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act1-1

神奈川県

厚木基地

23 August.2021



 今日は展開(デプロイメント)のための長距離移動飛行(フェリー)だ。救命装具室でいつものようにヘルメットを被って酸素マスクを点検し、耐Gスーツを着用し、救命胴衣(サバイバルベスト)を着用する。


 私物の入ったヘルメットバッグを背負うように後ろ手に担ぐと笠原は黒江の到着を待って列線事務室に入る。


『二十二日から三日間の日程で行われる日本と中国の閣僚級会談では緊張の続く中国・台湾の対立問題の対応が焦点になる模様です――』


 列線事務室に置かれた情報収集用の液晶テレビを眺めながら書類をまとめていた整備小隊長の江入浩二(えいりこうじ)一尉が振り返る。


「928号機、行きます」


 笠原が声をかけると江入はコーヒーをすすりながら手を挙げて応じた。


 厚木基地から《かが》に展開するために第103飛行隊の面々は早朝から準備を進めていた。整備組やその他飛行隊の地上要員を空護に連れていくためのCV‐22Jオスプレイ多用途輸送機がエプロンで待機している。


 黒江と無言で分かれ、今日も自分がアサインしている928号機の元へと向かう。渡邉三曹が笠原に敬礼してくる。それに答礼した笠原は外部点検を終えてサインし、射出座席の後ろの電子機器室に私物の詰まったヘルメットバッグを押し込んだ笠原はコックピットに乗り込むとハーネスで体を固定し、ヘルメットとマスクを装着した。


 今回の展開は通常の訓練展開(トレーニングデプロイ)とは違う。中国と台湾の間で続く軍事的緊張を警戒しての警戒任務に就く航空護衛艦への展開だ。現在東シナ海で任務に就く《きい》と交代するために横須賀を出て先行する《かが》がこれから約一か月間、笠原達の家になる。


 忘れ物が無いか心配になってきた。先ほど列線事務室に寄った瀬川がバイクにシートをかけ忘れたのを思い出して、基地にいる知り合いに頼み込んでいたのを思い出した。全く、これからフライトだというのに気が緩んでいると鼻で溜息を吐く。イヤーマフを付けた整備員とインターコムとハンドサインでやり取りしながらエンジンを始動。動翼の動きなどをチェックし、最終点検する。


 最後の点検を終えると列線員が輪留め(チョーク)を蹴飛ばして外し、チョークアウトを見せて素早く横に離れる。笠原がラダーペダルから力を抜き、ギアブレーキを緩めると機体がじわじわと動き出した。整列して見送る整備員たちに敬礼する。


『アツギタワー、シーウルフ01、離陸準備完了』


 飛行班長の的場二佐も自ら今日は機体を飛ばしている。的場と布施の乗るF‐18FJはすでに滑走路の端まで移動していた。基地に残していく機体の方が少ない。空護への展開は飛行隊総出のイベントだ。


『シーウルフ11、こちらタワー。ランウェイ01へのタキシングを許可』


「ラジャー。シーウルフ11、ランウェイ01へタキシング」


 笠原にもタキシングの許可が下りる。ランウェイ01を目指して機体を進めていく。後ろにはシーウルフ12のコールサインが与えられた黒江機が続いていた。


 洋上迷彩の支援戦闘機(FS)仕様のF‐18EJも出ている。今回は秋本が乗っていた。


 厚木基地より次々に第103飛行隊のF‐18EJが飛び立っていく。笠原も離陸すると今井が編隊長を務める四機編隊に加わった。


 今井とウィングマンを組んでいるのはスーモこと須崎智雄(すざきともお)二尉。笠原の二期先輩だった。黒江もそれに追いつくように四機編隊を組むと、まずはフィンガーチップ隊形を組んだ。


 今井一尉が位置情報などを報告している。移動中も訓練をしない手はない。編隊飛行課目を実施し、編隊を散開してから組み直す訓練を実施した。


 まず笠原と黒江は二機編隊を維持したまま、今井と須崎の編隊からバンクを振りながら離れる。


 その後、合流して単縦陣(トレイル)で編隊を組み直す。単純なトレイルでもぴたりと揃えて完成させるには緻密な操作が必要だった。相手に合わせて機首方位と角度を揃えるのには呼吸を合わせる様な連携が必要だ。トレイルが完成すると今度はバラバラに分かれて並列(アブレスト)で編隊を組む。


