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act2-6

 レーダーに第一護衛隊群の艦影が映っている。イージス艦を含むミサイル護衛艦(DDG)など八隻の護衛艦が一マイルずつ距離を取って輪形陣を組んでいた。こちらの敵味方識別装置(IFF)の呼び掛けにトランスポンダが応え、輝点(マーカー)が光っている。海の中には重要な軍事的存在感(プレゼンス)であり、高付加価値存在(ハイバリューアセット)である空護を守るために潜水艦が一隻張り付いているはずだ。


 距離は約百マイル。ちなみにマイルとはいうが、空自では海里(ノーチカルマイル)のことだ。


 浜松に拠点を置く警戒航空隊の空護展開専門の艦上警戒飛行隊である第604飛行隊のE‐2Dホークアイ早期警戒機(AEW)、コールサイン・ホークアイ03から通信が入り、《あまぎ》への誘導が開始された。


『こちらホークアイ03、シーウルフ編隊。高度を維持、ベクター125へ。なお以後はナイアッドの指示に従え』


 若い兵器管制官の声は冷たい。


「シーウルフ11、ラジャー」


 笠原たちは機首を方位125へ向ける。《あまぎ》は就役してから一年近く経つ立派な実戦配備中の空護だ。艦載部隊が今も訓練を行っており、事前に申請してあっても待たされる。


《あまぎ》の航空管制センター(CATCC)に接近中であることをあらかじめ知らせておく。コールサイン、ナイアッドこと《あまぎ》からは空護より方位170度、距離二十一マイル、高度六千フィートのマーシャルエリアと呼ばれる待機空域で周回飛行するよう指示された。


 笠原たちは指定されたポイントに着くと、アプローチ許可が出るまで指定の待機飛行方法ホールディングパターンで周回飛行を続ける。着艦待ちの機体が多いと長い時間暫く待たされることもあるので、周回飛行する際はオートパイロットにしておく。また着艦を行なう前に機体総重量をチェックし、F‐18EJの最大着艦(トラップ)重量より重くないか一応確認しておく。発進前にすでに計算してあるが、一応だ。


 もしオーバーしている場合は余分な武装や燃料を投棄しておくことになる。しかし大きな主翼を持って低速での安定性の高いF/A‐18Eは着艦進入速度をより低速に出来るため、ほぼそのまま持ち帰ることが出来る。


 着艦というのは陸上の基地に着陸するよりもはるかに高度な技術が必要だ。


 わずか三平方メートルの短い着艦用飛行甲板上に着艦するため、機体には頑丈なフックが装備されている。これを甲板上のアレスティング・ワイヤーに引っ掛けて半ば強引に機体を停止させるのだ。


 また陸上機がソフトランディングするため接地の寸前に機首を起こし(フレアー)降下率を抑えるのに対し、着艦では確実にワイヤーを捉えるためにアプローチ時の姿勢のまま機体を甲板に打ち付けるようにして接地を行う。そのため艦上機のランディングギアは陸上機のそれよりも頑丈に出来ていた。ただしランディングギアや甲板側の強度にも限界があるので、 着艦時の機体総重量は厳しく制限されているのだ。


 現代の航空母艦の多くにはアングルドデッキが装備されていた。これは艦のセンターラインに対して角度を付けられたもう一つのデッキで着艦はそのアングルドデッキで行なわれる。


 そのためアプローチは艦の真後ろからではなく、角度が付いている分右側から進入することになる。

あかぎ型を含む日本の空護の場合は約九度のアングルが付いているので、艦首が真北0度を向いているときは、進入は真後ろ180度からではなく170度から行なうことになり、機体は350度を向いてアプローチすることになる。さらに留意すべき点は空護が前進しているとアングルドデッキは常に右へ右へとずれて行くので、アプローチも接地の直前まではデッキよりやや右側を目指すようにしなくてはならない。


 自動着艦システム(ACLS)を使えば着艦は手放しでも出来るが、艦載機パイロットは腕を鈍らせないために非常時以外はACLSを使わない。そして着艦資格を得るにはマニュアルによる着艦技能が必要だった。


