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星空の海辺に  作者: あおい
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01-2

 つらい時はいつも傍に現れて、気を紛らわせてくれていた、あいつ。


 陽成が生まれるよりも、ずうっと前から。

 両親があの場所に移り住む、ずうっと前から。


〈あの場所〉に居たのだと言う〈彼ら〉


 彼らは〈人〉ではなかった。

 だから少しだけ成長した陽成に、教えてくれたのだ。


『お前の両親が不仲になったのは、この〈土地〉に住んでしまったからなんだよ』と。


 世界には〈人が住むべきではない場所〉と言うものが実在しているのだけれど、人の社会はそんな事はおかまい無しに時を進んでゆく。


〈そこ〉に引っかかってしまったと言うだけの、世界全体から見れば小さな出来事で、誰も振り向いて「可哀想に」などと言ってもらえるような出来事ではなかった。


 なかった、はずなのだ。

 離婚なんて毎日無数に繰り返されていて、珍しい事ではないのだから。


 ただ、彼らはその手を差し伸べてくれた。

 生まれたての、何も分からないような陽成へ。



『目を閉じてみよよ、ヒニャ。しょこは暗闇ではにゃく、俺のちゅきなけちきが広がっちぇいるから。おみゃえを招待してやるにょ、トクベチュだじょ?』


訳:(目を閉じてみろよ、陽成。そこは暗闇ではなく、俺の好きな景色が広がっているから。お前を招待してやるよ、特別だぞ?)


 赤い果実を付けた樹がシンボルツリーのように凛々しく立ち、豊かな葉を風に揺らしている。

 緩やかな丘の向こうには濃い色の森が続いている。

 近くには滝でもあるのだろうか、くぐもった音と水の匂いがした。

 草原を風が吹き抜け、草がキラキラと輝いていた。


 銀色の髪も風に揺れてキラキラしている。

 白い肌は日本人ぽくはなく、青い瞳は夜空に輝く氷のようだった。


 着ている物はライムグリーンのシャツにネイビーブルーのパーカーで、とても男の子っぽい。

 鮮やかで青々とした衣装が、肌の白さや髪の輝きを際立たせていた。


 巳央、と言う名のお兄ちゃんだ。会うのはこれで三回目、だっけ。


 彼は「お兄ちゃん」だが〈大人〉ではなかった。

 自分よりは年上のようだが、大人ではない。大人に近い方の子供、でもない。

 まだまだ身体は小さかった。

 だが、陽成より大きいのは確かだ。

 だから「お兄ちゃん」なのだ。


 誰なのだろう、これは。

 ただ、顔は見える。

 丸い輪郭に円らな青い瞳が輝いて、綺麗だと思う。

 赤い舌がチロチロと見え隠れする口元は、笑うと小さな牙が見えた。

 噛み付かれると痛そうだな。意地悪そうな歯だ。


 その時、身体の〈外〉から両親の怒鳴り合う声が聞こえた。

 ビクッ、と反応すると。


『いいきゃらこっち向けって。コレ食ってみよよ』


 黄色と朱色の中間のような果肉が彼の指によって、口の中に突っ込まれる。


 あまりの酸味に、陽成の神経がビリッと反応した。

 ブヘッ! と吐き出すと巳央は、ヒャヒャヒャヒャ! と笑った。


 ムカついたので殴ろうと思うのだが、手足はジタバタするだけでちっとも拳が彼にヒットしない。

 陽成は自分がどのような姿をしているのか、理解出来ていなかった。


『悪りぃ悪りぃ。口にゃオしってヤチュにゃ、コレ食えにょ』


 陽成は疑惑の感情で彼を見た。

 口角を釣り上げて微笑む巳央の表情からは、何を考えているのか読み取れない。


『ちゅ(酸)っぱくねぇにょ。どんな味でみょ、ちゃっきのよりはマシだにょぉ~?』


 さっきのよりはマシ――。


 確かに。では。と気持ちを新たに、差し出された葉っぱを口に入れてみる。


 ぱくり。

 また神経がビリッと反応した。


『お? お? どうちた? にぎゃ(苦)きゃったきゃぁ?』


 分かっていたクセに。笑顔でそんな質問とは、性格が悪い!


 苦い、ではなく、渋かったのだ。

 両目をギュッと閉じ、何度も口をチュパチュパし続ける。止められない。


『きゃぁわ(可愛)いいにぁ~、おみゃェ~ッ。ウリ、ウリウリっ』


 頬をグリグリされる。

 お前のオモチャじゃねーぞ! と思うのだが、抗議の言葉も上手く出なかった。

 自分の口から漏れるのは、ブーブーとした音だけ。


『巳央様、生まれてまだ数日の人間の子を、あまりからかってはいけません……』


 ため息混じりの声がして、陽成はそっちの方を見た。


 大人の男に見えるモノが、困惑した表情をしてこちらを見ている。

 黒っぽい着物を着て、髪が少し長めの、涼しげな目をした男だった。


 年齢は……陽成の父親より若いだろうか。

 親戚だかイトコだか言うのを見た事があるが、これくらいだったような気がする。大学生、とか言ってたっけ?

