03-2
バスに乗っている間に、小坂が絵本を見た時の事を話してくれた。
それは市立の児童図書館で見たのだと。
その図書館はどちらかと言うと繁華街よりも住宅街寄りに有るのに、わざわざ街へ向かう意味が陽成には分からなかった。
だが街の中で気配を消したのだから、そちらにも〈ルート〉はあるのだろう、と巳央は言う。
よく分からないが、とりあえず本屋巡りでもするか。と言う事になり、街中の適当な場所で降りた。
どこの本屋も児童書の、しかも絵本売り場のエリアなどたかが知れている。
「まずは陽成。なんとかフィールドのなんとか、ってタイトルでリスが表紙に居るヤツ、探して来て」
「巳央達は?」
「ここで待ってる」
歩道で待つと言うふたりを残して、陽成は本屋に入った。
地元で展開しているローカルチェーン店の一支店である。街のど真ん中と言うほどでもないがビジネス街に近いため、大人向けの本が多い印象であった。
少し歩くとレジの右奥に、子供向けのコーナーを見つけた。
絵本のコーナーに入る。そのコーナーだけ床と壁が淡いオレンジ色に塗られていて、可愛らしい雰囲気だった。
アイランド式の売台に定番・人気作が集められている。サッと見たところ、そこに目的の絵本はは無いようだ。
壁の面出しされている本を眺める。無い。
今度は棚差しされている本の、背表紙をひとつひとつ確認した。
狭いコーナーにしては結構な冊数があり、時間がかかるし結構疲れる。けれど、無い。
陽成は何も手に取らず店を出て、待っていたふたりに「無かった」と伝えた。
「じゃ今度は小坂な」
心外だ。信用されていないのだろうか。
「いや、無かったから」
「無かったって言ってるよ?」
「うん。だから、普通の本を探してるわけじゃないからさ。とりあえず行って来て」
納得出来かねる表情のまま、小坂は中に入った。
「どぉ言う事?」
思わず声がムッとなる。
「お前には見つけられない、って事かな。俺が行っても多分同じだ」
「巳央にも見つけられないって事?」
「そ。〈ある特定の人物の前にだけ姿を現す〉なんて物体、この世には結構溢れてるんだ。特定の人物と言うより〈条件〉って事かな」
小坂はすぐ出て来た。「あったよ」と呟いて。
「じゃ、もう一度中に入って、その本持って待ってて」
再び小坂を店に入れ、数秒経過してからふたりで店内に入った。
絵本のコーナーで言われた通り、本を持って小坂が立っている。
近寄ると腕を差し出して「これ」と言った。
チャットウィンフィールドのなかよしきょうだい
それがタイトルだった。
パステルカラーの緑色の草原をバックに、二匹のリスが向かい合っている表紙だ。
「どっどこにあった?」
「そこ」と人気作コーナーを指差した。
――うっそ……!
