないのです。私ならそんなことはしません」
夏の魔法使いは、王様に不満をぶちまけました。しかし、結局は何もできません。さんざん文句を言ったあとに、王様に褒美をねだったものですから、兵に追い出されてしまいました。
さんにんめは、秋の魔法使いです。
「まあ、どうなるかわかりませんがね、まあ、やってみましょうか、まあ、ものはためしといいますから、まあ、なんとかなるものですよ、こういうものは」
実に悠長なかんじで、のらりくらりと塔へ入っていきました。
しかし入ったはいいものの、いつまで経っても出てきません。
王様が不安げに待っていると、やがて秋の魔法使いが出てきました。
「いやあ、中は寒いですね。風邪をひいちゃって、冬の女王様に看病してもらっていましたよ」
なんと冬の女王を塔の外に出すどころか、秋の魔法使いが塔の中で養生していたというのです。これではダメだと王様も判断して、丁重にお帰りいただきました。
「ううむ、この国ももはやこれまでか。私も最後の王として歴史に名を残すことになるとは思わなかった」
王様は少しだけ残念そうに、雪の空を見上げます。
長く続いたこの国を終わらせることは、王にとってさほど悲しくはありません。
けれど国じゅうの民のことを考えると、いてもたってもいられませんでした。
「民たちには本当に迷惑をかけた。すべては私の不徳といたすところだ」
誰もいない自分の部屋に戻ってから、王様はさめざめと泣きました。
ぽろぽろと溢れる涙も、寒さですぐに凍ってしまいます。
ころん、ころん、と涙の宝石がたくさん足元に転がっていました。
コツ、コツ、コツ──ドアが三回ノックされました。
「待て、いま支度をしているところだ」
泣き顔など、王様は見せられません。
慌てて顔を服の袖で拭うと、鏡を見てニッコリ笑顔の練習をします。
そこにはいつもの、誰にでも優しい王様の顔がありました。
「よし、入れ」
弱気を隠そうと、王様は少しだけ威張った口調で来客を招きいれます。
開いた扉の向こうには、春の女王の顔がありました。
それを見た王様の表情が、ぱっと明るくなりました。
「おお、ついに冬の女王と交代してくれる気になったか」
「いいえ王様、ですがお触れを聞いて、私も何か力になれると思いました」
「ふむ──困ったな。冬の女王と入れ替わってくれるわけではないのか」
「ええ、それは私ではできないことなのです」
「困ったな、困ったな、それではもうどうにもならない」
手を取り合って嘆くふたりに、どこかから声がしました。
「なァに、王様にはまだできることがありますよ」
王様はきょろきょろと周囲を見回して、声の主をさがします。
「誰だ、どこにいる、何者だ」
慌てる王様の手を、春の女王はきゅっと握りました。
「落ち着いてください、私の友人です」
「ほう、そうか、しかしどこにいるのか」
扉のむこうからひょっこり顔を出したのは、冬の魔法使いでした。
「ここですよ」
どうやら廊下でずっと待っていたようです。
「そんなところに立っていないで、部屋のなかに入りなさい」
王様は暖炉の前で手招きしました。
「いやァ、私たち冬の一族は暖を奪いますからね、傍にいるだけで風邪をひいてしまいます。王様が風邪をひいたとあっちゃ、お付きの人たちが気の毒でさァ」
「そんなことはないぞ、それは迷信だ。なにしろ秋の魔法使いが風邪をひいて、冬の女王の看病でよくなったのだからな」
「ほう、それは面白いですね。寒いのに元気になるとは」
「いやいや、そんなものだ。心が冷え切っては、身体が暖かくてもどうにもならん」
「なるほどなるほど。ですが、その逆もダメでしょうね」
「うむ、心が温かくても、身体が寒くてはつらかろう」
王様は自分で言って、はっと気づきました。
足元には、涙の宝石が転がっています。
「どうしたのです。女の身である私に、議論はよくわかりませんが、何かいい手を思いつきましたか」
王様の真剣な表情にそれ以上は声をかけず、春の女王はそっと暖炉に薪をくべました。春の女王の役割は、王に進言することではありません。冬の女王と交代して塔に入り、この国に春を呼ぶことなのです。
ですが──春、夏、秋、冬。
それぞれの女王にも、思いというものがきちんとあります。
王様は少しだけ考え込みました。
今、自分が冬の女王にしてあげられることは何なのか。
「やはり、会いに行くことだろうな」
王はきっぱりと言いました。
冬の女王に会って、話をして、からだとこころを暖めなければいけません。
「私も、それがいいと思います」
「そうだな、そうしよう」
王様がにっこり笑うと、足元にこつんとぶつかりました。
下を向くと、涙が凍ってできた水晶がいくつも転がっています。
春の女王がそれに手を伸ばしかけましたが、王様が先に拾い集めました。
王様が泣いていたことなど、誰にも知られるわけにはいかないのです。
「王様、それは──」
「何も言うな、王は常に強く正しくなければいけない」
王様は厳しい顔で、春の女王に首を振ります。
それを見た冬の魔法使いは、そんなふたりを悲しそうに見つめていました。
「王様も、孤独なのですね」
「なに、それが仕事だからな。贅沢は言えないさ」
強がって見せる王様に、冬の魔法使いは部屋の暖炉に手をかざしました。
「──この火は、今の私には暖かすぎますね」
にこやかに笑った冬の魔法使いは、溶けるようにいなくなってしまいます。
王様はあちこちを探しましたが、どこにも見当たりません。
かわりにひとつ、声が聞こえました。
「その水晶くらいの暖かさが、冬の一族には心地いいんですよ」