『ナイアッド・タワーよりシーウルフ11、ハードポート、着艦経路(ダウンウィンド)への進入を許可する。ベース到達後、報告せよ』


「シーウルフ11、ラジャー。アプローチを開始、ベース到達後、報告する」


 笠原たちは十分近く待機してからようやく進入の指示を受け、《あまぎ》へアプローチを開始した。笠原に続いて黒江、佐渡、瀬川の順だ。


 空護までの距離が十ノーチカルマイルになるまでに、高度を千二百フィート、速度を二百五十ノットにまで下げておく。タッチアンドゴーに備えて僚機に手信号を送って編隊を解散する。黒江は硫黄島と同様、隙の無い返答をして笠原機から離れた。


 暗い海に空護とその護衛艦の航跡(ウェーキ)が残っている。《あまぎ》の艦影が見えてきた。


「エアスピード、チェック。フックダウン」


 速度を確認しながらアレスティング・フックを下ろし、着艦アプローチをアピールするために艦の直上をフライパスするコースを取った。


「オントップ・スタンバイ……ナウ、マーク!レフトターン、ナウ」


 直上通過をコールして左旋回し、ダウンウィンドに進入。いつも通りのレーストラックを描く。ランディングチェックリストを消化し、ギアダウン、フラップをフルダウンにし、前方視野内表示装置(HUD)に表示される針路に沿って飛ぶ。再び左旋回し、ベースに入ったことをコールする。


「ナイアッド・タワー。こちらシーウルフ11。ベースに到達。タッチアンドゴーを実施する」


『シーウルフ11、タッチアンドゴーを許可する。艦首方位080、風は090から12ノット。マーシャルとコンタクト』


「ラジャー。タッチアンドゴーを継続、マーシャルとコンタクトする」


 笠原はマーシャルこと着艦信号士官(LSO)に周波数を合わせる。


『シーウルフ11、こちらマーシャル。ラジオチェック』


「マーシャル、こちらシーウルフ11。無線感度良好。残り五マイル。タッチアンドゴーを実施する」


『こちらマーシャル、了解した。こちらも感度良好。貴機を目視で確認。進入を継続せよ。ミートボールを確認後、報告』


「ラジャー」


 修正で機首を上げ下げすることで再び速度が変化するのでこれをまたスロットルで調整するというように、接地するまでは常にこの微調整を続けなければならない。


 距離四マイルほどで、空護左舷に設置されているボールと呼ばれるフレネルレンズ式光学着艦誘導システム──着艦誘導信号灯──を確認し、「オン・ボール」と笠原はコールした。


 この着艦誘導信号灯のライトと着艦信号士官(LSO)からの無線による指示を助けに機体を操縦する。


 機体が適正なグライド・スロープ上にある場合は着艦誘導信号灯中央の黄色いライト、ボールが横一列に並んだ緑色と同じ高さに見える。もしボールが緑色のライトより上に見える場合は機体の高度が高く、逆に下に見える場合は機体の高度が低いことを示している。左右のずれはLSOの指示と自分の目でアングルドデッキに引いてあるラインを見て修正する。


『キープ……キープ……少し高い、ダウン……ダウン……ダウン……パスに乗った!キープしろ。そのまま、そのまま、少し右へ……』


 LSOからの細かい指示に慎重に合わせていく。着艦は一人ではできない。LSOの指示を信じて連携しなくてはならなかった。


 巨大な《あまぎ》の艦影が徐々に大きくなっていく。夜間だが、飛行甲板の灯火や管制灯などが輝き、繁華街のような明るさを保った迫力のある姿だ。


『オーケー、フックアップ。キープ』


 タッチアンドゴーに備えてフックを格納。機首が上げ、高仰角姿勢になる。間もなく接地だ。接地の衝撃で舌を噛まないように意識する。


『艦尾変わった!』


 伝統的なコールが耳を打つ。このコール後ならパワーを絞れば機体は沈み、艦尾に機体をひっかけることなく自然に着艦できる。


 コールを聞いたと同時にパワーを絞る。主脚が飛行甲板を叩いた。突き上げるような衝撃が身体に伝わり、機体が沈む。


 接地後は必ず再離艦(ボルター)に備えパワーを上げる。そのままフルミリタリーパワーまでスロットルを押し込む。


想定再離艦(シミュレートボルター)