本を手に取り、巳央がパラパラとページをめくる。
横から覗き見た限り、特に奇妙な内容ではないみたいだ。
あいつがオレのどんぐり食ったの食わないの、花の蜜がどーのこーの言っている。どこにでもありそうな内容だと陽成は思った。
「ここ、一階は雑誌とビジネス書がメインなんだな。二階は……各種専門書や参考書か」
エスカレーターの近くに、このビルの案内板があった。巳央はそれを読んでいるようだ。エスカレーターは本屋の玄関口近くで、ここからは結構離れているのに。何と言う視力。
「バックヤードにも勿論、在庫がたんまりあるんだろうな」
「そりゃそうだろうね」
「ふぅん」とひとりで納得している様子。
「あと二、三軒ハシゴして、古本屋にでも行くか」
「古本屋、って」
「お前が購入するんだよ、この本。なら定価より安く買いたいだろ。件の図書館には多分だけど、この本の記録は無いから貸し出してもらえないだろうしな。……で、昼はラーメン屋にでも行ってみようぜ。そこにも本、いっぱい置いてたりするんだろ? 漫画とかさ」
「いやあの、制服で?」
「お前の病院の付き添いの帰り、って事にすりゃ違和感無いだろ」
――いや、ありまくりだと思うけど。
「ラーメン屋にコイツが出現するかどうか見てみようぜ」
本を置いてある事が条件なのだろうか。なら、わざわざラーメン屋じゃなくてもよさそうなものだが。
「そりゃ美容室とかにも雑誌置いてたりするんだろうけどよ、ラーメンより高いぞ? 金出すのは陽成、お前なんだからな?」
「えっ! ラーメンにして!」
「だろ? 俺って優しいよな?」
同意を求められた小坂が「う、うん」と困ったような声で返事をした。
巳央は得意げに「ほらぁ~」と笑う。いつものニヤニヤ顔で。
繁華街中心部にある有名チェーン店の本屋に到着した頃は、お昼の少し前だった。
ファッションビルの最上階フロアが全て本屋と言う造りで、ここは若い女性向けの本がメインのようだ。
各種お洒落雑誌がズラリと並び、関連商品も取り揃えられている。
他にはアイドル雑誌や、掃除や料理などの実用書と言うのだろうか。それ系の雑誌やバックナンバーなどが大量にある。
そして意外にも漫画のコーナーが広かった。
有名作品の新作が山積みされ、そのバックナンバーが棚に並べられているようだ。
タイトルは人気作に偏っているように見えた。後は各出版社の今月の新作が少しずつか。ライトな読者が多いのかも知れない。
そして児童書コーナーへ。
陽成には見つけられず小坂の前にだけ姿を現す絵本は勿論、そこにも実在した。
「ま、ここはこんだけの量があるなら当然か。夕べ、あのクソうさぎが消えたのも〈ここ〉だったかも、な」
店内を見回して巳央が呟く。
ここに来るまで最初の本屋を入れて四件、確認して来たが、どこでも小坂の前にだけ本は現れた。
とするなら、図書館でもそうだったのだろう。
彼女を選び、彼女の前に現れるのだ。その絵本は。
絵本に意思などあるのだろうか。
最初に出版されたのはもう何十年も昔の外国で、この作者が生きているかどうか分からない。
作者は外国人女性だった。当時二十代後半のようだから……現在、生きてても高齢者。
本の中に、うさぎは出て来ない。
出て来ないうさぎが絵本のように小坂に憑いていたのは、どう言う事だろう。それも巳央には分かっているのだろうか。
いや。こうやって一緒に本屋巡りをしているくらいだ。まだ分かってはいないはず。
犯人があのうさぎだったとしても、原因はまだこれからだと巳央も言うのだし。
「小坂もさすがに疲れたろ。ラーメン行こ、ラーメン」
――僕だって疲れた。
ため息が零れる。
すると小坂が寄って来て「大丈夫?」と心配してくれた。
女の子に弱気なところなんて見せられない。陽成は「うん」と頷いた。
一瞬笑って見せようとしたけれど、筋肉が先に「痛いっ」と抗議して来たので、結局笑えなかった。
「考えてみれば、そのケガも私のせいなんだよね……ごめんね」
「いや、ほら、巳央だって原因をまだ掴めていないんだし、小坂さんだって何も悪くないよ」
「だけど……ごめんね」
「謝らなくていいから、さ」
「じゃ……ありがと」
「え。う、うん」
「ありがと」
「分かったよ、分かったから」
「うん。ありがと」
