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星空の海辺に  作者: あおい
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02-2

 ガツン! とした衝撃が背中を直撃した。

 呼吸も止まる。

 痛みに数秒、何も考えられない間があった。


 耳のすぐ傍で聞こえるタイヤの音と排気音、そしてブーイングのクラクションが鳴り止まない。

 それが「そんな所に居たら邪魔だから、どけ!」と言う意味である事すら、陽成には分からなかった。


 咳が出て、呼吸器が痛い。鼓動はドッドッドッドッ、と重くて速い。


 ――着地、してる……。


 心が呟いた、その時。

 腹部にドスン! とした痛みと重さが落ちて来た。


 再び呼吸が止まり、不快感が突き上げて来る。

 立て続けに脇腹を蹴られ、苦痛が口から漏れた。


 抵抗どころか「止めろ」と言う言葉すら、出て来ない。


 見知らぬ男は陽成の腹の上に、馬乗りになった。

 高校生くらいの男だ。襟首を締め上げられ、顔が近づい来る。


「お前の事、殴る」


 小さな声で男は呟いた。

 陽成はカッとして、男を退かせようと両腕を動かした。その時。


 右腕が誰かに踏みつけられたのが分かった。

 ハッとして視線を向けると、瞳孔を開いた人達に取り囲まれ、見下ろされていた。


 人が車道に増えた事で、クラクションの量が更に大きくなる。


 腕が三回、ガツガツと踏みつけられた。

 骨がコンクリートに打ち付けられて、痛い。靴の裏の溝が、腕の肉に食い込んで来る。


 頬を平手で殴られる。

 陽成は上の男を退かせようともがいた。胴体を捻って、振り落とそうと。


 だが右腕と同じように左腕も踏みつけられ、髪も地面に踏みつけられたのが痛みで分かった。

 頭の真上から生えた足が上に向かって伸び、胴体、そしてその上にこちらを見下ろしている中年男の顔が見えた。


 胴体に乗っている男が、陽成の両肩を上から押さえ込んだ。そして「ククク」と笑う。


「身動き出来ないな? これが数の暴力ってヤツなのかな? なぁ?」


 陽成は歯を食いしばって抵抗しながら、フと「何年ぶりだろうか」と思った。

 明らかな体力差のある相手から押さえ込まれ、屈辱と恐怖を与えられる事は。


 男の手が首に伸びて来た。

 陽成の意識が白くなる。

 前にもあったシチュエーションだ。あの時、自分の上から押さえ込んで居たのは……母親?


「一緒に死んで」と言われた気がする。

 その言葉は未だに撤回されてはおらず、陽成はあの瞬間から、いつかはあの人と死ぬのだろうな、と言う事を受け入れているような気がする。今も変わらずに。


 だって「ごめんね」とか「あれは嘘」だとか「撤回する」などとは、一度たりとも言われてはいないのだから。


 自分は、自分の意志とは関係無く死ぬ。

 今がその時なのか? とチラリと思った。


 いや。上に乗っているのは、母親ではない。見知らぬ男だ。

 こんな奴と心中はしない。親とだってしないから。


 その手がくいっ、と陽成の動脈を押さえる。

 喉からケロッ、とでも言うような音が出た。カエルみたいだ、と頭のどこかで呟いた。


 血管を押さえつけられているからだろうか。呼吸が思うように出来ないからだろうか。

 頭の中が熱くなって、意識がゆっくり沈んでゆく。


 これが〈落ちる〉と言う現象なのだろうか。意外と苦しくはないのだな……。

 周囲に響いていたはずの車の音も、遠くなってゆく。

 把握出来ているのは、頭に張り巡っている血管がドクンドクン、と苦しそうな脈を打っている事のみ。



「きゃーっ! 湯山くんっ!」


 女の子の声が聞こえた。湯山、と言っている。自分の事だろうか。


 上に乗った男が上半身を捻ったようだ。声の方向を見たのだろう。

 陽成の首にかけられている力が、わずかに緩んだ。


「きゃ! なっ何ですか、痛ッ……離してよ、止めてぇ!」


 ――聞き覚えのある……声。誰、だっけ。


 見ようと思っても、髪が踏みつけられているので頭部が動かない。

 視線だけ動かしても、人影やガードレールが邪魔して歩道の方が見えなかった。

 だが、視界の端にモメている気配はあった。


「どうしてこんな事になってるの、湯山くんっ」


 思考がほんの少しだけ戻る。


 ――……こさか、さん?


