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act1-6

 藤澤と高平では、圧倒的に経験と技量が違う。勝負は見えていた。高平も粘ったが、結局撃墜判定を下され、笠原組は敗北した。


 基地に帰投した笠原はすでに普段の倍以上に怒りに満ちた顔をして機体から降り、渡邉三曹に驚かれた。


「これで勝ち越しだな」


 にやりと笑った藤澤が捨て台詞を吐きながらウィングマンを務めた福原の方へ歩いていく。


「わりい、援護が間に合わなかった。でも良い動きだったよ」


「あ、はい」


 純粋な福原は複雑な気分だろうが、笑みを浮かべている。空では我慢できても地上では無理だ。笠原は怒りを爆発させた。


「どういうつもりだ、ガイ!これは訓練生の教育なんだぞ!お前、明らかにフクをおとりにしただろうが!」


 笠原の鍛えられた腹筋によって腹から出た怒声は広い飛行場にもよく響いた。藤澤は明らかに福原を見捨て、笠原の撃墜を優先していた。


「負け犬の遠吠えほどみっともないのはないぜ、シャドウ。負けたからってムキになるなよ」


 嘲笑混じりの藤澤に笠原は掴みかかってやりたかった。


「先輩、行きましょうよ」


 笠原の顔に若干怯える高平が笠原をなだめる。笠原はクソッと吐き捨てるともう一度藤澤を睨んでから高平と共に大股で指揮所へ歩いていった。


 第103飛行隊指揮所の隣にある小会議室でACMを実施したピリオドのフライトを飛行後打ち合わせ(デブリーフィング)で振り返っていく。


 高平が進行役を務めたが、高平はいつも以上に冷静かつ的確に説明している。高平の冷静さが逆に笠原の血を冷ました。


 福原の後席に乗り込んでいた今井一尉もまた藤澤がウィングマンの援護よりも敵機の撃墜を優先していたと指摘し、ウィングマンを撃墜される編隊長は失格だとまで厳しく指導すると、笠原は溜飲を下げた。しかしその場では反省していた藤澤だったが、デブリーフィングが終わるとその態度は悪びれることもなく、笠原を挑発するような目を向けてきた。


「懲りない野郎だ」


 笠原は藤澤の去ったブリーフィングルームで舌打ちをした。


「そんなカッカしなくても。訓練じゃないすか」


 高平がデブリーフィングをまとめた記録簿をファイルに入れながら言う。笠原は丸めたノートで高平の頭を叩いた。


「イテ」


「バカタレ。あんなのに負けてんじゃねぇよ。だからお前はトン・チン・カーンなんだ」


「勘弁してくださいよ。経験が違うじゃないですか」


 飛行時間がものを言うのがパイロットだ。だが、笠原は自分よりもベテランのパイロットととも互角に戦えることもあると自負していた。


「シミュレーターの申請書類書いとけ。明日の課業外に補備やるぞ」


「えぇー、まじすか」


「ぶっ飛ばすぞ、てめぇ」


 笠原はもう一度ノートで軽く高平の頭を叩くとブリーフィングルームを出た。訓練生の高平は清掃当番だ。


 天気予報通り天候は悪化し、雨が降ってきた。笠原は事務室に使用したファイルを戻すと一人、飛行隊の格納庫(ハンガー)に向かう。


 エプロンから撤収された機体がハンガーにはひしめいていた。今は整備員達の姿はなく、第三ピリオドの機体の点検に当たっている。


 笠原は今日乗った機体を見上げた。F‐18EJ戦闘機928号機。スーパーホーネットやライノなどの愛称が原型のボーイングF/A‐18E/Fにはあるが、自衛軍のパイロット達の間ではただ単に18(じゅうはち)と呼ばれる。


 航空機搭載護衛艦の配備を考慮し、F‐4EJ改戦闘機の後継機種として、第五世代のステルス戦闘機であるF‐35ライトニングⅡの艦載型であるF‐35Cの日本仕様が選定された後に、艦上航空隊新編に伴って勢力増強の新規枠という形でF‐18EJが調達された背景の一つには米国の財政難がある。


 米国の財政難は国防費削減に直結している。中東での対テロ戦争で疲弊した米国は軍縮を選ぶしか道はなかった。結果、米国の軍需産業もその業績を落とし、失業者は増え続けている。


 ボーイングF/A‐18E/F戦闘攻撃機は輸出が計画されるも、オーストラリアとカナダ以外ではたびたび他の候補機に敗れており、ボーイング社は米海軍からの少ない発注では生産ラインを維持できないとしていた。さらに次期主力戦闘機となるロッキード・マーティンF‐35戦闘機の開発が遅延し、機体単価も高騰したために調達機数が削減され、配備が間に合わないためにF/A‐18E/Fを増産しなくてはならなくなった米国は苦肉の策として、空母型護衛艦の配備を計画していた日本に対し、破格の機体単価でのF/A‐18E/Fの輸出を持ちかけたのだ。


