act1-5
太平洋
K空域
3 Augest.2024
音速を超える速度で二機のF‐18戦闘機がぴったりと密集で高度一万二千フィートの空を飛ぶ。その二番機の位置に笠原はいた。
耐Gスーツとサバイバルベストに身を包み、ヘルメット装着式表示装置のバイザーを装備したフライトヘルメットにマイクが内蔵された酸素マスクを着用し、その姿はロボットを連想させる。今や戦闘機を構成する最も高価な部品の一部となった笠原の意識は戦闘モードだった。目視による索敵に集中し、睨み付けるような鋭い目をさらに見張り、文字通り皿のようにして広い視野で敵を探していた。
対抗役となるのは藤澤とそのウィングマンである高平と同期の福原三尉。藤澤には意地でも負けたくない笠原はかなり気を張り詰めていた。
今回の訓練はACM。戦闘機対戦闘機の空中戦訓練だ。
レーダーの発達やミサイルの技術が進歩した現代の空戦は、ほぼ視界外射程からのミサイル攻撃で決まると言われている。東西冷戦の軍備競争は軍事技術を飛躍的に進歩させ、ミサイルの性能も撃てば決まると言われるほど洗練されてきた。米国はミサイル万能論に先んじて機関砲を搭載しないF‐4戦闘機を開発したが、ベトナム戦争で早くもそれは覆され、結局機関砲が搭載されることになった。
今のミサイルも万能ではない。最大射程ギリギリで撃てばミサイルの届かない距離に逃げることが出来る。そのため最大射程の約半分ほどの必中距離まで接近して確実に仕留める手法もある。しかしそれは自ずと敵機の射程にも入ることになり、自機も危険に晒されるのだ。また接近すれば格闘戦は避けられない。
特に自衛軍は専守防衛──つまり常に先制攻撃を封じられているため、未確認機も接近して目視で正体を確かめ、警告しなくてはならない。そのため、現代も未だにACMは基本中の基本として重視されている。このACM訓練は着艦資格取得の必要項目なのだ。
高平以下今年度の着任者の離発艦訓練はすでに終盤。あとは修業試験をクリアすれば着艦資格を取り、晴れて立派な艦載機パイロットになることができる。
この科目ではお互いに会敵するまでレーダー及び赤外線捜索追跡システムは使用せずに、目視のみでの索敵を実施。目視での目標発見と格闘戦が主眼に置かれていた。
このACMを有利に運ぶにはやはり先に敵を捉えることだ。索敵がこのACMの勝敗を決めると言っても過言ではない。
この途方もなく広大な三次元の空域で全長二十メートル弱の戦闘機を見つけるのは至難の技だ。敵もこちらを見つけようとしている。会敵するまでは飛べる空域が限られているとはいえ、莫大な面積だった。
高平がとった戦法は敵を探しつつ敵の飛んでいると思われる位置より後方に回り込むように飛ぶ先手を重視した索敵だ。これなら発見した際は高確率で敵の背後を取れる。担当教官の性格が影響したような笠原好みの方法ではある。しかし予想する敵の位置や進路を誤ると敵に背後を晒したり、発見されやすいというリスクがあった。
相手は藤澤だ。自分の攻撃的な戦法を読んで対抗策を取ってくるに違いない。高平の指示で笠原は編隊間の間隔を一キロ近く広げたコンバット・スプレッドの編隊を維持し、索敵範囲を広げる。
五分ほど飛び、環状機動に入った。6を描くようにしてバンクを振って旋回し、追跡を回避すると共に敵機の後方に回り込む機動だ。旋回を終えて飛ぶ。
いつ襲ってくるか分からない敵を警戒するために首を回す。戦闘機パイロットは上空、左右と絶え間なく首を回して警戒するためにフライトスーツの内側に首が擦れ、皮が剥けることさえあった。現代になっても後方の警戒の重要度は変わらない。絹のマフラーは今でも重宝する者には使われている。
ハイネックのシャツで首を守った笠原が首を回して警戒する視界の中に何か違和感を覚えた。
『目標視認、十一時方向。交戦!』
高平が叫ぶ。笠原と高平は交差旋回。高平は機首を上げ、笠原はバンクを振って高度を落として分かれる。
F/A‐18Eの日本仕様であるF‐18EJには制空任務と巡航ミサイル迎撃のためにも高空を高速でダッシュ・旋回することが求められ、原型のF/A‐18Eをベースとするインターナショナル・ロードマップのステルス性向上や電波吸収材の多様などに加えて、最新の運動性能向上技術による細かい設計変更が行われ、エンジンサイズを拡大した国産のF8‐IHI‐1E高出力ターボファンエンジンに変更されているため、原型のF/A‐18Eよりも空戦能力で勝っている。
『シャドウ、オフェンシング・スプリット』
オフェンシング・スプリットとは二機編隊の戦法の一つだ。先行する一機が敵編隊の前を通り過ぎて囮役となる。囮を追尾し始めた敵の後方にもう一機は回り込み、敵が囮を無視するようであれば、囮役の機が後方へ回り込む。
笠原は高平の指示に思わずニヤリと口元を歪めた。二機編隊長役とはいえ、上官を囮役にするとは高平も堂々としてきた。その意気やよし!