 あの時の男ほどチャラチャラした感じはしなかったが。


『だってコイチュおみょちろいんだみょーん。おにゃじばちょにちゅんでるんにゃから、俺のてちたにちよっかにゃ~』


訳:(だってコイツ面白いんだもーん。同じ場所に住んでるんだから、俺の手下にしよっかな~)


『あなたの手下は私を始め、無数に居るではありませんか。小さな生命いのちをからかってはいけません。可愛いと思うのなら、可愛がってさしあげるべきです』


『これが俺にょきゃわいがり方にゃにょのぉ。……ちょれに、ちょうちょうニャデニャデちたくらいじゃ、こいちゅの気持ちの切りきゃえにゃんて、出来やちねぇって』


訳:(これが俺の可愛がり方なのぉ。……それに、少々撫で撫でしたくらいじゃ、こいつの気持ちの切り替えなんて、出来やしねぇって)


『あぁ、まぁ……それはそうかも知れませんね。でも彼らの不仲は、あなたのせいではないですよ、それは理解しておいて下さい。結果があるなら〈原因〉は、いつだって本人達にあるものです。この土地をわざわざ〈選び〉〈住んで〉しまった事は、彼らの〈因果〉なのですから』


 巳央は口をムッと曲げて、小さく言い捨てた。


『分かってるにょ』と。




 ある程度、小坂が感情を吐き捨てたと思われる頃にはもう陽が落ちて、夕食を摂る客が増え始めていた。

 小坂も、ここに来た時より表情が大分落ち着いている。


「じゃあさ、俺らが居ると言い難い事とかお互いにあるだろうから、先に帰るわ」


 横尾の言葉に陽成が「えっ!」と声を漏らす。

 中野も立ち上がって、自分の支払い分の金を置いた。


「後はふたりでごゆっくり。湯山くん、真夕の事、お願いね」


「ちょ……」と小坂も驚いている。


 ふたりは出口に向かってサッサと行ってしまった。

 思わず小坂と視線を交わし、同時に立ち上がってふたりの後を追う。


 陽成が代表して支払いを済ませ、慌ててファミレスから飛び出した時。

 三人は歩道に立って、一定方向を見ていた。


 陽成もそちらの方に視線をやると、女子高生が五~六人、歩道の隅で、ガードレールの傍でキャッキャと騒いでいた。

 だがそんなものは、珍しくもない光景ではないだろうか。


 なぜ三人が三人とも、固まったようにして彼女達を見ているのだ。

 まぁ確かに、うるさいけれども。


「どうしたんだよ」と横尾を背後からツツくと。


「いや、チラッと見えたのが……お前の友達に似てたから。ミオ」


「はあっ?」


 ――巳央? こんな場所に? なんで?


 その時、女子高生達の輪に小さな波が出来た。それぞれの足が一、二歩動く。


 彼女達の波の奥から眩しいほどの銀髪が見え、それがこちらに移動して来て姿を現す。


 女子高生達と身長はあまり変わらない、身体の華奢さも変わらない。

 でも目が覚めるような清涼感のある少年が居た――巳央だ。


 輪郭の傍で揺れているサラリとしたストレートの髪も、青い瞳も、白い肌も、氷像のように透明感がある。

 芸術家が自分の持てる感性と技術の粋を集めて作り上げたかと思うほど繊細で丁寧で、その顔立ちも完璧なパーツと配置とバランスを保っている。


 そんな奴が陽成と同じ中学の、男子の制服を着て立っているのだ。女の子の気を引かないはずがなかった。

 一言で言えば、目立つ。のだ。


「お前、何してるの」


「ん? ここ通ってたら陽成が見えたからさ、出て来るの待ってたわけ。だって友達と一緒のトコロ、邪魔しちゃ悪いじゃん?」


 で、ガードレールに腰掛けてたところを、女子高生達に囲まれたわけか。

 でも巳央が用事も無く、こんな歩道をウロウロしてるとは思えないけど?


「ん、て言うか、横尾くんじゃね?」


「えっ、覚えててくれたんですか? お久しぶりっス」


 横尾の表情がパッと明るくなる。


「そりゃ巳央が学校で世話になってるんだもん、当然っしょー」


 巳央は女子高生達に「バイバイ」と手を振って、横尾の前に来た。

 小坂と中野は、巳央に視線が釘付けとなり、固まっている。


「て言うか、どうしてうちの中学の制服着てるんスか」


 巳央はニヤニヤして「これ、陽成の」と言った。


 それから両腕を脇から少しだけ浮かし、肘を曲げ、掌は空に向けた。

 片足を一歩だけ引いて、上半身を斜め横に少しだけ倒す。

 それから片方の脚に掛けていた体重を、反対の脚へと移動させたようだ。


 巳央の身体がゆっくり、クルリと一回転する。

 そして再び正面に戻って来た所で微笑み。


「どう? 似合う?」とこちらに問いかけて来た。


 数秒間、答えられなかった。

 陽成は「何をやっているんだ」と少し呆れたし、他の三人は多分、その表情から察するに、見とれていた、のだろう。


 そして一番最初に動いたのは、中野であった。


「きゃーっ、カッコいい! 素敵っ! うっそ、美人ーッ! 青い目で、銀髪ぅぅぅぅーッッッ!」


 ――ちょ……中野さんが。あの中野さんが、はしゃいでる!