 LSOも無線越しに声を張る。加速し、再び機体は《あまぎ》の飛行甲板を離れ、笠原は機体を左に旋回させた。右旋回は発艦中の艦載機の針路を妨害してしまうので禁止だ。


 左旋回し、上昇した笠原にタワーより指示が飛ぶ。再びマーシャルへ戻り、周回飛行を行って待機する。黒江、佐渡、瀬川の順でタッチアンドゴーが行われた。


 黒江がやはり静かに空護に向かって降りていき、ギアを接地させて上昇する。続く佐渡、瀬川も全機問題なくタッチアンドゴーを決めた。マーシャルエリアに戻ってくる。


「サド、相変わらず固いぞ」


『リラックスしていけ、サド』


『了解です』


 笠原と瀬川に言われた佐渡がやや固い声で応答した。


『ギアを接地するのに身構えすぎているんだ。普段通り自然に飛ばしたほうがいい。それと離艦時のノーズアップが低い』


 黒江もアドバイスをしている。笠原は不穏な気分になったのを実感した。黒江に見てもらえている佐渡になぜか嫉妬してしまった。黒江はウィングマンの笠原には何の関心も示さなかった。


 笠原は次の指示をタワーより受け、再びタッチアンドゴーのアプローチを開始した。


 着艦は訓練でも実戦でもLSOによって常に採点されている。飛行甲板には約六メートル間隔で四本のアレスティング・ワイヤーが張られていて、約五センチ浮いてアレスティング・フックを引っ掛けられるようになっていた。手前から三番目のワイヤーにフックをかけられるのがベストとされている。三番目のワイヤーにフックをかけられると、米海軍に倣って「Tai l hooker」のワッペンが授与される。笠原はすでに取得済みだった。


 笠原はタッチアンドゴーでワイヤーにフックをかけるタイミングを測り、三番ワイヤーにフックをかけられるようにイメージしていた。


 三回のタッチアンドゴーの後に笠原は着艦を実施した。


 LSOの指示とボールを見て機体を細かく修正する。フックアップをせずにそのまま飛行甲板へと高仰角姿勢で向かった。


『艦尾変わった!』


 鋭いコールを聞き、笠原はスロットルを絞って機体を沈ませる。主脚が飛行甲板を叩き、衝撃が伝わってくると同時に、ボルターに備えて左手に握るスロットルレバーを押し込む。しかし今度はアレスティング・フックが飛行甲板に張られたアレスティング・ワイヤーを捉え、機体は強制的な制動を受ける。一気に機体が速度を失い、笠原の体にハーネスが食い込む。


 着艦成功だ。フックランナーと呼ばれるアレスティング・フックがワイヤーを捉えたことを確認する要員が走る。


『11、二番ワイヤーを捉えた。パワーカット、パワーカット』


「シーウルフ11、ラジャー。パワーカット」


 笠原はがっくりと項垂れたい気分になりながらもスロットルをすぐさま絞る。腰に着艦の衝撃で鈍い痛みが走っていた。つくづくこの衝撃には慣れない。


『フルストップ!フックアップ。着艦甲板からの離脱を許可。ハンドラーの指示に従え』


「ラジャー。着艦甲板を離れる。スタートタキシー。誘導に感謝する」


 フックを上げ、ワイヤーによる拘束を解いた笠原は慎重に地上とは比べられないほど狭い飛行甲板上で機体を進ませた。次に降りてくる機のためにも迅速にアングルドデッキを空ける必要があった。


 笠原は誘導に従って機体を駐機エリアへと進めた。飛行甲板上は着艦に備えた態勢になっているが、所狭しと機体が並んでいる。


 駐機スポットに機体を運び、そろそろと進めていく。誘導員が両手を突き出した。停止の合図だ。ギアブレーキをかけて機体を停止させ、パーキングブレーキをセットする。


 停止後のチェックを済ませた整備員が右手の親指を突き出し、次いで両手を真上に伸ばす。


 笠原がキャノピーの開閉ハンドルを手前に引くと、キャノピーが開くにつれ、飛行甲板の喧噪と共に排気ガスや海の潮風が流れ込んできた。酸素マスクの留め具を片側だけ外す。


 整備員に向かって首を掻き切る、エンジンカットの合図を送る。整備員が頷き、親指を突き出してサムズアップする。スタンバイ状態のレーダーを切り、その他の電子機器のスイッチを順次切るとエンジンの回転数をチェックしてから両エンジンのスロットルをカット位置まで下げる。二基のエンジンに送り込まれていた燃料が遮断され、甲高いエンジンの音がしぼんでいき、エンジンを停止させる。


