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act1-7

神奈川県

綾瀬市

6 Augest.2021



 笠原たちは高平の送別会を基地の近くの焼肉屋で行っていた。店側は慣れた様子で文字通り自衛官たちを“隔離”した。これは自衛官たちが大人数でしかも威圧感があり、騒ぐからという理由もあるが、やはり部内の話も多少は出るので民間人に聞かせないようにとの配慮なのだ。とはいえ自衛官たちも秘密保全に関わることなど酒を飲んでも軽々しく口にしないよう教育は受けていた。


「おい、カーン。着艦資格、向こう行って取れなかったら殺しに行くからな」


 乾杯も済んだ酒の席、この飛行隊のトップが居並ぶ席から早々に脱出してきた高平に笠原はむすっとした表情で脅しに近い言葉をかける。


「ひぇー、シャドウさんなら本当に来そうで恐いッスよ」


 物騒な会話だが、高平ももう慣れている。そんなやりとりに先輩パイロットたちも笑った。最近は飲酒に関しても上から厳しく見られ、飲む機会はめっきり減っていた。皆、送別会とは関係なく宴会として盛り上がっている。


 笠原は世話好きな性格からか、肉を焼くことと酒を飲むことにひたすら徹していた。戦闘機パイロットたちは酒豪ばかりだ。酒も最初の一杯はビールでも次は日本酒や焼酎へと突入していく。


 男たちは酔いに任せて盛り上がり、声のボリュームは自然と上がって喧噪の態になりつつある。酒が次から次へとやってくるが、次から次へと空瓶になって返されている。先ほどから高平のために焼いている肉を次々に秋本が横からかっさらっていくので笠原は野菜やホルモンばかりを食べていた。


「こらブッカー、お前はホルモン食え」


「やだよ、俺ホルモン苦手だし」


「ホルモンなら自分食うッスよ」


「お前ら少しは肉焼け!ブッカーてめぇ、それ俺のカルビだぞ」


 焼き肉と身勝手な仲間たち相手に笠原は格闘しなくてはならない。


「うわ、ホルモン寄越すな!つーかホルモン焼くな、カルビ焼け、カルビ」


「先輩、ホルモンなら自分が」


「ホルモンホルモンうるせぇ!皿回せよ。だからロース持ってくな、カーンの分だ、そりゃ」


 大声が飛び交う大騒ぎだが、こうしたことも笠原は嫌いではなかった。笠原は秋本と同じく同期の瀬川に丸投げして肉を焼かせ、改めて高平に向かい合う。


 高平は同期の佐渡や福原、園倉三尉に別れを惜しまれ、思い出話に興じていたが、笠原に向かって条件反射のように慌てて正対する。


「シャドウ先輩、今まで色々あったけどありがとうございました。こんなにご馳走になって」


「感謝してんのは焼き肉だけじゃねーだろうな」


「ごちになりますっ!」


「俺はカーンの分しか払わねーぞ」


 口を挟む秋本に笠原は言いながら高平を見た。酒に酔って良い笑顔をしている。着隊した当初は青白い顔で不安そうな表情が絶えず、こっちが不安にさせられたというのに。


「いいか。向こうに行っても誰にも自分にも負けるなよ。103を出たプライドを持て」


「もちろんです。ここで培った経験は必ず……!」


「シャドウにずっと睨まれ続けりゃメンタルも強くなるよ」


 皿に盛られた肉をドサドサと乱雑に網に崩しながら秋本が笑った。その所業にあちこちから非難の声が上がるが、当の秋本はどこ吹く風だ。


「こいつ本人は言わないだろうが、シャドウはカーンに期待してるぞ。カーンはそれに応えられるよう、向こうに行ってもしっかりやれよ」


 肉を焼く瀬川が口を挟んだ。


「はい……!」


 瀬川の言葉に高平は感動したように返事をする。


「セナ、適当なことを言うな。カーン、いいか。俺はな、俺の評価を落とすような真似をするなと言いたいんだ。お前のことなんかどうだっていい」


「素直じゃないなぁ」


 焼かれた肉を食らいつくさんと箸を進めながらグラスの日本酒を飲み干す秋本が呆れた声を出す。


「本当ですね」


 当の高平も苦笑気味だ。面白くない表情をしながら笠原もまた日本酒を頼む。酔いに任せないと口下手な笠原は言葉が出せなかった。



 *



 パイロットたちは食べ放題の元を取れるほど飲み食いして大騒ぎし、二次会へと向かう。次の居酒屋でも追い出されるまで飲んだが、そこからさらに笠原と高平や佐渡ら新任パイロットたちは安藤や今井、秋本、瀬川などのメンバーに連れまわされる羽目になった。