 小さい子が嬉しくてそうするみたいに、中野がピョンピョンとその場で飛び跳ねている。


「彼が、彼がっ。湯山くんの〈お友達〉なのっ? さっき横尾くんが話してた……」


「う、うん……そうだけど」


「へぇ? 俺、話題になったんだ?」


 ニヤニヤ。相変わらずニヤニヤ。

 嬉しそうであり、こちらをバカにしているようであり。

 よく分からないニヤニヤ。巳央の、ニヤニヤ。


「友達だよぉ。仲良しだもんなァ~、俺達ィ」


 右腕で首をホールドされた。

 苦しい、ギブギブ! とタップするのだが、力を緩めてもらえない。

 いつもの通り、今夜も意地悪である。


「ゆ、湯山くん……大丈夫?」


 小坂の声に小さく首を横に振る陽成。


「……ん? んんんっ?」


 陽成の首をロックしたまま、巳央が動いた。小坂に向かって。


「えっ、な……何ですか!」


 小坂は怯えたように、後ずさった。

 それでもグイグイと近寄ってゆく巳央。引きずられる陽成。


「何ですか! 何ですか! 何ですかっ!」


 距離を詰めようと巳央は更に踏み込んでゆく。

 もう、今にも小坂が悲鳴を上げて逃げ出すのではないだろうか、と陽成が思った時。


 陽成の身体は、巳央から捨てられるように解放された。

 押し出されたのでバランスを崩し、陽成の意思とは無関係に、脚が数歩フラフラと動く。

 が、途中で体勢を何とか立て直し、真っすぐに上体を起こした。

 運動神経はあまりよくないが、ど根性である。


「あっ……あのっ」


 小坂の声にハッとして、陽成はそちらを振り返った。


 巳央が両腕を伸ばし、小坂の両肩を正面から押さえつける。

 小坂が驚いて「きゃっ」と短い悲鳴を漏らす。


「ふぅ~ん」とイヤらしく笑い、巳央は両腕の肘を曲げた。

 曲げた分、ふたりの距離は縮まり、近づく。


 小坂が顔を真っ赤にし、硬直してしまっている。

 巳央のあの顔が突然、自分に迫ってくれば、拒否しきれる女の子など居ないだろうし、逃げ出せる子も居ないような気がする。


 そして巳央は自身の顔を、小坂の耳元から首筋の方へと落とした。


 小坂は一度、ビクッと身体を痙攣させてから、身動きしなくなる。

 いや、出来なくなる、と言った方が正しいのだろうな。


 陽成は慌てて巳央に駆け寄る。

 だが体勢を変えもしない彼の右手にこめかみをヒットされ、思わず後ずさった。


「いいねぇ~、お前。凄く美味そう」


 聞き間違い、でなければ、巳央はそう言った。


 ――ちょっと待て、どう言う意味だ! 美味そうって……小坂さんが?


 人ではない巳央が、人間の女の子を捕まえて――美味そう?


 ――どう言う意味だ! どう言う意味だ! どう言う意味だ! どう言う意味だ! 腹が減ってるのかっ?


「動くなよ、そのまま……いっただっきまー……」


 その時「ぎゃ――っ!」と言う大絶叫が轟いて、ビュルッ! と強風が吹き抜けた。

 小坂や中野の髪やスカートが、大きく翻っている。


 その時、巳央が思い切りジャンプした。

 彼の脚は地面を思い切り強く蹴り、身体が宙に舞い上がる。


 傍に立っていた小坂のウエストより、胸より、肩より、頭より……スニーカーは高い場所まで浮き上がった。


 陽成の耳には微かなブチッ。とした音が聞こえた。

「ぎ……ッ!」と苦しそうな悲鳴が、渦巻くような風の中に紛れ込む。


 スタッ、と地面に着地した巳央は背筋を伸ばし、「ペッ!」と何かを吐き捨ててから空を仰ぎ見る。


 陽成は巳央の視線を見た。

 彼はすいーっ、と視線を動かす。

 その目は、流れるように〈何か〉を追いかけていた。

 この場所から、西の方角へ向かって。


「行くぞ陽成っ」と叫んで巳央がダッシュした。

 なぜだか慌てて、自分も追いかける。


「あ、あのっ、ごめんね小坂さんっ!」


 それだけを何とか言い残し、陽成は巳央の後を追いかけた。

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