「んだ? 友達かカノジョか? 巻き込みたく無かったら、抵抗止めろよ……いや、抵抗してもらっても、いいけどね。それの方が俺、嬉しいかも!」


 頬を、今度は拳で殴られた。その反動で髪が引っ張られ、ダブルに痛い。

 口の中に鉄の臭いが充満する。頬骨がズキズキと疼いた。


 それから立て続けに殴られ、頭頂部を蹴られ、何が何だか分からなくなってゆく。

 ただ、心の中があの頃の自分になってゆく。


 幼くて無抵抗で、親を憎む事も出来なかったあの頃。



 キィン、と冷たい風が吹いたかと思った時、陽成の上の男が痙攣したのが分かった。

 腹の上でビクンッ、と動いたのを感じ、目を開ける。


 視界はボヤけてハッキリは見えないが、朧ろな影が仰け反っているのが見えた。

 陽成を踏みつけたり蹴っていた複数の気配が、スッと引いたのが分かった。


 ――なんだ……?


 警察でも来てくれたのだろうか。車道でリンチを受けていたら目撃者には事欠かないだろうし、通報してくれた人が居るのかも知れない。

 そう思ったのだけど。


「俺のテリトリーでコイツに手ェ出すなボケェ!」


 びゅるっ! と風を切って長い影が、上の男にヒットした。

 ちょっとだけ男の身体が浮いたかと思うと、投げ捨てられた重い荷物みたいに、アスファルトに転がった。


「どいつもこいつも、欲深過ぎんだろ。オマエらだよ、オマエら! あんなレベルのクソ低い呪文になんか踊らされやがって、恥を知れ!」


 また風が頬を撫でる。

 視界を流星群のように横切る小さな光。周囲で悲鳴が幾つも弾ける。


「痛いかバ~カ! とっとと目ェ醒まして帰りやがれ!」


「なんで……うさぎ、追って行ったんじゃ」


 近づいて来たシルエットが、目の前にしゃがみ込んでこちらを見下ろす。

 巳央だった。


「逃げられちゃった」


「嘘」


「ホント」


 おかしい。

 巳央が深追い出来ないなんてちょっと信じられない事だ。しかも地元で。

 でも彼と言い合いをしたいわけではないので、それはとりあえず置いておこう。

 それより。


「小坂さんが居ると思うんだけど、彼女をお願い……」


「あ? あいつ来てんのか」


 巳央は周囲を伺うように首を動かし、ある一点で止まった。彼女を見つけたのだろう。


「湯山くんっ、大丈夫っ?」


 彼女が走り寄って来る足音が聞こえた。

 そしてシルエットが陽成の視界に姿を現す。


「小坂さん、どうしてここに」


「え、っと、その……」


「俺達を追いかけて来るわけないもんなぁ~。夜遊びするつもりだったんだろ」


「そんなじゃ、ない……から」


「じゃあナンなんだ? 俺の言葉に怒ったから殴ろうと追いかけて来たのか? なら信じるけど?」


「それも違うっ」


 小坂に向かってニヤニヤ笑う巳央が、陽成の身体の下に両手を入れて来た。

 抱え上げられる。


「歩けるよ」と抵抗する。

 友達に抱えられて運ばれるなんて、男子として恥ずかしい。

 しかも〈お姫様抱っこ〉だ。繁華街のど真ん中で。


「うるさい。お前が回復するまで車道に放っておけとでも言うのか、迷惑な」


「そうだよ湯山くん、無理しちゃダメだよ」


 気遣われたって、恥ずかしいし情けないし。


「ムクれんな。ガラスのハートかよ」


 違うとでも言うのだろうか、心外である。


 一度、陽成を支える腕に力が入ったのが分かった。

 身体が傾く。ガードレールを超えたらしい。

 歩道に戻ったのだ。


 ――そう言えば鞄と飲み物……どうしたっけ。


 車道にぶん投げられた時、手放したような気がする。

 ならばどこかに落ちているだろう。探さなければ。


 陽成は首を動かして、それを探し始めた。

 夜道は店のライトで照らされている。そこを通り過ぎてゆく人達のシルエットが、チラチラと視界を横切る。


「それはそうと、お前さぁ」


 巳央が小坂の方を向く。抱えられている陽成も、視界が変わった。

 鞄を探しているのに、と再び視線を地面に走らせる。

 コンビニから車道へ向かった移動ラインの傍にあると思うのだけれど。


