act1-3
太平洋
航空機搭載護衛艦《かが》
September 16.2021
訓練を続けながら《かが》を中心とする第五護衛隊群は東シナ海を目指して依然、南下していた。
『昨晩から今朝未明にかけ、台湾海峡沖において中国軍と台湾軍の小規模な武力衝突が行われました。それを受け、防衛省は両国間の更なる軍事衝突を懸念し、自衛軍の警備部隊を南西方面に配備することを発表しました』
自分達がその警備部隊のうちの一隊であることを理解しているパイロット達はそのニュースをじっと見つめていた。台湾側から撮影された映像では沖合にいる艦艇が対空射撃を行い、曳光弾が打ち上げられ、空中では閃光がいくつも煌めていていた。
この戦闘で台湾側の被害は艦艇一隻が被弾、戦闘機一機を撃墜され、台湾側の発表では少なくとも航空機六機を撃墜したとのことだった。
双方の軍事的緊張は非常に高まっている。さらに中国では株価が暴落し、国内の不安が高まっていた。一部では過激なデモが起きており、世情不安が心配されている。
「カミさんが心配しちまうからやめてもらいたいね」
そう呟いた安藤にパイロット達が苦笑する。
「ベアさんちの奥さんは猛獣使いじゃないんですか」
須崎が聞く。
「休みは冬眠明けのクマを相手にしなくちゃいけないんですし」
それに和泉も続く。
「今子供何人でしたっけ」
「三人だ。人を本物のクマ扱いしやがって」
「腹ん中の勘定も忘れるな。四人目仕込んだんだろ」
「えぇっ、ベアさん、何歳ですか」
「お前らうるさいぞ!見ろ、シャドウを見習え」
突然話題が降りかかってきた笠原はF‐2の技術指令書から驚いて顔を上げる。
「なんでF‐2のTOなんて読んでるんだ?」
秋本が聞く。
「忘れたのか、お前。今月末は第6飛行隊とDACTだぞ」
笠原は逆に呆れたように聞き返した。
異機種間戦闘訓練は、普段の同一部隊・同一機種同士の恒常的な空戦訓練がパターン化してしまうのを防ぐために行う。機体特性の異なる異機種との空戦訓練は、外国の戦闘機を相手にしなくてはならない要撃任務を負う上では非常に重要だ。
「真面目だなぁ」
「違う。要領が悪いからだ。フライト・リーダーってのは忙しいんだよ」
「自慢かよ」
そう口を挟んできたのは藤澤だ。壁に寄りかかり、笠原を見下ろしている。笠原が藤澤を横目で睨もうとした時、黒江が突然視界に割り込んで笠原の目を覗き込んできた。驚いて笠原は背筋を伸ばす。黒江の何かを探るような目が笠原の目線を切らせなかった。笠原がしばらく茫然としていると、やがて黒江はにやりと口元だけ歪めて、手に持っている陸上競技の雑誌に目を戻した。
どうやら笠原の怒りの矛を鞘に納めさせたらしい。なんて女だと思わず内心舌を巻く。
「そうだぞ。フライト・リーダーは忙しんだ」
和泉がそう言って秋本の肩を叩く。
「だから早くお前もなろうな」
「いや……まだ自分には早いです、遠慮しておきます」
秋本は苦笑いして逃げる。瀬川が何気なく和泉から目線を逸らしていることで笑いそうになった。改めて険呑な雰囲気にせずに済んだことを黒江に感謝する。
「しかしDACTか……そんなんやってる雰囲気でも無くなってきたよな」
須崎がテレビを見て呟く。
「冗談じゃない。俺の訓練計画をまた目茶目茶にされてたまるか」
安藤がテレビの向こうの北京に息巻く。艦隊防空訓練がDACTの前には予定されている。艦隊を対艦ミサイルで攻撃する組とそれを迎撃する組に分かれて海空合同で行われる訓練は綿密な調整の元、行われる。
「ロクスコは多分F‐2C出してくるだろうな」
黒江が笠原に話しかけた。
F‐2Cは前型のF‐2Aに比べるとかなりの性能向上が図られている。エンジンは前型のF‐110‐IHI‐129よりも一割ほど強化された大出力型のF110‐IHI‐132を搭載し、ダイバータレス超音速インレットを採用し、ステルス性能なども意識されている。F‐2自体、元々格闘戦向けのF‐16がベースになっているので空対空戦闘能力は高い。
「まあ、厳しいだろうがF‐35が出てくるよりマシだ」
