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ピッコルの祭

作者: ふみ

きらきらと輝く朝日を受けて、ピッコルは大きく伸びをした。新しい空気を肺いっぱいに溜め、心臓の動きを確かめた。

 今日は、一年に一度の祭が行われる。ピッコルはやっと祭に出られる年齢になったのだ。


 かれは家の中に入ると、起きてきた母親にあいさつをした。

「母上、おはようございます」

「ああ、おはよう。今日はおまえの初めての祭だね。しっかりやるんだよ。体調はどうだい?」

「少し胸がどきどきするのですが」

「緊張しているんだね。無理もないよ。さあ、大根をすりおろしたからたんとお食べ。力をつけないと」

 母親は食卓に並べた大根おろしを示した。


 この大根はカヤガサの高級品である。その上、母親はそれに鮫の皮で造ったおろし器を用いたのだ。

 細かい鮫肌によってクリーミーにおろされた大根は、絶妙な舌触りに加えて素材の甘味を十二分に引き出されている。

「なんと!」

 一瞬でそれを見抜いたピッコルは、母親の背中に感謝の視線を送った。


 食べ終わると、ピッコルは自室に戻って丹念に身だしなみを整えた。特に、自慢の長い耳は丁寧にブラッシングをした。

 この耳を素早く動かすことによって水の中で推進力を生む。かえるだの、イルカだのの泳ぎを真似ている者は最早時代遅れである。

 オヨギウマーイ(実はピッコルの曾祖父だ)がかれらの一族の特長を生かした泳法を編み出してから急速に一族内に広まった。

 ピッコルは最後に一度だけ鏡の前で回転すると、足早に家を出ていった。


 ○


 村の広場へ行くと、そこは既にお祭騒ぎだった。鮮やかな空気が家々を満たし、立ち並んだ出店はかれらの明るい気分をさらに高めた。


 ただ、ピリピリした面持ちで辺りを行ったり来たりしている何人かは、祭の出場者であろう。祭といえど、かれら一族の名誉をかけた勝負なのだ。となり村に負けては恥になる。


 親友であり幼なじみのトモダッチがピッコルを見つけた。

「やあ、ピッコル」

「よう、トモ」

 かれはピッコルよりもいくらかぽっちゃりとしており、気のいい性格をしている。トモダッチも今日初めて祭に参加するのだ。

 普段は村のやんちゃコンビとして名前を知られている二人だが、今日は双方緊張の面持ちであった。


 二人は受付場所の海岸へ向かった。祭では陸上部門もあったのだが、二人はあえて水泳部門を選んだ。小さい頃から海で遊んでいたため、他の者より上手に泳ぐことができたからだ。

 かれらの役目は陸路で繋がれてきたたすきを受け取り、海に浮かぶ小島へとなり村より先にたどり着くことである。


 受付を済ませると、一匹のかめが近づいてきた。となり村のライマルバルだ。

「きょん! ピッコルとトモダッチではないかきょん!」

 嫌な奴に会っちまったな、とピッコルは顔をしかめる。


 ライマルバルはこれまで全てにおいてピッコルに勝ってきた。学校の書写コンクールにおいても、給食を食べる速さにおいても。そして――泳ぐ速さにおいてでも。

 もちろんライマルバルたち、かめの一族の方が泳ぎに適したからだの形状をしているが、それを除いてもライマルバルは圧倒的であった。

 ライマルバルは今日、となり村代表としてピッコルと同じ区間を泳ぐことになっている。

 今日こそ雪辱を果たすのだ、とピッコルは心に誓った。


 そもそも、この祭の始まりは紀元前の故事にある。

 昔々、ピッコルの一族の者が、かめの一族の者を世界で一番のろいとばかにした。それに抗議したかめと勝負をすることになったが、かめを侮り競争中に昼寝をした一族の者は負けてしまった。


 それ以来毎年のように勝負をするようになり、いつしか村どうしの名誉をかける祭にまで発展したのだった。最初の内こそただ走るだけであったが、次第にハードル、火の輪くぐり、パン食い、そして水泳とコースは追加されていった。最終的には両村の若者全員がたすきをつなぐ戦いとなった。


