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宮古海峡
航空護衛艦《かが》緊急発進待機所
25 August.2021
《かが》は警戒任務として領海内での哨戒と訓練を並行して行っている。それは展開した第103飛行隊も同じで、パイロット達は訓練の合間に交代で防空警戒任務に就く。
今日は笠原がアラートに就いていた。五分待機と十五分待機に笠原と黒江、秋本と園倉で交互に就きながら二十四時間を過ごす。
海上訓練展開となると綿密で計画的な訓練内容となり、基礎訓練から始まり、空海共同ミッション等、飛行隊全体の能力向上が行われ、訓練最終段階になると航空戦術教導団からの指導を受ける。今回の展開は警戒任務が主な目的であり、海上訓練展開の慌ただしさは無いが、練度維持向上のための訓練は続いている。
今日もタッチアンドゴーが行われ、《かが》の緊急発進待機所にもその轟音が聞こえてきていた。
しかし今日の訓練は午前中で終わりとなった。西の台湾を回って、最大瞬間風速百ノットを越える強烈な勢力の台風十九号が接近しており、すでに東シナ海は天候が悪化し、雨も降り始めていた。
「今日の編成、今までで一番心細いな」
今日も“ワイリーエックス”のシューティンググラスを室内でかけたままの秋本が呟いた。秋本の他、黒江や園倉はリクライニングするソファに座ってリラックスしている。笠原は壁際の給湯器でインスタントコーヒーを淹れようとしていた。
「うるさいな。中堅の方々は皆出払ってるんだ。我慢しろ」
アラート待機のメンバーの最先任であるパッド長は笠原だった。四機編隊長資格を持っている二等空尉は珍しい。航空自衛軍の要員不足が原因であり、飛行時間が一千時間を超えた程度の笠原のような若手は本来フライト・リーダーを務めることはなかった。
この飛行隊には二尉のフライト・リーダーは笠原と和泉、藤澤の三人だけだ。フライト・リーダーともなると本来は一尉ほどの階級になる。
「こういう時に限ってかかるんだよな、スクランブル……」
笠原からコーヒーを受け取りながら秋本が呟いた。
「縁起でもない」
笠原が言ったとき、電話の呼び出し音が鳴り、飛行管理員の田島三曹が電話を取った。呼び出し音は方面隊防空指令所からのホットラインではなかった。
スクランブル発進のかき混ぜるの由来は、指揮系統や通常の飛行手順を超越して各飛行隊にオーダーが下されるからだ。
大抵は防空識別圏に入った時点で情報が入ってくるので段階的に準備しての発進になるが、ホットラインでいきなり緊急発進命令が来る場合もあった。
「国籍不明機出ました」
田島が報告した。笠原はすかさずスクリーンになっている地図の前に立つ。
「尖閣諸島久場島の北、東南東へ飛行中。単機です」
田島がすぐにスクリーンに正確な座標を表示する。
「お前が余計なことを言うからだ」
「俺のせいかよ」
秋本がぼやく中、スクリーンに表示された座標の航跡を笠原は睨んでいた。
「あーくそ、これ来るな」
「かかりますね」
園倉も同意する。中国機は防空識別圏に侵入しないぎりぎりのコースを取ってこちらに近づいていた。この《かが》を偵察する気だ。黒江も席を立って真剣な表情で針路を確認していた。
「天候は?」
「良くありません。台風が近づいています」
気象データを表示したパソコンを田島が回転させて笠原に見せる。
「台風十九号は中心気圧八九〇ヘクトパスカル、最大瞬間風速は秒速五十メートルを越えています。強風域は六百キロメートル以上で、現在の位置は与那国島の南、七百キロの位置を時速十五キロで発達しながら北東へ移動しています」
「結構な勢力だな……」
聞いただけでぞっとする規模の巨大台風だ。笠原は台風の進路予想図を睨んだ。
「温暖化だねぇ」
秋本は呆れたように呟いた。
「台風がアンノウンも追い払ってくれるといいんだが」
笠原の物言いに園倉が苦笑した。席に戻ってコーヒーをすする。緊急発進に備えてとびきり薄く淹れるコーヒーの味は、味をとやかく言うレベルではなかった。
天気とアンノウン。嫌な要因が揃ってきた。黒江はそれでも落ち着いた顔で、F‐18の技術指令書に目を戻していた。耳にかかった髪を撫でる仕草を見て、笠原は胸がざわつくような気分になり、湯気を立てるカップに視線を戻す。薄いコーヒーでカップの底が見えて、また溜息をつきたくなる。
「そういえばシャドウはアラート、何日ぶりだ?」
「最後に就いたのは前回の展開だな」
もう一か月ぶりの実戦任務だ。秋本が笠原を見てにやりと笑みを浮かべ、黒江を見てもう一度笠原を見た。秋本は黒江に話題を振れと目で訴えていた。笠原は余計なおせっかいだとばかりに秋本を睨む。だが、貴重な話題だ。
「ファルはどうだ?」
笠原が聞くと黒江は手に取っていたTOに顔を向けたまま横目を向けて、「103飛行隊に来る直前まで就いていた」と素っ気なく答えた。横目なので睨まれているようにも見える。
「シャドウより頼もしいな」
秋本が言う。
「ああ。リードは俺だが、頼りにしているぞ」
笠原がそう言うと黒江はやはり笠原を横目で見たまま、「了解……」とだけ答えて視線をTOに戻す。笠原は目だけで秋本と園倉に助けを求めた。秋本は苦笑して肩を竦める。
「じ、自分もシャドウさんとファルさんは頼りにしています!空護でのアラートは初めてで……!」
慌てて取り繕うように園倉が黒江に向かって言う。
「大丈夫だ。編隊長を信じて訓練通り飛べばいい」
黒江はTOを閉じるとそう言って園倉に向かって微笑む。言葉に含まれる感情が違いすぎて今度は二の句を継げない笠原が完全に閉口した。あからさまな態度の違いに秋本すら戸惑った表情を見せた。
そこへホットラインで電話がかかってきた。田島がすかさず取る。四人は田島を注視した。
「バトルステーション!」
田島の声に笠原と黒江は素早く立ち上がって待機室の入口へ向かう。B/Sがかかると五分待機組は要撃発進に備えて射出位置にて待機し、十五分待機は五分待機に繰り上がる。
飛行甲板に出る前に笠原はフライトヘルメットを被った。飛行甲板では安全管理上、ヘルメットの着用が義務付けられている。さらに台風の接近に伴う強烈な雨が飛行甲板を叩き付けていて、飛行甲板に立つデッキクルーたちも風に煽られてよろけそうになっていた。
「ファル、帰ったら時間をくれ。少し話したいことがある」
「……別に構わないが」
黒江は答えながらも笠原の顔を見て訝しげにもとれるような表情をしている。
笠原はもう振り返らずに機体へと急いだ。
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