岩国の第104飛行隊が有するF‐35との訓練は酷い目にあったことがある。訓練空域に入った途端、先に展開し、早期警戒管制機の支援を受けていたF‐35に中距離ミサイルで撃墜判定を受けた。何度舞い戻っても低空からアプローチしても結果は同じだった。
高いステルス性を持つF‐35は格闘戦においては不安があるといわれているが、そもそも土俵が違うのだ。とうとう目視することすら叶わなかった。
「厳しい戦いだが、だからこそ面白いじゃないか。絶対に勝ちたいしな」
笠原は不敵に笑って見せた。だが、編隊を勝利に導かなくてはならないという責任は感じている。
「協力するよ」
黒江がそう言って微笑むが、それだけで笠原はどれだけ救われたことか。
「なら、DACTの件でなくて今度朝礼でやる三分講話の調べもの手伝ってほしいんだけど……」
「なんだ?」
嫌な顔をしない黒江に笠原はほっとする。
「中国のJ‐20だ。これの解説を行うんだが、資料を集めてる暇が無くて……」
「どこまで出来てる?」
「骨組みだけ」
「分かった。任せろ」
「助かるよ。ありがとう」
頼もしい返事に笠原は安心する。
最後のフライトが空護に着艦し、今日の訓練は終わった。訓練が終われば基本自由な時間だ。残った仕事を片づける者、スポーツや運動をして体を鍛える者、部屋で休む者などと人それぞれだった。
笠原は自分の居室に戻る。巨大な空護でも艦内のスペースは貴重だ。笠原は幹部でパイロットだが、居室は二段ベッドの狭い二人部屋で、秋本と同部屋だった。部屋長は笠原だ。
「最近、調子良さそうだな」
ツナギの飛行服からトレーニングウェアに着替える秋本が言った。笠原は靴をブーツからトレッキングシューズに履き替えて仕事の続きをするための準備をしながら「そうか?」と聞き返す。
実感が無いわけではない。だが、昔よりも仕事が充実していた。
「ああ。ファル、お前に凄い良い影響を与えてるように見えるよ」
「否定はしない。彼女は頼もしいよ」
「今はウィングマンが固定されてるからいいが、これでファルがガイなんかとウィングマンになったら、お前どう思う」
「どうって……」
一瞬、戸惑いながらもそれを想像すると、不快な気分になった。
「面白くないだろ」
「……まあ、そうだな」
「いい加減自分の気持ちに気付いたらどうだ」
「どういう意味だ」
怪訝に聞くと秋本はアイウェアの指で鼻の上に持ち上げながら、にやりと笑った。
「自分の気持ちには素直になれってことさ」
そう言い残して部屋を出ていった秋本の後ろ姿に笠原は怪訝な表情を浮かべていたが、とにかく書類を入れたビジネスバッグを手に事務室へと向かう。
ドアの開け放たれた事務室の前に立つと的場と黒江が話しているところだった。黒江は熱心に的場の話を聞いていて、時折相槌を打っている。的場はF‐18の模型を手に、真剣な顔で語っていて、笠原はそれを邪魔するのを憚った。
思えば黒江は的場に相当な憧れを抱いていた。彼女の目標は言うまでも無く的場だろう。笠原自身、的場は目標だった。
二人が熱心に話す様子に、複雑な気分になる自分が分からなかった。なぜ焦りや苛立ちを覚えるのだろうか。先ほどの秋本の言葉も頭の中を巡った。
そこで言い訳のように、デスクワークの友を用意し忘れていることに気が付き、踵を返して笠原は酒保(艦内売店)に向かう。さすがに航空護衛艦の艦内売店となると他の護衛艦よりは大きいが、それでもコンビニ程度だ。この時間は海自の隊員も空自の隊員も大勢いて混み合っていて、目当てのスイーツコーナーに向かうのは一苦労だった。
悶々とした気分でスイーツコーナーを覗くと、ほとんど無くなっていて、最後に苺タルトが一つ残っていた。タルトに手を伸ばした時、その上から手が重ねられた。相手が驚いて手を引っ込めるのでその先を見ると、整備小隊の川内雪恵士長だった。
「す、すみません」
萎縮した川内の姿を見て、気の毒に思ってしまう。今日は飲み物で我慢しようと心の中で嘆息しながら笠原はそれを譲った。
「え、でも」
戸惑う川内を残して笠原は人波をかき分けてドリンクコーナーで飲み物を選ぶ。リンゴジュースを手にして、その他雑品を手に会計を済ませると、外に川内が立っていた。
「これ、ありがとうございました」
「別に、気にしないで」
