act1-2
神奈川県
厚木基地
Augest 2.2021
照りつける真夏の太陽の光が全長二千五百メートルのアスファルトの大地を焦がす。陽炎に揺れるのは神奈川県に存在する唯一のジェット機が離着陸可能な飛行場、自衛軍厚木基地。この厚木と名がつく自衛軍の航空基地は綾瀬市と大和市に跨がる位置に存在し、厚木市との関連性はない。
ここは旧日本海軍が、主に東京防衛の拠点として一九三八年に着工、一九四二年に完成した飛行場だ。東京に最も近い海軍の航空拠点として重視され、整備訓練航空隊である相模野海軍航空隊や戦闘機操縦士練成部隊である厚木海軍航空隊が置かれた。太平洋戦争後期に防空隊である三〇二空が開隊して以降は、陸軍の調布飛行場、柏飛行場、松戸飛行場、成増飛行場などと並び、首都圏防空の要となった。
日本がポツダム宣言を受託してからはアメリカ軍の基地として使用され、その後海上自衛隊も運用を開始した。
在日米軍が財政難から縮小再編され、厚木基地から撤退、日本が憲法を改正し、自衛隊が自衛軍へと名を変えるとこの厚木基地には航空自衛軍艦上航空隊が新編された。
今日の厚木基地は海空自衛軍の航空基地となり、海上自衛軍は第四航空群、実験航空部隊の第51航空隊、 輸送航空部隊の第61航空隊、航空自衛軍は艦上航空隊などの航空基地として使用されていた。
その厚木基地の飛行場、駐機場地区には双発の大型戦闘機が六機、整然と駐機されていた。
F‐18EJ戦闘機。全長約十八メートル、全幅約十三メートル、灰色と白を基調とした低視認性の制空迷彩が施された炭素繊維強化複合材料の翼を持った航空自衛軍の艦上戦闘機だ。
猛暑の続く八月の第一月曜日、渡邉浩也三等空曹はそのエプロン地区で誘導員と共に日陰に控えていた。
青磁色を基調としたデジタル迷彩の作業服を腕まくりし、艦上航空隊第103飛行隊の蒼い狼の描かれた識別帽――職場を識別するためのキャップ――を被った上からイヤーマフを兼ねたヘッドセットを着用した渡邉は、艦上航空隊第103飛行隊の整備小隊に所属していた。
海自のP‐1対潜哨戒機が滑走路のエンドでエンジンの出力を上げて離陸態勢に入ったのを音で確認した。目を向けると青灰色迷彩が施された四発のF7‐IHI‐10ターボファンエンジンの回転数を上げたP‐1対潜哨戒機がブレーキを解放し、離陸滑走を始める。
同様の大きさの飛行機に比べると格段に短い滑走距離で離陸したP‐1は上昇し、南の空に向かって機影をどんどん小さくしていく。それと入れ替わるように空に別種の爆音が響き渡る。
一機のF‐18EJ戦闘機が滑走路直上点でひらりと旋回し、オーバーヘッドアプローチで着陸態勢に入ったのが見えた。
着陸態勢に入ったF‐18EJは速度百五十ノットほどで第一進入地点を通過し、滑走路への着陸コースに入った。
進入角を維持しながら、滑走路端末部の上方五十フィートの高度を所定の速度で通過して機首を七度引き起こし、主脚から接地する。首脚を設置せずに機首を上げ、機首仰角十三度の機首上げ姿勢で翼全体をエアブレーキにして風を受け止め、一気に減速したF‐18EJはノーズギアも接地させると減速し、そのまま滑走路を地上走行し、駐機スポットを目指して鼻先をこちらに向ける。
着陸は基本中の基本だが、基本の中でも最も高度な技術が必要だ。着陸を見ればそのパイロットの練度が分かるとも言われている。特にこの艦上航空隊では重視される技術だ。
エプロンに入った渡邉が機付長を務めるF‐18EJの928号機はマーシャラーの指示に従って線に沿って曲がり、機首を渡邉の待つ駐機スポットに向ける。
他の機と同様のカウンターシェードが施され、垂直尾翼には青い狼の紋章を象った部隊章がマーキングされている。そろそろと進むF‐18EJの機体はいつ見ても迫力があった。
「チョイ前ー、チョイ前ー、……よーし!」
両手で停止を合図するとギアブレーキをかけたことで機首のショックアブソーバーが一瞬縮んで機体は停止した。すぐに機体の下に回ってタイヤをチェックし、エンジン内部に残った残余燃料を排出するドレインホースなどを手際よく取り付ける。
準備が整うと右手でサムアップ――親指を立てる合図――し、両手を真上に伸ばす。
風防を開き、コックピットが露出する。渡邉は首を掻き切るように手を動かし、エンジンの停止を合図した。パイロットが素早くサムアップを返すとエンジン音がしぼんでいく。
渡邉は梯子をかけると素早くコックピットへと登る。パイロットは酸素マスクとGスーツのホースを外してヘルメットの顎紐を外していた。
渡邉が顔を覗かせ、目だけを合わせて合図するとパイロットは何も言わずに渡邉と共にパラシュートとハーネスを留めるバックルを外して降りる。
パイロットは射出座席の後ろに押し込んでいたヘルメットバックを持って無駄のない身のこなしでコックピットから出てくるとJHMCSⅡを備えたフライトヘルメットを脱いだ。パイロットの男は若かった。鋭い目付きの細面で、短く切り揃えた柔らかい黒髪。身長は一八〇センチにも達し、今は飛行服に耐Gスーツやサバイバルキットなどの装具を身につけていて分からないが、引き締まったアスリート型の筋肉質な体付きをしている。
「お疲れ様です」
渡邉はそこで初めて声をかけた。
笠原樹二等空尉は、強い日射しに目を眇めながらも渡邉に無駄のない答礼した。
「お疲れさん」
この男は無駄や非効率を嫌い、効率と合理性を重視する。だが、礼儀正しい。
渡邉は手を下ろしたとき、新たに着陸してきたF‐18EJが轟音を響かせた。
「まったく……荒っぽい着陸だな」
その様子を腰に手を当てて見た笠原は鼻で呆れたように溜息を吐く。その機体に誰が乗り込んでいるのか渡邉は察しがついた。
「今日はどうでしたか?」
連続着陸してくる戦闘機の響かせる爆音の合間に渡邉は尋ねた。
「一機やったが、あとは駄目だ。後ろに張り付かれて時間切れだ」
笠原は肩を竦める。彼のモスグリーン色のフライトスーツは汗を吸って色が濃くなっていた。そして着陸してきた機体を見つめた。新たに三機目四機目と着陸してくる。笠原はそれを鋭い目で睨むように見ている。
笠原は渡邉の担当する機、この928号機によく乗り込む。すでにお互い気心の知れた相手で阿吽の呼吸で会話が無くても決まった手順で仕事をこなせる。合理的で無駄を嫌う笠原との仕事は渡邉にとって楽しかった。何より笠原は機体の「面倒を見る」のが好きだ。
笠原の後に遅れて着陸したF‐18EJはそのまま駐機スポットに収まり、キャノピーを開こうとしている。
「ちょっと〝カーン〟を指導してくる。あとは任せた」
「了解」
渡邉は着陸して早々、指導してくるなどと言ってヘルメットを小脇に抱えて大股で歩き出した笠原の後ろ姿を見送って肩を竦めた。相当お冠らしい。渡邉はエンジンをカットし、機体から出てこようとしている高平三等空尉に同情した。
誤字、脱字があれば報告お願いします。
感想をいただけると嬉しいです。
本作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
そしてご都合主義の塊です。