 黒江は離れてもすぐに笠原を見つけ出し、今井達に合流しようとする笠原にぴったりとくっついて編隊を維持していた。


 藤澤がシザーズ機動で振り切ろうとした時、動きを読んだようにぴたりとくっついていた黒江を思い出す。彼女は笠原とコンタクトも取らずに自分に追従している。


 編隊飛行はパイロット自身が持つ操縦技量を誤魔化すことが出来ない飛行だ。ブルーインパルスのように密集隊形タイトフォーメーションで綺麗に編隊を組んで飛ぶのは非常に綺麗だが、ただでさえ安定性に欠ける戦闘機があそこまで緻密かつ芸術的に編隊飛行するためにパイロットたちは日夜努力している。


 最後にスプレッドを組んで錬成を終了し、はるか西の《かが》を目指して飛んだ。


 高度三万五千フィートの空は静かだ。四機編隊で空を占有しているかのような錯覚を覚える。天候は雲の少ない穏やかな晴れ。全国的に天気が良いが、太平洋の南の方では台風になる恐れのある低気圧の動きがあった。日本列島を太平洋沿いに飛び、築城に途中で降りて給油を行う。


 瀬戸内海周防灘に滑走路を飛び出させた福岡県の築城基地は西部航空方面隊の第八航空団が配置されており、F‐2支援戦闘機を運用する第6飛行隊と、嘉手納に移駐した以前のF‐15Jを運用する第304飛行隊に代わって、三沢から同じくF‐2部隊の第8飛行隊が移駐しており、F‐2部隊の基地となっていた。


 群青色の洋上迷彩に塗られたF‐2が並んでいる中で、数機がF‐18EJと同じグレーの制空迷彩(カウンターシェイド)に塗られているのが見えた。


 元々、F‐2はいわゆる多用途戦闘機マルチロールファイターで、対艦ミサイル四基を搭載する能力を有しており、攻撃機(アタッカー)としての任務が主であるが、格闘戦向けのF‐16戦闘機がベースとなっており、運動性能向上(CCV)技術によって高い空対空戦闘能力を有している。


 邀撃の空対空任務を負う戦闘機と、対艦・対地攻撃を行って海自及び空自を支援する支援戦闘機は区分されてはいるが、防空任務も与えられていた。


 ここに配備されているF‐2がすべて再生産によって調達された新造機というわけではないが、それでも新造機は多い。東日本大震災によって喪失した複座型のF‐2Bの補填と、緊張の高まる中国脅威論に対応する戦力増強のために再生産して調達されたF‐2C/Dは大幅な改良が施されている。ロッキード・マーティン社が提唱した独自改造案を踏襲し、グラスコックピット化や対地攻撃能力の強化が図られる一方、ダイバータレス超音速インレットの装備などによるステルス性向上や対空戦闘能力も強化されていた。


 着陸するとそのF‐2Cのそばに先に降りた的場二佐らがいて飛行隊の古参パイロットたちと話していた。的場は飛行教導群出身で、F‐2Dに乗っていた経験もある。気にはなったが、近づきがたい雰囲気で笠原は築城の整備隊と若手のパイロット達の相手をすることになる。


「ハイオク、満タンで頼むよ。支払いはカードで」


「了解!請求書は厚木に送っときまぁすっ!」


 笠原の機を担当するのは整備隊の隊員は人懐っこい笑みの若い三等空曹と、腕まくりをした田舎の少年のように肌を焼いている活発そうな女性航空自衛官(WAF)の空士長だった。識別帽から飛び出した髪の毛は途中で癖っ毛になっていて、化粧気も無い。何やら張り切っているので興味深そうに遠目で見ながら若い三曹に話を聞くと、術科学校でF-18の整備教育を受けてきたばかりらしく、それを活かせることで張り切っているそうだった。