 陸から離れた小島がゴール地点であり、ピッコルこそがアンカーなのだ。だからこそ、負けられぬ。

 ピッコルの肩にはただ個人的なライマルバルへの対抗心以上に、一族の名誉もかかっていた。


 ○


 遠いところでピストルが鳴った。いよいよ勝負が始まったのだ。


 いつのまにかピッコルの側に来ていた母親は、かれに優しく声をかけた。

「筋肉の具合はどうだい。母さんがマッサージをしてやろうか。お腹は空いていないかい。さっき出店でゆでにんじんを買ってきたんだよ」

 しかし、母親の言葉はピッコルの頭の中を右から左に通りすぎていくだけだった。


 そんな様子を、ライマルバルはにやにやしながら眺めている。かれにはあるのだ。圧倒的な自信と、プライドが。


 伝令が飛び込んできた。

「現在、約二テロムロ地点です! 私たちの村が七百ムロほどリード! 」

 大体、半分の距離を進んだことになる。

 かめ村に泳ぎで勝つことは難しい。陸上で差を広げておくことが定石である。ピッコルの先輩たちは順調に差を稼いでいるようだった。


 そこへ、奇妙な進み方でやってくるかめがあった。少し坂になった砂浜を、こうらを下にして高速で滑り降りてくる。

 この進み方はかめ族のスベルノハヤーイが編み出したという技で、腹を守るというこうらの役割を真っ向から無視する画期的なものだ。坂道が多いコースでは、平地や上り坂でついた差を一気に縮めることができる。