陽成は顔がとても痛かったけれど、笑った。苦笑いだと思う。だけど笑った。
そしてようやく小坂も、小さく笑ってくれた。
「早く来いってー。俺、腹減ってるんだからーっ」
エレベーター前に立ち止まっている巳央から抗議される。
こちらは歩くのも必死なのだから、もう少し優しくしてくれてもいいのに。
――これじゃ座って授業受けてた方がマシだよ。ったく、迷惑なうさぎだな。見つけたら僕も毛をむしってやろうか。十円くらいの円形に。恥ずかしい姿に。
猫とかうさぎとかハムスターとか大好きなのに。
そんな自分がうさぎを目の前にして心を鬼にし、毛をむしれるだろうか。
自信は、無い。
鼻をヒクヒクされてフゴフゴされたら、気力と闘志が抜けてしまうかも知れない。
あの毛まみれの足でキックやパンチをされたら……喜んでしまいそうな自分が怖い。
いやいや。犯人のうさぎは自分達の敵なのだ。
容赦無く無惨にもむしってやろう。覚悟しておけ。
巳央がズル剥けにすると言うのなら、止めやしない。ざまぁ! と言って笑ってやる。絶対にだ。
「やっぱラーメンは塩だな、塩!」
巳央は余程空腹だったのか、大量の麺を一口で啜り込む。
とても旨そうだが、さすがヘビと言うべきか。人の姿で飲み込む姿は、なかなかシュールだ。
開いた口と同じ太さにまとめられた麺が、そのまま喉へと流し込まれてゆく。
見ているだけで呼吸が止まりそうだ。
「巳央、煮卵とチャーシューあげる」
「おう、さんきゅ。お礼にネギやろうか?」
「いや、遠慮しとく」
「そりゃ良かった。俺はネギも好きだからな」
「うん、知ってる」
小坂が呆れ顔を隠そうともせず、こちらを見ている。
妙な物を見つめるようなその視線が、結構痛い。
この店はメインストリートから少し入り組んだ場所にあり、近くで仕事をしているサラリーマンらしき人達が多いようだ。
ほぼ男性のひとり客で、なるほど漫画も必要とされているな。
割と静かな店内で目立ちたくないから、声も抑え気味に出す。
入店する前、巳央に「チェックしとけ」と言われたので置いてある本を見てもらったが、小坂の前にもあの絵本は現れなかった。
「ん。やっぱ〈ルート〉となるには、ある程度の本の〈量〉が必要なんだろうな」
そこのラーメン屋は壁一面が棚になっており、大漁の漫画が詰め込まれているのに。この程度では少ないようだ。
――まぁこの程度なら、所有してる家庭もあるかな。教科書だけでも結構な冊数になるし。
それに関する参考書や問題集、兄弟が居ればその数だって人数分だけ倍になる。受験生なんて本に囲まれてそうなイメージだし。
そんな民家にホイホイとヘンな本が出現しては、人の世界が迷惑する。
――ルートを出現させるためには、本屋の在庫程度は必要って事か。
「陽成ァ、この程度じゃ俺、やっぱ足んねーわ」
巳央がどんぶりを箸で軽く叩いて、音をたてた。
「えっ、ちょ……待ってよ」
――この後、本だって買わされる予定なのにっ。
「いやだからさ、家に帰ったら飯炊いてくれ」
「なんだ……それならいいよ。脅かさないでくれる?」
「湯山くん、ごはん作れるの? あ、そう言えば昨日、家事やってるって言ってたっけ。そっか。ごはん作れるんだ」
「まぁ、簡単な物しか作らないけど」
「何が得意?」
「コイツが好きでよく作るのって、カスタードクリームが多いよな?」
「えっ! 凄いっ。お菓子じゃんっ」
「う……凄くないよ。材料だってレシピだって初心者向けのレベルだし」
「凄くないぞ。こいつ、材料を火にかけてネリネリするのが好きなだけだからな。一回その姿見てみ? 魔女が膏薬でも作ってるのかってくらい、暗いから」
「何も作れない私に比べたら!」
それは作る気が無いだけだと思われる。だって小学校の頃から実習して来たはずだし。
「今度、何か作って?」
「教えて、じゃないんだね」
「うわ。湯山くんにツッコまれた……」
なぜそこで落ち込むのだろう。陽成がツッコんではいけないのだろうか。
と言う事は自分は、ツッコミキャラではないと言う事か。
まぁ学校では地味に生きてるし、それも仕方ないのかも知れない。
「落ち込むなよ、陽成」
「ちょっと、どうして湯山くんが落ち込んでるのよ」
「小坂のせいだろ」
「私、何も悪く無いもんっ」
陽成は黙ってラーメンを啜った。
早く店を出よう。なんだかとても恥ずかしいから。