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波の遠吠え  作者: 志内炎
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いじめられっ子の凱旋

この小説は完全なフィクションです

「タクちゃん、なんか見かけない女がいる」

街に二軒しかないパチンコ屋の片方で、しこたま負けた俺とツヨシは、メインストリートである横幅だけはやたら広い、駅に続く道を走っていた。

 駅前で立っている女は確かに見覚えがない。白い肌が眩しい。括れたウエストから尻のラインがいやらしい。少し笑顔をつくるような唇はぽってりと光っている。

「あんな格好してるの、街の人間じゃないだろ」

「たしかに。あんなほそっこい女、おらんね」俺達はスピードを落として近付いた。

 女は何か探している様子もなく、単線の線路の駅舎を眺めていた。黒い帽子を深々と被り、サングラスをかけている。黒いスーツのスカートはタイトで、膝上まで。そこから伸びる脚は大きなダイヤ柄の黒いストッキングに被われている。

「葬式行くみたいだな」

「最近葬式なんかなかったでしょ」

「じゃ墓参りか」

「んん。一番最近は……」

 一台の軽自動車がロータリーに入ってくる。

「あれカタセさんちの車じゃね?」軽自動車には二人の人影がある。一人は漁協で事務をしているカズミ。もう一人は……

「まさか……」

 俺達は顔を見合わせた。女の側に停まった車から降りて来たのはリュウジだった。


「俺のかばんも持てよ」

 ぎっしりと教科書のつまったランドセルを、既に全身に鈴なりにかばんをかけているリュウジの目の前に置いた。

「もう持てないよ」

 俺よりも頭一つ半小さな体は、身動きするのも辛そうだ。リュウジは困ったように、それでも笑っている。

 俺はその笑い顔が大嫌いだった。ちょっと整った顔をしているからって、漁協の世話役のカタセさん家の子供だからって、母ちゃん連中にちやほやされている。漁師の息子なのに船酔いするくせに。勉強だって運動だってたいしてできないくせに。

 俺はリュウジを軽く蹴飛ばした。ランドセルを抱えたまま、小さい体が転がる。

「持てないなら、自分のかばん置いてけ」リュウジは情けなさそうに笑ったまま、自分のかばんを木陰に下ろし、みんなのかばんを体にかけていった。


「よう、カズミ」

 リュウジの後ろ姿がピクリと動く。相変わらず俺より頭一つ半小さい体は、都会暮らしでほそっこい。

「あ、タクさんこんにちは」

 カズミは屈託なく笑う。女はゆっくりとサングラスを外し、その大きな目をあらわにして、こちらに向かって会釈した。

 その瞳の力強さに、思わず息を飲む。睫毛はしっかりとカールされ、上下に開いている。無機質に茶色い瞳は表情がないのに、まっすぐ俺を射抜いていた。

「リュウジ、帰ってたのか」ツヨシが声をかける。

 リュウジはゆっくり振り向いた。笑っている。

「おう」

「冷たいじゃねぇかよ」

「昨日来て、明日帰んだ。また十月にはゆっくりくるからよぅ」連絡をしていなかった事に言い訳をするように言った。

 女は、微笑みを絶やさないままリュウジの横顔を見ていた。そして車に顔を突っ込み、カズミに声をかけた。カズミは振り向くと、

「タクさん、今から母さんの墓参りいくから、また後でね」

 女は深々とお辞儀し、リュウジの肘にそっと触れ、後部座席に誘導すると、自分は助手席に乗り込むとシートベルトを締め、サングラスをかけた。


 中学に上がってもリュウジは相変わらずだった。ヘラヘラ笑い、母ちゃん達にはちやほやされている。

 あれは中学二年の夏。浜でみんなで遊んでいた。ふざけてリュウジの海水パンツを脱がす。

「やめてくれよぅ」そう言いながらも笑っているリュウジの顔がむかつく。

 海水パンツをつかんだまま、俺は浜を歩いた。ザクザクいう足音に、リュウジの声がまぎれて小さくなっていく。俺は十分くらい歩いて、リュウジの家の前の浜で海水パンツを捨てた。

 その後どうしたかはしらない。ただ俺達の遊び場はいつも同じだったし、小学校も中学校も地域には一つしかない。たいした日にちもあけず、リュウジはヘラヘラ笑っていたような気がする。

 漁港にいくと、カタセさんの船は港についていて、休憩所にもその姿はなかった。休憩所には漁を終えて一風呂浴びたが、母ちゃん達に邪魔にされたか、行き場のない同僚たちがたむろしていた。

「さっきリュウジがいてよ。女連れてた」

「カタセさんそれで急いで帰ったんか」

「どんな女やった?」

「顔はよう見えんかったけど、えらいほそっこい女やった」

 ツヨシが腰をくねらせて女の体を表現すると、いやらしい歓声があがった。

「都会の女か?」

「ああ、間違いないね、都会の女だ」

「リュウジは今どこにおるん?名古屋か?東京か?」

「東京だろ」

「どっちにしても遠いわな」

「……嫁やろか」

「……」休憩所は水をうったように静まり返る。

「最後に結婚式したのは誰やった?」

「忘れた。最近、葬式ばっかりだろ」

「それか出戻りか」嘲笑が広がる。

「こんな小さい街に出戻りばっかり増えてもなぁ……」

 潮の香が鼻につく。みんな手にした湯呑みを回しながら見つめている。

「リュウジ長男やろ。後継がんのか」

「カタセさんは無理して継ぐことない、いうとったけどな」

「リュウジ、船あかんだろ」

 重苦しい空気が広がる。打ち消すようにツヨシが言った。

「カズミが婿とればええ。まだ青年部にも余りモンがようさんおるぅ」

「余りモンなんかカタセさんの前でいうなよ。殺されるぞ」

「タク、お前どうだ。マナミはカズミと同級やし、お前ん家は兄貴が継ぐだろ」

「絶対にいやじゃ」

 俺の声があまりにも大きく、ついでに動いた足が開いていた椅子を蹴ってしまったので、部屋はしんとなった。ふんと鼻がなる音がする。

「タク、お前まだあの事気にしてんのか」ヤスさんが半笑いでいう。彼は高校の先輩でもある。

「気にしてません」

「気にしとるだろ。子供じゃなぁ」

 俺はまわりに当たり散らしながら休憩所を出た。

「そんな癇癪やと、また嫁に逃げられるぞう。カズミも嫁にこんぞう」笑い声と一緒にそんな言葉が追い掛けて来たが、俺は無視して家に向かった。


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