 ピッコルたちが以前ほど陸上でリードを奪っておけなくなったのもこのためである。


 ピッコルは「まさか、もうかめ族の選手が到着したのか」と不安に陥ったが、それは違った。


「へい野郎ども、今日もハッスルしているかい!」

 逆さの状態から尾の筋力で軽やかに跳躍し、回転しながら着地したかめはサングラスを取りながらポーズを決めた。舞い散る砂がさながら桜ふぶきのような効果をもたらす。

「きょん。兄ちゃんやっと来たきょん」

 現れたのはそう、ライマルバルの兄である。

「済まなかったな。今朝は人生という道に迷ってしまってな……」

「ただのねぼうきょん」

「何も言えねえ」

 兄は自分の顎を一度なでると、アンニュイな表情を浮かべた。


「おや、きみが僕と同じ区間を泳ぐトモくんだね。弟からよく話は聞いているよ」

 兄はトモダッチに手を差し出した。トモダッチは少し震える手で握手を交わす。前半の区間が兄とトモダッチ、後半の区間がライマルバルとピッコルだ。

これで役者は揃った。


 ○


 また、伝令である。

「現在、三テロムロ地点です! 我らが四百ムロほどリード。そろそろ準備してください」

 先程よりも差が減っている。ピッコルとトモダッチはそれを守り抜かねばならない。

「トモ、頑張ってくれよ。後半は任せてくれ」

 ピッコルは呟くように言った。

「もちろんだよ。ピッコル、二人で力を合わせて必ず勝利しよう」

 トモダッチはできるだけ明るくつくろって答えた。


 係員に連れられて、ピッコルとライマルバルは船で沖へ。中継点に着くと、大きな錨が下ろされた。

 中継点から小島までは五百ムロほどである。しかし、ピッコルにとっては二、三テロムロはあるように思われた。


 小島には既に走り終えた仲間たちが待ち、上空でははるか遠くからやってきたスズメたちが祭を見物している。

 海岸の方に目をこらすと、がやがやと集まる観客を分かつ道の先頭に、トモダッチと兄が並んでいる。


 軽やかなピストルの音が何度も響いた。

 それに押し出されるようにして出てきた選手はトモダッチにたすきを渡す。選手はそれきり倒れ込んだ。

 すぐに海へ飛び込んだトモダッチは猛スピードで泳ぎ始める。もちろん、オヨギウマーイ式泳法だ。


 このフォームは独特である。水に浮いた状態で足側を進行方向とし、かれら一族の特徴的である長い耳を回転させる。

 どっしりとした体格であるトモダッチは脂肪が多いために浮きやすく、幅広い耳はそれだけ多くの水を掻く。

 まさに、トモダッチのための泳法といったところだ。


 周りからは応援や野次が飛ぶ。その中をトモダッチは懸命に泳ぎ続けた。


 ○


 トモダッチが二百ムロほど進んだときのことだ。

 また、ピストルが鳴る。


 かめ族の選手が海岸へ入ってきた。思ったよりも早かったな、とピッコルは舌打ちをする。

 兄はたすきを受け取ると海へ滑り込んだ。


 速い。

 それは誰の目から見ても明白だった。

 深く水を掻いた足はなめらかなカーブを描いて元の位置に収まった。長く伸ばされた首はまるで某預言者がやったように水を左右に割り、水の抜け道を形成する。


「カヤガサだ!」

 群衆の誰かが叫んだ。

 それは伝言ゲームのように伝わっていき、

「カヤガサ! カヤガサ! カヤガサ!」

ついには大合唱となった。上空のスズメまでもが叫んでいる。

 ピッコルは唇を噛み締めてうつむいた。悔しいが、あのフォームは見事すぎる。このままだと自分まで「カヤガサ!」と言ってしまいそうになったからだ。

 兄の距離はぐんぐんと伸びていった。それに気づいたトモダッチは耳をちぎれんばかりの速さで動かし続けるが、差はみるみる内に縮んでいく。


 中継点まで残り五十ムロの時にトモダッチは兄に並ばれた。必死に泳ぐトモダッチだが、その焦りがかえってあだとなったようだ。

「トモ、頑張れ! あと、あとちょっとだぞ!」

 ピッコルは声を張り上げて応援する。

 しかし、兄は三十ムロのリードを奪って船に着いた。

「ぷはっ。気持ちいい! ちょう気持ちいい!」

 兄は満足げに拳を突き上げ、ライマルバルにたすきを渡す。

 ライマルバルは余裕をもって海へ入った。


 少し遅れてトモダッチも辿り着く。

「ピッコル……ごめん。僕……。僕……」

 泣きそうな顔をするトモダッチ。

「何言ってるんだよ! むしろ、あの泳ぎに対してリードをこれだけに抑えたんだからすごいもんさ。僕が勝ってくるから、笑って待ってなよ」

 ピッコルはほほえむと、冷たい水に飛び込んだ。


 ○


 ピッコルはオヨギウマーイ泳法の基本姿勢をとったが、ライマルバルがかなり先にいるのがよく見えた。

 速く、速く、速く。

 ただそれだけを考えて耳を動かす。トモダッチに約束したのだ。負けるわけにはいかない。


 ピッコルはひたすら泳いだが、離されてはいないものの近付いてもいない。

 もうすぐコースの半分に差し掛かるところだ。そろそろ距離を縮めていかなければ危うい。


 どうすればいい。

 ピッコルは必死に考えた。

 ふと海底を見ると、沈没船があった。黒い船体に緑色の藻が貼り付き、鬱蒼とした雰囲気を感じさせる。ただ、出入りする銀色のさかなや蛍光色の貝がそれをうまく中和していた。

 この船のことはピッコルもよく知っている。かれがまだ幼いときに、船上で火災があり沈没したのだ。船はむこうの大陸から物資を運んでくるそれなりに大きなものだった。幸いにも乗組員は無事だったが、ピッコルの通う学校では沈没船に出る幽霊の噂が流行した。


 ピッコルには一つ思い付いたことがあった。コースを外れ、沈没船まで深く潜っていく。


 ○


 母親はスズメに乗っていた。

 なんとか頼み込み(スズメに何かを頼むときは袖の下に米つぶが必須である。それさえあれば、かれらは快く頼みを聞いてくれるだろう)愛する息子を上空から応援していたのだ。