 翌日、どうやって家に帰ったかもあまり記憶が定かではない笠原は胃の重苦しさと時折こみ上げる吐き気、そして酷い倦怠感を覚えながら目覚めると真っ先にシャワーを浴びて体を清めた。吐く息が酒臭く、衣類には焼き肉の匂いが染みついている。そのまま髭を剃ると部屋着にしているジャージに袖を通し、台所へ向かった。


 基地内の独身幹部宿舎(BOQ)が普段の寝床だが、週末の休みは自宅に帰る様にしている笠原は台所の品揃えの悪さにわが身を呪った。冷蔵庫の中には缶ビールが二本、つまみの枝豆とチーズがあるだけで野菜室は空、冷凍室も空というありさまだ。どこを開けても朝食になりそうなものは出てこない。


 二日酔いの胃のむかつきに顔をしかめ、とりあえず水道水をたらふく腹に流し込んでアルコールを薄めようとした笠原は一応携帯電話に連絡が入っていないことを確認し、ランニングウェアに着替えて財布を持ち、玄関に向かった。


 玄関には〈ダナー〉のブーツが脱ぎ散らかされ、靴紐が乱雑に乱れた様子に溜息を吐いてしまう。編上げの靴紐を絞って靴棚に押し込むとハイカットの〈メレル〉のトレッキングシューズを取り出してそれを履いて家を出た。


 厚木からは離れた東京にある一戸建ての笠原の家は、元は引っ越した祖父母の家だった。笠原の祖父母は高齢化に伴う家のバリアフリー化のリフォームをするよりも群馬の自然あふれる田舎に引っ越すことを選んだ。しかし一人暮らしには持て余す広い家だ。庭の雑草をむしるのが面倒でバイクのエンジンオイルを撒くという所業をやらかし、視察に来た祖父母に小一時間説教された経験から芝生を植え、定期的に刈る様にしていた。庭をちらりと見て、そろそろ芝刈りの時期だなと考えながら靴紐を縛り、少しだけ足の筋肉を伸ばすと軽いジョギングで徒歩十分以内の近くのコンビニエンスストアへ向かった。


 しかしたったの三分ほど走ると二日酔いが答えたのか、胃から胃酸がこみ上げ始め、走るのは断念することになった。


 二十四時間営業でかつ様々な食品も取り扱うコンビニに笠原は感謝した。食パンとベーコン、それに生卵に牛乳、ヨーグルト、新聞を買い、笠原は店を後にする。


 家に戻って急いでベーコンとその上に目玉焼きをフライパンで焼く。塩と胡椒のシンプルな味付けで、トースターで表面をカリカリにした食パンに乗せて、牛乳をコップに注ぎ、食卓に運んだ。自衛官になってから自分で料理を作ることに楽しみを覚え、週末になると凝った料理を作ってみる笠原だったが、二日酔いの今はその余裕もなくとりあえず空腹を補うためだけの食事を手早く済ませることにした。

朝食を取りながらテレビが映すニュースを眺めた。ニュースを見ながらもフライトのために天気予報を気にしてしまうのは職業病だ。


 ニュースでは、欧州で再び起きたテロについて報じられていた。極東アジアでは中国が傍若無人に振る舞って緊張を煽り、中東、アフリカでは内戦が続き、難民がヨーロッパに押し寄せている。中国の経済成長は停滞し、中国バブルの崩壊は近いと噂されている。景気はなかなか上向きにならず、災害は絶え間なくやってくる。世界は混沌としていて、暗い世の中だ。


 笠原は小説の一節を思い出し、目を瞑った。


『私たちは殺すために必要なのでも、死ぬために必要なのでもない。この暗い時代、我が国の文明を守るために必要とされているのだ。私たちの仕事は維持すること、守ることだ。奉仕することと、わが身を犠牲にすることだ。来る日も来る日も、汚く感謝されることの少ない仕事を、力の限り遂行することだ』


 笠原はこの言葉をいつまでも忘れられなかった。笠原にとって休日は、次に待つフライトのための戦力回復期間と体力を増進し、健康状態を維持するだけの時間に過ぎず、その興味はすべて戦闘機の操縦に向けられていた。


 幼い頃から笠原は、大空を自由に飛ぶ飛行機を愛していた。旅客機から戦闘機に興味が向いたのは偶然だったが、今の仕事は笠原にとって天職だ。


 今日やるべきことを思い出そうとして椅子の背もたれに体を預け、背中を伸ばすが、休日の過ごし方を他に知らない笠原はランニングウェア姿のまま、再び家の外へ走りに向かった。


 酒を飲んだ後はしっかりと汗をかいて体をだらけさせないようにしないとと自分を戒める。庭で体操をして〈カシオ〉のプロトレックの腕時計のストップウォッチ機能を表示した笠原は休日の朝っぱらから近くの森林公園へ向かって走り出した。昼食はフレッシュな生野菜を食べて酔いが完全に抜けたら基地に置いてきたバイクを取りに行こうと思い描く。


 明後日の月曜日が新入りのやって来る日だということなど、頭から吹っ飛んでいた。



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