 飛行後チェックリストを消化し、バッテリースイッチをカットし、整備員に合図する。列線員らが機体に取り付き、飛行後点検の作業を始めた。


 笠原は酸素マスクを外し、溜息を吐く。三番ワイヤーを今日は捉える気満々だったが、うまく行かなかった。ワイヤーとワイヤーとの間隔は六メートル。六メートルだ。六メートルものずれを思い出すと手で顔を覆いたくなる。そんな衝動を抑え、渡されたラダーを伝って飛行甲板へ降りた。


 飛行甲板は艦の上とは思えないほど広く、空から見たときよりもはるかに迫力がある。右舷側に寄せられた、島型艦橋(アイランド)方式となった上部構造物は煙突が一体化され、対空捜索と航空管制に用途特化したOPS‐50多機能レーダーが四面に配置されていた。その艦橋に航空管制室があり、この艦の飛行長(エアボス)がいる。


 前部飛行甲板の駐機スポットには《あまぎ》に展開している第101飛行隊ワンオーワン・タックスコードロンのF‐18FJ戦闘機とT‐8高等演習機が並んでいてその間を整備員たちが世話しなく動き回っていた。SH‐60K対潜哨戒ヘリが今も空護のそばをホバリングしていてローターが風を叩く音とエンジン音が響いている。──第101飛行隊が運用するF‐18はすべて複座型のF‐18FJだ。


 空護の舳先が波を切って進み、潮風と航空燃料の匂いが鼻孔を刺激する。航空機のエンジン音と護衛艦のガスタービンエンジンの音、整備員たちがひしめく喧噪の中の飛行甲板。笠原は深く息を吸った。帰ってきた。なんとなくそんな言葉が浮かんだ。


 黒江機が着艦していた。誘導され、こちらに向かってくる。笠原は肩を回しながら佐渡の着艦を眺めていた。無難な着艦を佐渡はこなした。捉えたのは笠原と同じ二番ワイヤーだ。続いて瀬川も着艦し、四人は合流すると第101飛行隊の整備隊員に案内され、《あまぎ》艦内へと進んだ。


 艦内は新造艦らしく非常に真新しく、そして広い。日本初の空護であるきい型と比べてもあかぎ型は排水量だけで二万トン以上違う。佐渡はあかぎ型に乗るのは初めてではないはずだったが、物珍しそうにきょろきょろしている。


「おい、やっぱりシャドウじゃないか」


 艦内を歩いていた笠原たちに声がかかった。笠原が振り返ると飛行服の上半身を捲ってタンクトップ姿のがっしりとした体格のパイロットが駆け寄ってくるところだった。


「アイクか!」


 笠原は驚いた声で振り返る。TACネームアイクこと麻井(あさい)邦弘(くにひろ)二等空尉は航空学生と着艦資格課程での笠原の同期だ。落ち着いた物腰と顔で、身長は黒江と並ぶ一七四センチの中肉中背だが、筋肉がしっかりとつき、肩幅が広い。今でも連絡を取り合っている笠原の数少ない友人だ。


「上で青い狼のF‐18(じゅうはち)を見たから、ちょうどシャドウを思い出してたんだよ。なんだ、来るなら言えよ」


 麻井は大げさに笠原の顔を見て喜んで見せた。二人は拳を突き出し合ってぶつけた。


「俺だってアイクが乗ってるの知らなかったよ。居たんなら言えよな」


 二人は笑った。


「お、セナもか。久しぶりだな」


「久しぶりだな、アイク」


 瀬川も麻井に挨拶する。パイロットの世界は狭い。日本全国に知り合いがいた。


「元気そうで良かった。今からエアボスのところに行ってデブリーフィングなんだが、このあと時間あるか?」


 笠原が聞くと麻井は肩を竦めた。


「もう俺は非番だよ。課業外さ。そこのラウンジで待ってる」


「おう。悪いな」


「気にすんな。ほら、部下が待ってる。早く行け」


 部下じゃないと笠原は訂正しながら麻井と分かれ、待っていた一同に合流する。


「待たせたな。悪い」


「同期か」


 黒江が聞いた。


「ああ。101飛の麻井二尉だ」


 笠原は浮かれ気味に話してから黒江がもうすでに自分に対し、興味を失っていることに気付いて顔を改めた。黒江は瀬川とすでに話していて笠原を見てはいなかった。


 笠原は飛行長(エアボス)のいる航空管制室へと向かった。




 麻井は航空学生から着艦資格取得まで共に汗を流し、切磋琢磨し合ってきた仲だった。笠原は社交的とはお世辞にも言えず、閉鎖的で孤独を好んだが、そんな笠原を麻井は放っておかなかった。航空学生時代を明るく過ごせたのもこの麻井がいたからだ。そんな麻井が再開を喜んでくれると黒江のことで頭を悩ませる笠原も気が楽になった。


