『あの事』と仕返し
『あの事』を知ってるのは、俺とリュウジとヤスさんだけだ。
高校に入ってもリュウジは相変わらずだった。少し違ったのは、いじめられっ子のリュウジを知らない、違う中学校の出身者がいる事で、リュウジは以前に比べれば、からかわれなくなっていた。表だっては俺も以前程リュウジにからまなくはなっていたが、相変わらずあの笑いが嫌いだった。
ある日、駅の近くの草村でリュウジの姿を見つけた。かばんを置いて、何かを探しているようだった。辺りに人影はない。俺も一人だ。俺はリュウジに近付いていった。
「何やってんだ」リュウジはビクッとしてこちらを見上げ、
「探しモン」というとまた地面に目を向けた。
その態度が気に入らなかった。一瞬向けた視線の中に、明らかな憎悪が見えた。
(リュウジのくせに!)
俺は足元にあったリュウジのかばんを蹴飛ばした。
缶の筆箱が派手な音をたてて、教科書と一緒に散らばった。リュウジは手を止め、ゆっくり振り返ると、俺を見る事なく、教科書を拾い集めだした。
俺はその姿を見下ろしていた。今までとは違うその態度に、さらにむかついていた。
(リュウジのくせに……リュウジのくせに!!)
リュウジがすべてを拾い終わって、俺の足元に残っていたかばんに手を伸ばした時、俺はその手を思い切り踏み付けた。
再び、筆箱が飛び散る音がする。と、同時に俺は一瞬視界が真っ白になった。顎に激痛が走り、口の中に血の生臭い感触が広がる。すかさず腹を蹴られ、足払いをされた俺は仰向けに倒れた。リュウジが覆いかぶさってくる。俺も応戦した。体の大きさが勝る俺の拳は何発か、リュウジの顔や体をとらえたが、リュウジの拳の正確さには敵わなかった。
何発殴られたかわからない。見えにくくなっていく視界にリュウジの顔があった。いつものヘラヘラした笑いはなく、かといって燃えたぎるような怒りでもない。凍るような目がそこにあった。
「もうやめとけ」
弾むようなヤスさんの声がする。ヤスさんの家は道路を挟んで向かい側だ。走ってきたのだろう。引きはがされるようにリュウジは離れたが、俺は身動きできなかった。
「タク、大丈夫か」
「……」黙って頷く。筆箱の音がする。パンパンとかばんをはたく音。教科書がかばんにしまい込まれる気配。ぶらんと垂れ下がった手には、俺の血かリュウジの血かわからない血痕。
「行こう」
ヤスさんが手を貸したのはリュウジだった。
俺は置き去りにされた。ヤスさんの、
「タク、いい加減にしとけよ」という言葉と共に。
家に帰るとマナミが電話を切ったところだった。
「あ、タク兄お帰り。今ヤスさんから電話で……」
心の中で舌打ちをする。ヤスさんは次の世話役だ。逆らえない。
「今日呑むから五時に『海女亭』集合だって。私も誘われた」
「お前は来るなよ」
「なんでよ。リュウちゃん先輩帰ってきてるんでしょう、行く」
――ガンッ
横殴りに壁を叩く。
(どいつもこいつもリュウジ、リュウジ……)
「タク兄、いい加減にして!私、絶対行くからね!」
また家をでる俺を、マナミの怒鳴り声が追い掛けてきた。
『あの事』があったからといって、別にリュウジががらりとかわったわけではなかった。ただリュウジは俺達同級といるよりも、ヤスさん達といる事が多くなっていた。俺は必要以外リュウジとは口もきかなくなっていた。
リュウジはモテた。隣の商業高校の女子が駅で手紙を渡しているのを何度も見かけた。だが誰かと付き合っているわけでもないらしく、それがまたむかついた。
ヤスさんが卒業し、ヤスさんの息がかかった先輩が卒業し、俺はリュウジに仕返ししてやろうかと機会をうかがっていたが、叶わなかった。三年になってからリュウジは休みがちになり、卒業したと思ったら、ふらりとどこかに消えた。
何年かに一度ふらりと帰って来ては数日でいなくなる。まともに顔を合わせたのは、去年のリュウジのお袋さんの葬式だった。お袋さんは、俺達が中学の頃から病院通いをしているくらい長く患っていた。
顔は合わせたが言葉は交わさなかった。リュウジも何も言わない。形勢は逆転したのか?
本当は俺の仕返しはずっと続いていた。毎年ある小中学校の同窓会。幹事の俺は、リュウジにだけ一度も連絡しないでいた。