その一言に、賢い王様ははっと気づきます。
「冬の女王よ、ひとつ頼みを聞いてくれないか」
「はい、なんでしょう」
「この水晶を、ネックレスに仕立て上げる方法を教えてくれないか」
「ええ、もちろんです、王様」
春の女王は微笑んで、ひとつずつ手順を教えていきます。
王様は素直に頷いて、分からないことがあれば何でも聞いて、水晶をお洒落なネックレスに作り直しました。
そして、王様の手にはネックレスとイヤリングがありました。
「余りもので悪いのだが、これはお礼だ、受け取っておくれ」
「では、その手でつけてくださいな」
春の女王の耳にイヤリングをつけると、ぱっと輝きを増したように見えます。
「似合っているかな」
「ええ、王様がくれたものですから」
「このネックレスも、冬の女王に似合うだろうか」
「はい、もちろんですとも」
その言葉を聞いた王様は、覚悟を決めました。
「では、いってくるよ」
「はい、いってらっしゃい」
王様は部屋をあとにすると、駆け出しました。
国の民のことを考えると、のんびりはしていられません。
けれど冬の女王を急かすわけにもいきませんでした。
季節の塔を前に、王様は考え込みました。
「まずは、扉を直さないと」
目の前の扉は、兵士が蹴破って、壊れたままです。
金具にかなづち、木の板にのこぎり、王様はひとつずつ丁寧に直していきました。慣れない仕事で扉はおかしな形になってしまいましたが、王様は心を込めて直しました。
「これで、よし──と」
こつ、こつ、こつ──王様は、あらためて扉を三回ノックします。
「……どなたですか」
「私だ──すこし話がしたくてな。塔のなかに入れてはもらえないだろうか」
しかし、返事はありません。
王様の心臓が、早鐘のように鳴っています。
けれど、ここで帰るわけにはいきませんでした。
「すこし、話がしたくてな。外は寒い、できれば部屋の中がいいのだが」
「塔の中は冷え切っています。王様は、お城の暖炉前でお休みください」
「ああ、だから私が塔のなかに入れば、少しは暖かくなるだろう」
とんちんかんな王の返答に、少し間が空いてから、扉が開かれました。
「ありがとう、ありがとう。外は寒くてな、なかなか老骨には応えるものがある」
「それで──お話とはやはり、春の女王と交代でしょうか」
久しぶりに見る冬の女王の顔は、ずいぶんと痩せこけていました。
長い冬を続けているぶんだけ、命をすり減らしているのです。
王様はそのことに気付くと、ずきんと胸が痛みました。
「いいや」
王様はきっぱりと言いきりました。
しかし、次の言葉が見つかりません。
「ええと、その、だな──」
国のこと。
民のこと。
春の女王のこと。
そして──冬の女王のこと。
王様の背中には、いろんなものがのしかかっています。
王様の両肩にも、いろんなものがのっかっています。
王様の両手には、たくさんの守りたいものがあります。
「その、あの、ええと、だな──」
「その箱は、なんでしょうか」
「──うむ?」
冬の女王の目は、王様が持っている箱に釘付けでした。
「とても、暖かいですね」
「あ、ああ、そうだ、まずはこれを受け取ってくれ」
王様は、そっとその箱を差し出しました。
床に片膝をついて、一言だけ。
「長い間、寂しい思いをさせてすまない」
そして椅子に座ると、また、考えを言葉にしようと唸りはじめます。
それを見た冬の女王は、くすりと笑ってしまいました。
「王様、もういいのです」
「いや、よくない。私は冬の女王を不幸にしたのだ」
「いいえ、大丈夫です。この箱を見て、すべてわかりました。私は塔を出ます、春の女王を呼んであげてくださいな」
そう言って、プレゼントされた箱を大事そうに抱きしめました。
「冬の女王よ、その箱を開けて、中身を見てはくれないか」
「はい、喜んで」
箱を開ければ、中身は水晶でできたネックレスです。
王様は、それをそっと冬の女王の首にかけました。
「私に、似合いますか?」
「ああ、とてもきれいだ」
「この水晶は、とても暖かいですね」
「熱で、冬の女王が溶けてしまわないか?」
「いいえ、王様。この暖かさは、冬の一族が心待ちにしていたものです」
「そうか、そうか──私も大事なことを忘れていたようだ」
王様と冬の女王は優しく抱き合い、そっとくちづけを交わします。
お互いの心臓の鼓動を聞いていると、静かな気持ちになれました。
「さて、もういかないと──春の女王がきっと待っています」
「名残惜しいが、また来年の冬になれば会えるだろう」
「ええ。そのときに、また──」
冬の女王は冷たい風に乗って、消えていきました。
「ああ、来年また会おう」
王様は心に残った温もりを忘れないように、一粒の涙をこぼしました。
涙はすぐに凍ってしまい、一粒の水晶へと形を変えます。
その一粒を拾い上げると、大事そうに懐へしまっておきました。
それは──忘れることのできない、大切な約束。
ある国に、四季を愛する王様がいました。
春になれば、芽吹いた草木に微笑みかけます。
夏がくれば、元気な鳥たちと一緒に歌いました。
秋がすぎて、月を見上げてはそこにある風流を楽しみます。
そして──冬とともに、大切な温もりを握りしめていたそうです。
春、夏、秋、冬。
いつでもしっかり働いているので、この国の民はちっとも困りません。
四季それぞれに大事なことがあるのだよ、と王様は皆に教えました。
その国は、四季を巡らせて、いつまでもいつまでも幸せだったそうです。
大切なものは、見つけられましたか?