「指示を了解し実行する」
笠原は緩やかなバンクを取って旋回する。
対抗機の姿を目の端に捉えながら笠原は急旋回する。対抗機が加速し、笠原を追ってきた。
──一機?
福原のみが高平を追尾しにかかった。藤澤が笠原を追ってくる。福原の動きは一番機の動きではなく、指示を受けている挙動だった。福原たち訓練生が編隊長として指示を出し、その援護に徹するのが藤澤たち教官の役目のはずだ。
「あのヤロウ、なに考えてやがる」
笠原はスロットルを押し込んで機首を巡らし、大G旋回で高平の援護に向かった。
「カーン。ボギー、四時方向、下方」
高平に警告していると敵機からの攻撃レーダー波をレーダー警戒装置が探知し、耳元に警告音が鳴った。藤澤だ。後ろに回り込もうとしていた。
「何やってるんだ、あいつ……」
笠原は苛立ち吐き捨てながらも行動は冷静だった。笠原は対抗機と二番機の双方を視界に入れながら戦い続ける。操縦桿を引き、上昇に転じた。すぐ頭上の雲を突き破り、そのまま宙返りして藤澤を迎え撃つ。
『カーン、交戦』
高平が福原と交戦している。笠原は大Gに耐えながら再び雲を突き破り、追ってきた藤澤機の左後方に回り込んだ。
藤澤機は笠原を振り切ろうと急降下する。笠原は藤澤を追尾しつつ高平を確認しようとするが、視界に捉えることが出来なかった。笠原は適当に藤澤を追いかけ回すと反転し、高平の援護に向かった。
高平と福原は尻の奪い合いの最中だった。
「カーン、良いぞ。Gを緩めるな。すぐに援護ポジションにつく」
笠原は福原の回避する方向へ回り、プレッシャーをかけた。高平はジッパーコマンドで辛うじて応答する。福原は接近する笠原のプレッシャーで高平に対して無防備に後方を晒した。
『……FOX2!』
高平が赤外線誘導空対空ミサイルの発射をコールする。ただし、これは訓練なのでもちろん発射されることはなく、攻撃レーダーでロックオンした、というコールだ。この訓練でのロックオンが表す意味は撃墜。つまり死刑執行済みという判定となるため、福原は旋回機動を止めて作戦エリアからの離脱を開始した。
喜ぶ間もなく、笠原の後方に藤澤機が回り込んだ。
藤澤のついたポジションは絶好の位置だった。笠原はすでに速度、高度共に藤澤にイニシアチブを握られていた。
「ブレイク!」
加速し、急旋回による回避を試みるが、動きを読まれ、藤澤は笠原の機動に割り込んできた。
耳元に攻撃レーダーが自分を捕捉し、ロックオンしたことを知らせる耳障りな警告音が早鐘を打つように鳴り響く。笠原は藤澤にロックオンされた。