「親からカワイイカワイイ言われて育ったろ」


「は? 何よ突然」


「まぁどこの親も自分の娘は可愛いと思って育てるんだろうけどさ、実際、お前くらい可愛ければ自慢だわなぁ」


「意味分かんないっ。私が可愛いから『美味しそう』なんて言ったの? 痴漢ーっ」


 ――早く誤解を解いて! 痴漢が親友だなんて思われたくないから。


「な? 陽成。こいつ自分が可愛い事を否定しないだろ。そう言われて当然の環境で育ったからだぞ」


「ちょっと止めてよっ。まるで私、性格が悪いみたいじゃないっ」


「いや逆だつってんの。そうやって育てられたんだから当然の反応だって、肯定してるんだぞ。それくらい理解しろ。ブスが思い上がってる方が、どう考えても性格悪いだろ」


 ――確かにそうかも知れないけど、そうハッキリ言うのもどうなの。恐ろしい奴ぅ。


「お前、小坂とか言ったっけ。もう大丈夫だから、怯えて陽成を巻き込むの止めろ」


「大丈夫って何がよっ」


「憑き物落としたから、もう元に戻るって言ってんの。ここ数日の事は悪い夢でも見たと思って、早く忘れろ」


 ――憑き物って、うさぎ?


「始末はこれからだけどな。逃げられたから、今夜はとりあえずお開きな」


「えっ! 原因、分かったの?」


 小坂があんなに知りたがってた〈原因〉


「それはこれから探り入れる、今の段階で解説は出来ない。それよりひとりで帰れるか?」


「……うん」


「ダメだよ巳央、送ってあげてよ。僕はひとりで大丈夫だから」


 陽成は巳央の腕から、無理矢理降りた。

 頭も顔も背中も肩も腰も、殴られたり蹴られたりぶつけたりした箇所が疼く。

 でもそれは、抱かれていても同じだから。


「もぉ、メンドクセーなぁ。送ればいいんだろ、送ればっ。じゃ案内しろよ小坂っ」


「家は教えないからねっ。近くまでなんだからねっ」


「ストーカー扱いすんなっ。陽成の頼みが無きゃ、送んねーんだぞっ」


「そぉかしら?」


 言い合いをしているふたりは置いておいて、陽成は見つけた鞄を拾いに向かった。

 人に踏まれもせず、持ち去られもせず、鞄とコンビニの袋はあった。それを拾い上げて中を確認する。

 商品は揃っているし、ボトルも壊れていないようだ。よかった。


 腕が震える。筋肉のダメージは、思った以上に大きいのかも知れない。


 ――いや、日頃の運動不足が祟っているのかも。


 そっちの方が怖いではないか。まだ中学生なのに。


「どうした?」と背後から声がしたので、陽成は振り向いて巳央にペットボトルを一本、差し出した。


「はい。走ってノド乾いてないかな、と思って。巳央の分」


 巳央の好きなオレンジジュース。


「お、サンキュー。気が利くなぁお前は」


 目元に人差し指を当て、巳央が泣きマネをした。


 陽成は震える手でキャップを捻った。これでやっと水分補給が出来る。

 思い切りガバガバ飲む。途中、息継ぎをして更に飲む。

 水がこんなにも、甘い。


 飲み終わって視線をふたりに戻すと、巳央が苦笑いを浮かべてこっちを見ていた。


「え……な、なに?」


「いや、よっぼど乾いてたんだなって。鞄寄越せよ、持ってやる」


「いいよ、別に」


 と断る間にも、その手に奪い取られる鞄。

 陽成は「……ありがと」と呟いた。


 フと視線を感じ、小坂の方を見る。

 彼女は情けないものでも見るような表情を浮かべていた。


「私より全然、可愛がられてる」


 ――え? どう言う意味?


「横尾くんの言葉が、今なら少しだけ分かるな」


「横尾、何かヘンな事言ったの?」


「別に。湯山くんには教えてあげないっ」


「え、どうして……」


「だって何か、悔しいからっ」


「分からないよ」


「教えないったら、教えないのーっ」


 小坂が小走りで走ってゆく。


「走っちゃ危ないよーっ」と陽成は言うのだが、巳央は「放っとけ」と言ってジュースを飲んだ。

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