 しかし、ピッコルが海面から離れ深く潜っていくのを見て不審に思った。

 どうしたのかしら。まさか、意識をなくして沈んでいっているなんてことは……。すぐにでも助けに行きたい気分だったが、祭中の選手に手出しすることは禁じられている。

 あの子には何か考えがあるのだわ、と自分を落ち着かせた。


 一方、ライマルバルは小島まで残り百ムロといったところだった。背後からはピッコルの気配さえ感じられない。かれは勝利を確信していた。


 突如として変化が起こった。


 何かが水中を高速で突き進み、ロケットのような軌道が青い中に白線を生み出した。ピッコルは水面から高く飛び出した。

 かれは数テロ年ぶりかのような心地がする空気を心行くまで吸い込む。

 そのままライマルバルのすぐ横に着水した。


「きょん!」

 ライマルバルは驚きに顔を少し歪めたが、すぐに冷静さを取り戻して泳ぎ続けた。

 並ばれた。この僕が。

 ピッコルには負けたくなかった。今まで積み上げてきた自信をここで失いたくなかったのだ。


 しかしピッコルも負けられない。

 かれとて雪辱の念やよき友人への思いを抱えているからだ。


 ゴールまで五十ムロ。あとは気力の戦いだった。

「きょんきょんきょん!」

 ライマルバルは雄叫びをあげながら進み続ける。

「しーー!」

 ピッコルの固く歯を食い縛った口からは長い息が漏れた。必死の形相で前だけを見つめ続ける。


 上空から見ていた母は、無事に姿を現した息子に安堵するとともにそんな二人を見て涙を流した。

こんなにすごい勝負を見られるなんて何年ぶりかしら。ピッコルはここまで戦い抜いたのだもの、たとえ負けても構わないわ。

 母親の思いは、知らぬ間に声となって漏れていたのだった。

 かの女を乗せているスズメが言った。

「お母さん、負けてもいいなんてこたぁ言っちゃいけませんぜ。最後まで息子さんの勝利を信じなすって、応援しましょうや」

 母親ははっとした。

「そうね……。そうよね。わたしが信じなくてどうするのよ。ありがとう、スズメさん」

「お気にしなさんな。少し高度を下げやしょうか」

 スズメは十サタカほど下降した。


「ピッコル、頑張るのよ! 負けるな!」

 ピッコルの耳に母親の声が届いた。その声はかれの鼓膜を揺らし、骨を震わせ、脳の奥へと浸透していく。

 時に厳しくも、優しい母。幼いピッコルが転んで怪我をした日には、痛みが治まる呪文をかけてくれた。病気にかかった日には、付きっきりで看病してくれた。

 そんな母が、自分についていてくれる――。その感情は、じんわりとかれを温めた。


 泳げる。


 残り十ムロ、ピッコルは最後の力を振り絞り急速に速度を上げた。

 ほぼ同時、いや――ほんの少しピッコルの方が早かった。かれは陸に這い登り、地面に刺さった旗を抜いた。

かれは勝利したのだ。


 ○


 ピッコルはトモダッチや、一緒にたすきを繋いだたくさんの仲間に囲まれていた。

 トモダッチが言う。

「ピッコル……勝ってくれて嬉しい」

「どういたしまして。でも、僕が勝てたのはトモのおかげでもあるんだ。みんなで、掴みとった勝利だ」

 トモダッチはほほえみ、それから歯を見せて笑った。

「そうだね!」


 ピッコルは母親を見つけた。

「母上! 母上の応援のおかげで私は頑張れました。ありがとうございました」

 深々と頭を下げる。

「何言ってるんだい。ピッコル、お前の力だよ」

 立派になったね、と言って母親はピッコルの頭を撫でた。照れ臭いです、とかれは頬を染めた。

「それにしても、一度潜った後に水中から飛び出したけれど、あれはどういった理屈なのかい?」

「沈没船の帆を利用したのです。まだきれいに残っていましたから」

 船の帆はホウライマワタから作った布が利用される。この植物の繊維はよく伸び、弾力も高いためだ。ピッコルは帆の一部を伸ばして引っかけ、パチンコのように飛び出していったのだった。


 そこへライマルバルが姿を現した。

「ピッコル。その……。僕は勝てなかったけれど、いい勝負ができて楽しかったきょん」

 ライマルバルは手を差し出した。

「僕も楽しかった。ありがとう、ライ」

「来年こそは負けないきょん!」

 二人は固く握手をした。


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