 しかし日本は自国の国内産業育成と技術水準保持のための共同開発を必要とし、譲らなかった。最終的に米国が妥協し、ボーイング社の提案のF/A‐18E/Fの輸出機であるアドバンスド・ホーネットをベースとした日本仕様として共同開発することが決まった。


 原型のF/A‐18E/FとF‐18EJ/FJの違いはエンジン部分が顕著だ。前者の米海軍で運用されるF/A‐18E/FはF414ターボファンエンジンを積んでいるが、共同開発で仕様が変更された日本のF‐18EJ/FJはF414よりサイズアップし、高出力化した独自開発の国産ターボファンエンジンF8‐IHI‐1Eを搭載している。


 当初、レーダーとエンジンは輸出禁止で供与となる予定だったが、前述の通り日本はこれを自国の技術で補った。レーダーはF‐2支援戦闘機に搭載していた国産の電子走査アレイ(AESA)レーダー、J/APG‐2をベースとしたJ/APG‐3を開発し、エンジンは先進技術実証機による研究で開発されたF5‐1を元に大出力化したF8‐1Eエンジンを開発し、この課題をクリアすることによってほぼすべての部品を国内生産することに成功。機体単価はその分上がったが、日本が要求する性能がF‐18EJ/FJには与えられ、国内でのライセンス生産となった。


 このライセンス生産はのちに国内向け生産だけでなく、部門を縮小したボーイング社に代わっての米国やその他のF/A‐18E/Fユーザー国向けの部品の生産にも繋がり、日本の航空産業の維持に寄与した結果となった。


 しかし、こうして航空自衛軍はF‐15、F‐2、F‐18、F‐35と戦闘機だけでも四機種を運用することとなり、現場は悲鳴を上げている。まず飛行隊新編によって、ただでさえ充足率の低いパイロットの数が足りない。航空学生の採用枠は大幅に増えたが、採用水準を落とすわけには行かず、女性の戦闘機パイロットへの採用も認められた。充足されても機種転換訓練が間に合わないため、F‐2とF‐18、F‐35への機種転換訓練は米国でF‐16戦闘機やF/A‐18戦闘機、F‐35C戦闘機を使って実施されていた。


 整備する側にも大きな負担がかかっている。元々日本に展開する米軍のF/A‐18部隊は整備を日本企業に頼っていたため、企業側に多少の運用ノウハウはあったものの、部隊整備となるとそうはいかなかった。空自の術科学校だけでは足りないため、やはり米国に赴いて整備を学ぶことになる。


 真新しかったF‐18EJも笠原が来てからだけでだいぶ使い込まれ、相当な稼働率を保っている。


 笠原は機体の外部点検をして回った。苛々してもこうして自分が没頭できることをしていれば気が紛れる。しかし、そんなことばかりしているからデスクワークは溜まるのだった。


「シャドウ、また整備か」


 秋本が格納庫に入ってきた。機付長の渡邉も一緒だ。


 通常機体の整備は一機につき、三名で大体行われる。一名はその機体の専属である機付長で、先任となってあとの二名を束ねて整備を行う。愛機を持つのはパイロットではなく、機付長だけだった。


「これはルーチンワークの一つだろ。時間かけてるだけだ」


 笠原は目もくれずに機体を見ながら答えた。


「相変わらず険しい顔だな」


「聞き飽きたわ」


 笠原は機体の点検を終えて格納庫脇のベンチに座る。降り頻る雨の音が落ち着く。


「ほれ」


 秋本が投げて寄越したのは自販機に売られるパックの牛乳だった。渡邉にはバナナオレを奢っていた。牛乳パックを見つめてしばらく笠原は固まった。カルシウムとれってか。


「今日の笠原二尉は自分がここに来てから五番目くらいに怖かったですよ。ビビりました」


「そんなにキレてねぇよ」


 笠原はため息を吐き、パックにストローを差して牛乳を吸う。


「笠原二尉は熱いですよね、いつも」


「あんなんしょっちゅうだろ。血の気が多くて脳ミソがターボファンエンジンなんだ。すぐ血がアフターバーナーになる」


「うるせぇな」


 笠原は機体を見上げた。真剣なだけだ。心の中で笠原は呟き、悶々とした顔で牛乳を吸う。


「藤澤二尉とよく対立されてますけど、性格の問題なんですか?」


 渡邉に率直に聞かれ、笠原はストローから口を離す。これが高平だったらあしらえたが、自分の機を整備する機付長とあってはそれはできない。


「それもあるし、俺はあまり冗談が通じない固い奴だからな。それに育った畑違いもある」


「畑違い?」


 そこからは秋本が語った。


「シャドウは着艦資格を日本で、藤澤(あっち)は米国での留学だ。米国課程の方がやっぱり本場だからな、シャドウを甘く見てるんだよ。かく言う俺も渡米組だしな」


 日本で行われる着艦資格取得の教育は一年に二回、艦上航空隊と専門の教育隊で行われているが、それでも艦上航空隊の人員を揃えるには足りない。米国に渡って着艦資格を得てくるパイロットが現在の艦上航空隊の六割を支えている。米国は空母を十二隻も保有し、本土にも訓練施設がいくつも存在する。規模が日本とは全く違うのだ。