 デブリーフィングを終え、フライトプランを提出した笠原は休憩時間を利用して麻井と合流した。


「もう最後に会ってから一年も経つのか」


「そうだな……」


 最後に会った時の麻井の顔を笠原は思い出す。


「変わらないな、アイクは」


「シャドウは少し老けたか」


 面白そうに麻井は笑う。笠原は面白くない。


「どこら辺だ?」


「雰囲気がな。なんか貫禄が出てきたって感じだな」


「貫禄ねぇ……」


 編隊長や指導官を経験したからかもしれない。しかし自分にあるのは貫禄や威厳ではなく、ただの威圧感だろう。艦内を歩いていると乗員たちは緊張しながら敬礼してきていた。


「最近はどうだ?」


「うちは日米豪の合同演習に向けて射爆訓練を結構やってたんだ。何トン落としたか覚えてないよ。そっちは?」


「こっちは新人に着艦資格教育だ。俺も一人教え子を持ってたが、104に拉致られた」


「拉致られたとは穏やかじゃないな。104飛は今、集めてる最中だから。よっぽど優秀だったんじゃないのか、その教え子」


「まさか。中の下だろうな。……そういえば一度も褒めたことが無かった」


「で、代わりに転任してきた黒江二尉と組んでいるんだな」


 麻井の視線の先にはスポーツドリンクを片手に佐渡と話す黒江の姿があった。腰に片手を当てて立つ姿は男らしい。


「知ってるのか?」


「ただでさえ少ない女性パイロットの中でもあれだけの美人だ。民間からの取材も受けてるし、広報誌にだって載ってるよ。知らないパイロットの方が少ないんじゃないか?相当な手練れだし。お前、モグリじゃないのか」


 そんな有名人だったとは笠原は知らなかった。


「気があるのか?」


 笠原は熱心に黒江を見ている麻井に、黒江がマスコミからの質問に真っ直ぐで素直な返答をしている姿を想像しながら聞いた。どうせ下世話なマスコミが期待しているような返答はしなかっただろうなとも思う。だが、自分に対してよりは愛想よく答えるに違いない。


「まさか。嫁に殺されるよ」


 麻井は笑った。麻井は妻帯者だ。披露宴では人前に出るのに向かない自分をこの男は引っ張り出してスピーチまでさせた。今ももっと適役がいたと引き摺るように思っている。


「仲は良さそうだな。嫁さん、元気か?」


 笠原は話題を変えた。これ以上黒江の話をすると気が滅入る。


「まあな。今二人目がお腹にいる。妊娠二ヶ月だ。そばにいてやれなくて辛いよ」


 麻井は少し寂しい笑みを見せた。笠原はふんと鼻で笑う。


「のろけやがって。子供生まれたらメールしてくれ」


「ああ。──明後日に帰港なんだ。飲みに行かないか?」


「おいおい、101飛は岩国だろ」


「次は米豪との合同訓練で南に行く。だから厚木に行って実家に帰る」


 空護の戦闘機は帰港する際、待機機以外の大半が基地に戻ることになっている。第101飛行隊は岩国基地が拠点だ。麻井は厚木勤務時代に結婚したため家が東京にあり、一人単身赴任していた。休日にはあの手この手で可能な限り東京の家に帰っているが、艦載機パイロットのシフトはシビアだ。一度海に出れば一ヶ月近く帰らないこともある。家族には行き先もいつ帰れるかも伝えられないのだ。相当な負担をしているに違いない。奥さんも大変な職の男を選んだものだ。


「ちゃんと家族サービスしろよ」


「分かってる。奢ろうか。今度の合同演習は手当てもつくし」


「馬鹿。妻子持ちの財布に頼れるか」


「空護勤務は陸上勤務より手当てがばっちりなんだよ」


「見栄張んな。これから大変だぞ」


 子供の養育費とか、その他色々。麻井は野球をしていたから子供が男の子なら野球をさせたいはずだ。ふと笠原は麻井が美人の妻と子に囲まれた幸せな家庭の中にいる姿を思い浮かべた。羨ましいと素直に思う。


 自分の未来にそんな光景はあるのだろうか。暗く冷たい家に帰る孤独な自分の姿しか笠原には想像できなかった。


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