『海女亭』
ヤスさんの命令で仕方なく『海女亭』に向かった。貸し切り状態の座敷は混み合っていた。何かあるたびに集まるのは、何もリュウジのためばかりではない。少しでも街の中で結婚率をあげ、過疎化を防ぐ、ようするに合コンだった。
それでも特に新しい顔はない。おもらししている頃からの知り合いにはそうそう恋愛感情がわくものでもない。その証拠に、街の女はリュウジに群がり、男達はリュウジの女に群がっていた。
「カホちゃんっていうの?」
「はい」
「名前も都会っぽいなぁ」
カホはほんの少し茶色くした髪を肩に垂らしていた。潮焼けしていない髪は艶やかで、緩やかにカールされている。ピッタリと体のラインがでるシャツに崩した足はジーンズに包まれていた。
「タク、来い」
ヤスさんに見つかって手招きされる。ほぼ全員の視線が注がれる。リュウジだけが目を逸らす。
「こちらカホさん」カホは足を正してお辞儀する。
「こいつはタク。リュウジとは……小学校からか」
「……保育園から」
「そんな長さです」
カホは艶やかに笑い頷きながらリュウジの膝に手を置いた。綺麗に切り揃えられた爪は薄いベージュに塗られている。俺は軽く挨拶をして、少し離れたテーブルに着いた。カホがよく見える場所に。
二人は本当に仲睦まじいという言葉がピッタリだった。
「どっちが先に惚れたの?」
「どこで告白したの?」
そんな質問のたびに顔を見合わす。顔を見合わすたびにカホの睫毛の上下が狭まる。リュウジの息がかかりそうな程、近くに頬を寄せる。
「いい女だよねぇ」小一時間程して、一通り冷やかし終わったのかツヨシが俺のところにやってきた。
「俺、あんな折れそうな腰の女と、やった事ない」
その腰にはリュウジの手が回っている。
「やっぱ都会はいいなぁ」
ツヨシの話は聞いていなかった。リュウジがトイレに立つ。カホもついていく。俺も少しして何食わぬ顔で後を追った。
「大丈夫?疲れた?」リュウジの声がする。
「ううん、平気。だけど昔の女関係の話はやめてほしいわ」
「ヤキモチ?」
「私が嫉妬深いのは知ってるでしょ」
「昔の事」
「それでも嫌よ」
「今はカホだけ」
「あら、今だけ?」
「いや。これからもず……」
リュウジの言葉が唇で塞がれた事に気付き、歯軋りした。
「んん。先に行ってて、トイレ行って来る」
出てくるリュウジからそれとなく身を隠し、座敷に行くのを確かめて男性用のトイレに立った。
トイレからでると計算通り通路でカホと出くわした。
「どうも。昼間もお会いしましたよね」リュウジに向けるのとは明らかに違う愛想笑い。甘い香水の匂いがする。
「一辺に紹介されても覚えられないでしょう」
「ええ。でもあなたは覚えられそうだわ」射抜くような目で見られ、何かが弾け飛んだ。
この女を傷付けてしまいたい。
「俺の妹も覚えておいたほうがいい」
「え?」
愛想笑いがいらいらする。
「リュウジの事好きだから」
「……」
口が勝手に動く。仔犬みたいな子供の頃のリュウジを思い出す。
「今回は女連れだってがっかりしてた」
「……」
「可愛がってもらえんって」
「……」カホの顔が歪む。
「あいつが帰って来ると妹は外泊するからなぁ」
「やめて」なんでリュウジなんだ。そんなにリュウジが好きか。
「あんたにする事を俺の妹にもするんだよ」
「聞きたくないわ」
カホが避けようと腕をだす。立ちはだかる。
「ああ、間違えた。順番からいえば妹にしてきた事をあんたに……」
「何作り話してるんだよ」背後にいたのはヤスさんだった。
眉間にしわを寄せたカホを庇うようにしながら、俺を睨みつける。
「タク、飲み過ぎだ」
「……」
「もう帰れ」
俺は無言で立ち去ろうとした。カホの射抜くような眼差しが向けられる。
「リュウジは私が守るから」
凍るような冷たい瞳。
「可哀相な人」
俺は黙って店を出た。