 黒江の機体を二人はそのまま整備し、給油(リフューエル)し、点検していく。黒江も二人の元気に働く姿に毒気を抜かれたような顔で感心して眺めていた。


「仕事が好きなんだな、あの二人は」


 話しかけられたのかと思って驚いて振り返ると黒江は秋本を見ていた。眼中にすらない笠原はがっかりして顔を機体に戻す。


 その間にも続々と第103飛行隊のF‐18EJが到着し、築城の空を震わせていた。




 築城を飛び立ち、《かが》に到着したのはその日の1620頃だった。


 先に的場二佐たちの編隊が着艦しているようで、無線のやり取りが聞こえてきていた。今井一尉がきい型航空機搭載護衛艦(DDV)《かが》に対し、これから接近しアプローチをとることを先んじて通報する。


 今、《かが》の直掩についているのは最新のはるな型ミサイル護衛艦のネームシップ、《はるな》だ。はるな型ミサイル護衛艦(DDG)は最新のイージス艦で、低空を高速で飛翔する巡航ミサイルへの対応能力が強化されている。艦隊防空型のイージス艦だと評されるが、弾道ミサイルへの対処能力も高く、イージスシステムも最新のBMD5.1、SM-3ブロックIIA迎撃ミサイルを搭載しており、一隻で南西諸島を除いた日本列島全域を弾道ミサイルから防護可能だ。また自衛軍への改編によって装備化が決定した巡航ミサイル搭載にも対応しており、新型の超音速巡航ミサイルを搭載することによって最強の(イージス)のみならず、矛としての能力も高い。


 航空護衛艦の管制圏への進入手続きは非常にシビアだ。進入に必要な各種手順や手続きを間違えれば航空護衛艦から要撃機の出迎えを受けることになる。もし事前通報とIFF信号なしで無線にも応答せずに接近すれば問答無用で直掩艦が空護を守ろうと実力を行使するはずだ。今も《はるな》からIFFによる呼びかけが行われ、笠原のF‐18もそれに応答していて、照射された対空レーダー波が機体を叩いて電子戦システムが反応している。あれがもし自分たちに牙を剥いたら対艦ミサイルなしに射程圏外まで逃げ切る自信はなかった。


『シーウルフ04、こちらイーグルネスト進入管制(アプローチ)


 空護《かが》の航空管制センター(CATCC)の進入管制席が編隊長の今井に呼びかけてきた。鷲の巣(イーグルネスト)が《かが》のコールサインだった。


『レーダーで識別した。艦は方位250で航行中。海面風は方位070から10ノット、相対風は245から9ノット。ピッチング、ローリング共に1度。有視界気象状態(VMC)。管制圏内への進入を許可。高度2500フィートでゲートに到達後、タワーと交信し報告せよ』


『シーウルフ04編隊、管制圏に進入、ゲート到達後、タワーとコンタクト。サンクス』


 今井が見事な英国英語キングスイングリッシュで応答する。今井は大学を出て自衛官になった男で、留学経験があった。


『イーグルネスト管制塔(タワー)、こちらシーウルフ04編隊。ゲートを2500フィートで通過した』


『シーウルフ04編隊、こちらイーグルネスト・タワー、ラジャー。左舷側(ハードポート)着艦経路(ダウンウィンド)への進入を許可する。ベースに到達したら報告せよ』


『ラジャー。シーウルフ04編隊、ベースで報告する』


 四機は編隊を組んだまま誘導に従って飛ぶ。《かが》の指定する待機飛行方法ホールディングパターンの経路がデータリンクによってMFD画面に表示される。高度をさらに落としていき、一〇〇〇フィートに達した。


 海はすでに夕暮れが迫り、波が陽の光を反射してミラーのようにきらきらと光っていた。その海面に大型艦の航跡(ウェーキ)が見え、それを辿ると全通甲板が特徴的な航空機搭載護衛艦が見えてきた。