 中には訓練の最中、乗っていた空母が任務でインド洋や地中海入りしてしまい、“貴重な経験”をしてくる者もいたりする。日本は第二次世界大戦後、空母の運用は途絶えたが、米国は空母を運用する規模も違えば歴史は長く、ノウハウも異なる。


「へぇ……」


「日本組のシャドウの同期はこの隊にはいないから立場はあんまりよくないってだけだよ」


 笠原はつまらなさそうに滑走路の方を眺めていた。


「あと一か月もしないうちに“展開”だ。それまでには俺やセナ以外とも仲良くなれよ」


「ぬかせ」


 笠原は言うと腰を上げた。


「どこ行くんだ?」


「売店。これからデスクワークだ」


 笠原がそう言うと秋本は納得した。笠原は決まってデスクワーク前に甘味を買って冷蔵庫に入れておき、デスクワークが片付いてから食べるという習性があり、部隊の大半の者が知っていた。例によって藤澤はそれを女々しいと小馬鹿にしている。


 秋本と格納庫を後にした笠原は基地内売店(BX)に入る。床屋や食堂、コンビニのような売店から服屋など基地内売店には色々な店が揃っていた。米軍時代の名残も少し残っている。


 笠原はミルクティーとコーヒー、安かったエクレアなどを、秋本は少年向けの某漫画週刊誌を買い、部隊の事務室に戻った。


「シャドウ、ちょうど良かった」


 飛行班長の机にいた的場二佐に呼び止められ、笠原は的場に正対する。


 事務室の飛行班長の机にはF‐4EJ改ファントムⅡ戦闘機とF‐18EJ戦闘機の精巧なプラスチックモデルが置かれていた。F‐4EJ改は実際に自衛軍では艦上運用されたことはないが、ベースは艦上戦闘機だ。


「なんでしょうか」


「カーンだが、転属が決まった。岩国の第104飛行隊(イチマルヨン)だ。今月の異動で転属する」


 笠原は気持ちがすっと冷めていくような喪失感を覚えた。


「そうですか」


 少し硬い口調になってしまった。人員養成の余力のある部隊や即戦力を求める部隊では教育課程を部隊で引き継いでさっさと引っこ抜いていってしまうこともあるが、高平が転属する岩国の第104飛行隊は最新のステルス戦闘機、F‐35Jを運用する艦上航空隊に新編されたばかりの戦術戦闘飛行隊で、まだまだ始動段階のためパイロットが足りないのだ。高平は異動した部隊で着艦資格の教育を継続することになるが、機種転換訓練をまず受けなくてはならない。そうなればここまで積み上げていた着艦資格修得へ向けての集中訓練の意味が薄れてしまう。それに笠原としては着艦資格取得を見届けてやりたかった気持ちもあった。


 今日の高平の戦い方は、確実に笠原の下で学んできたことが影響していた。まだ教えるべきことはたくさんある。だが、航空自衛軍の将来を担う飛行隊への転属は栄転と言っても良い。


 教え子がいなくなる笠原は少しは仕事が楽になるだろう。もっとも他の訓練生の教育を受け持たなくてはならない。ネガティブにならないようにプラス思考で考えられる点を探している時点で、落ち込んでいる。


「お前のウィングマンがいなくなることになるのだが、新しく我が103飛行隊に異動してくるパイロットがいる」


新顔(ニューフェース)ですか、この時期に」


「別に格段忙しいわけでもないだろ。二尉でお前と同期だったな、確か」


「はぁ……」


 同期といっても航空学生の同期や戦闘機パイロット課程の同期、着艦資格課程の同期などたくさんの同期がいるため、あまり有力な情報とはいえなかった。


「転任者のウィングマンはそういうことでお前になる」


 笠原はあからさまに不満な顔をした。そいつが直接岩国の第104飛行隊に転属すれば良かったのだ。何もこんな玉突き転属をしなくてもとつい思う。


「そんな顔をするな。お前は口は悪いがなんだかんだで面倒見がいいからな。しっかりと教育しろ。いいな」


「イェスサー」


 余計な一言も加わって、笠原は力のない返事をする。口が悪いのは、直すべきだ。それにこれから面倒を見るのは、航空徽章(ウィングマーク)をもらったばかりの新人三尉ではない。自分が担当助教となって着艦資格の教育するわけでもなく、それほど荷の重いことでもあるまい。


 そんな転任者のことよりも笠原は残された日数で高平にどれだけのことを自分が教えることができるのかを考えていた。できる限りのことをして送り出してやりたい。


「あとお前はカーンの送別会の幹事だからな。段取りしとけよ」


「了解です」


 仕事が増えたかもしれない。笠原は重い腰で自分の机に戻り、デスクワークに取りかかった。




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