江川鉄 人生最後の日
「お疲れさまでーす。お先します」
すっかり月も上がった深夜、やっとアルバイトを終えた江川鉄は一人店内に残る店長に挨拶をして店を出た。
ここでバイトを始めて今日で一週間目。
ちょっとオシャレなダイニング・バーなだけあって、来るのは女性客や女性連れの大人しい客ばかり。傍目に分かる程酔う客もいないし、数人しかいないスタッフも皆穏やかな感じの良い人だ。
まずまずの調子、ではないだろうか。
久しぶりの好感触に鉄は頬が緩むのを禁じ得ない。だがすぐに拳をグッと握って思い直す。
――油断大敵。
なにせ敵は忘れたころにやって来るのだから。
とりあえず当面の目標は初めての給料日まで働き切る事。いや、働き切る事と言うよりは、トラブルを回避し切る事である。
(今度こそっ!)
意気込んではみたが、脳裏につい一か月前の事が思い出されて鉄は思わずため息を吐いた。
「すみません。エガワ テツさん、ですか?」
唐突に掛けられた声に頭を上げた鉄は、ガード下すぐ手前の街灯の真下に佇む少女を見つけた。
女子校生だろうか。白を基調にした見慣れない制服に腰まである長い黒髪。鉄には見覚えはなかった。
「え? あ、はい……」
狼狽えながらも応えた鉄に歩み寄りながら、少女はゆったりとした動作で右腕を腹部に当てる。
それと同時に、先ほどまで明々とついていた街灯が急にバチバチと乾いた音を立てて消え、一瞬にして辺りは暗闇に包まれた。
「なんなんだよ、これ……」
「エガワ テツ」
凛とした声でフルネームを呼ばれた鉄は動揺しつつも少女に視線を戻し、息を呑んだ。
少女の右手には、いつの間にか青白く光る長い棒のようなものが握られ、顔を上げた彼女自身の瞳も同じ色に光り輝いていたのだ。
「っあの――」
「エガワ テツ。あなたは罪を犯しました。これは罰。罪人は罰せられなければなりません。悪は神の名のもとに滅びるのが定め」
「ちっ、ちょっと何の事言ってるんですか? 俺、全然思い当たらないんですけどっ!」
「悪人は皆一様にそう言うものです」
「悪人っ!?」
その手に握られる彼女の身の丈も程もある棒の先にキラリと光るものを見て後ずさる鉄の声は心なしか上ずる。その間にも少女はジリジリと距離を詰めてくる。
「ぁ、あのですねっ、とりあえずそういう物騒なものは……」
「問答無用です」
背中に硬い感触を覚えた。いつの間にか壁に後ろを取られていた。
後が、ない。
鉄は少女を見つめた。少女の瞳が淡く蒼色に輝く。
「――復讐するは、我にあり」
「っ!」
避けることも体を庇うこともできずに、鉄は息を呑んでその鋭利な刃が自分の身に振り下ろされるのを見つめた。
左肩に熱い衝撃が走り、次いで体が急激に傾いてゆく。
(復讐、って……そんなことされるようなこと、したか? むしろ復讐できるもんならしたいのは俺の方だ、よ……)
一言言ってやりたいのは山々だったが霞んでゆく意識の中、そんなことは到底叶わずに、鉄は冷たいアスファルトを頬に感じながら、ただ少女を見上げた。
無表情に冷徹な光を宿した蒼い瞳が鉄を見下ろしていた。