 きい型航空機搭載護衛艦二番艦《かが》だ。満載排水量は四万七千トン。フランスの原子力空母《シャルル・ド・ゴール》を越える大きさだ。一個飛行隊プラスアルファと十四機の対潜哨戒ヘリコプターなどの艦載機を搭載可能で、艦隊の中核となるプラットホーム運用に徹しているために搭載する兵装も個艦防護の自衛用に限定されている、日本国海上自衛軍初の本格的な航空母艦型の護衛艦だ。


 まるで単艦で大海原を漂っているように見えるほど、《かが》を旗艦とする第五護衛隊群は各艦の間隔を開けていた。最も近いのが《はるな》だった。


 手順に従って着艦していく。笠原は四機の中で最後の着艦だった。


 ファイナルコースに乗り、マーシャル(LSO)にオンボールをコール。着艦誘導信号灯とマーシャルの誘導を頼りに機体をコントロールする。脈打つ鼓動が聞こえてきた。海に浮かぶ小さなアイロン台のような空護も、もう飛行甲板のデッキクルーたちの姿が識別できるほど近い。


『艦尾変わった!』


 パワーを一気に絞り、主脚が飛行甲板を叩いた。突き上げる衝撃に耐え、左手を振るスロットルへ。アフターバーナーに点火され、再び加速を始めようとする機体は、アレスティング・ワイヤーを捉えたフックの働きによって急減速し、飛行甲板に繋ぎとめられる。


『11、ヒッティング3!パワーカット』


「ラジャー、パワーカット」


 無線に弾んだような声を送ってしまった。心の中ではガッツポーズだ。やっと三番ワイヤーを捉えられた。思えば初めて「Tai l hooker」のワッペンを手に入れたのもこの《かが》での着艦だった。彼女とは相性が良いようだ。


 指示に従いつつ、機体を駐機スポットに収め、エンジンをカットし、コックピットから出る。飛行甲板には先発して到着していた第103飛行隊の整備小隊の隊員たちがすでにいて、先に降りていた機体をタイダウンしていた。


 飛行甲板上に並ぶ機体の中に濃い灰色の塗装が施されたT‐8高等練習機の姿があるのを認めて笠原は思わず足を止める。


「三番ワイヤーを捉えたな」


 腕組みをして待っていた今井一尉がにやりと口元を緩めながら近づいてきた。


「ええ、スノーさんはどうでした?」


「四番だ、ちくしょうめ」


 その悔しそうな言葉を聞いてから二人は笑った。そこへ黒江と須崎がやってくる。黒江が近づくと笠原は緊張と喉の渇きを覚えた。


「スーモ、腕が落ちたんじゃないか」


 今井に言われた須崎は後頭部を掻いた。黒江は笠原とは目線すら合わせなかった。


「うーん、シャドウに負けてらんないなぁ……」


「ところで、あれ」


 笠原が見ていたT‐8を見て今井が目を丸くする。


「珍しい爆弾積んでるな。小直径爆弾(SDB)か」


「しかもGBU‐39(サンキュウ)じゃない。40(ヨンマル)だ」


 F‐35導入後に自衛軍に配備された小直径爆弾であるGBU‐39精密誘導爆弾はF‐18EJにも装備できるため、実射したことはあったが、GBU‐40はさらに自動目標識別式の赤外線誘導シーカーを備え、高精度な終末誘導を行い、熱を発する移動目標も攻撃出来る。


「実弾だな、これから飛ぶのか」


「T‐8で撃つなんて珍しいな。試験か」


「訓練だろ。F‐35とかF‐2だって積んでるしな」


 そんなことを言いながら四人は艦橋構造物のハッチから艦内に入る。艦内の乗員たちは忙しそうだ。新造艦や長期間のドック入りを終えた艦が部隊配置に就く前に行われる練成訓練を、厳しく指導・評価する海上訓練指導隊(FTG)の士官らが点検をして回っており、《かが》の乗員たちもピリピリしている。


 空護は一年に一度、定期的な整備を受ける。そのため、日本は四隻の航空護衛艦を持っているが、常に展開しているのは二隻、定期整備に入るのが一隻、もう一隻は予備となる。これからこの《かが》は《きい》と入れ替わる形で長い任務に就く。長くて一か月は港に寄ることなく、連続不断で訓練と任務を続けるのだ。


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