笠原がそう言って事務室に向かうと川内が「あっ」と声をかける。振り返ると、「事務室でしたらあっちの方が近いです」と反対側の通路を示す。
護衛艦の艦内は至る所が一方通行になっていて、逆行は出来ない。笠原は頭をかきながら「ありがとう」と言って川内に続いた。
「艦内に詳しいの」
「ええ、まあ。探検はしてますけど、まだ見てないところはたくさん」
探検と来たか。
笠原は苦笑する。無邪気な女だ。笠原はまだ艦内を熟知しているとは言えない。遠回りをしていつも移動していたのかもしれない。
「迷子になるなよ」
「もうなりました。幸い、WAVE(女性海上自衛官)に助けられました」
川内は恥ずかしそうに笑う。こんな風に川内が笠原に豊かな表情を見せたことは今までなかった。
「なんだか、いつもと違う感じがするな」
笠原の言葉に川内は驚いたように振り返った。
「あ、ごめんなさい……なんだか意外な面が見れたんでちょっと……」
「意外な面?」
「その、甘いものが好きみたいなんで」
「ああ……」
笠原は納得した。
「黒江二尉からも聞いています。最初は結構揉めていたんですよね」
「まあな」
「私も最初見た目が怖くてあまり話しかけづらかったんですが、最近は黒江二尉とも普通に接しているので……」
見た目が怖いという発言には苦笑するしかない。やがて飛行班事務室が見えてきた。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ、タルトのお礼です」
川内は頭を下げて歩いて行った。笠原が事務室に入ると黒江と的場の姿はなかった。
一人、事務室でデスクワークをしていると当直幹部の今井一尉が戻って来た。
「一人か」
「はい。コーヒー、飲みます?」
「差し入れの缶コーヒーがあるんでな、気にしないでくれ」
今井は冷蔵庫から缶コーヒーを出して苦笑した。
「DACT、入れ込んでるみたいだな」
「そりゃあ、うちの飛行隊の名誉もかかっていますから」
「その意気だ」
今井はそういうと携帯電話を取り出して眺めている。今は洋上なので電波はないはずだ。
「どうしたんですか?」
「……いや、ちょっとな。昔の事だ」
今井はそう言って携帯電話をしまう。
「ベアを見ていると眩しく感じるんだ」
「はあ……」
「こんな仕事でもあいつはうまくやっているよ」
「奥さんが強いからじゃないですかね、やっぱり」
「それもあるだろうがな」
今井の哀愁の漂う背中を見て笠原は思い出した。今井は離婚していた。娘と息子がいるはずだが、その親権は妻の方にある。こういう仕事では結婚生活は長続きしないことが多い。パイロットで、さらに艦載機パイロットだとその確率はさらに増す。航海の日程を話すことは出来ない。一人家で待つ妻には負担が大きい。
「……スノーさんは再婚とかは?」
「考えられないな。俺は未練がタラタラなんだ」
今井は、今度は寂しそうに苦笑する。
「戻るたびに会おうとはしているんだがな。それに娘は俺のことを、母親を不幸にした最低な男だと思ってる」
自嘲気味な笑みを浮かべる今井は痛々しかった。
「養育費だけでも払うことが出来て、罪滅ぼしが出来ているが辛い。こうやって課業外も仕事をして、家族を顧みない男はそういう末路を辿る。お前も今はそうやって残業しているがな、一人で見栄を張ってやろうとしないようにしろよ」
今井の言葉の説得力に笠原は頷いた。
「ファルも手伝ってくれています」
「そうか。良いウィングマンを持ったな」
今井はそう言いながらカレンダーを見る。
「ファルもそろそろうちに馴染んだだろう。彼女の技量ならフライト・リーダーを目指せるはずだ。来月からはウィングマンを変えてエレメント・リーダーを務めてもらわないとだな」
今井の言葉に笠原は思わず手を止めた。このままずっとウィングマンを組み続けていくはずはなかった。
「……そうですね」
「彼女の素質はなかなかのものだ。女性パイロットなんてどうなのかと正直思ってたが、あいつの胆力は相当なものだ」
苦笑する今井に笠原も苦笑した。下手な男より強い意志が彼女にはある。いつまでも自分の下に就いているような人間ではない。
これからはお互いに切磋琢磨し合う仲になるのだ。そう思えば気が楽になるが、胸に言い知れぬ痛みが残った。