act2-5
神奈川県
厚木基地
19 Augest.2021
今日の夜間訓練にアサインされたのは笠原と黒江、瀬川と佐渡の四人だった。硫黄島での陸上着艦訓練が急きょ変更となって本物の航空機搭載護衛艦での着艦訓練となった。笠原がこの四機編隊の編隊長を務める。救命装具室でGスーツや各種装具を身につけた笠原は自分の編隊員となる三人の先頭に立って列線場へと向かった。
笠原の今日の乗機は、F‐18EJの920号機で、群青色の洋上迷彩塗装だった。航空支援任務の訓練でよく使われる機体で、機付長は川内雪恵空士長という女性航空自衛官。大人しいが、仕事熱心な彼女は真面目な顔で気合の入った素早い敬礼をしてくる。
笠原もそれに応じて無駄のない所作の敬礼を返し、手渡されたチェックリストに目を通し、問題が無いことを確認してサインすると飛行前点検を実施する。いつも通り念入りに機体を見て回り、梯子を登ってコックピットの中に滑り込んだ。
ハーネスを川内に手伝ってもらいながら固定し、酸素マスクやヘルメット装着式表示装置の装備されたヘルメットを機体に接続する。補助動力装置にて機体を立ち上げ、多機能ディスプレイに表示された各種項目を確認する。
準備を終えると右手の人差し指をコックピットから突き出し、機付長の川内にエンジンを始動することを合図する。
川内が了解したことを確認し、JFSのボタンを押す。油圧アキュームレーターによってタービンが回転。右エンジン始動、回転数が二十パーセントになったところでスロットルをアイドルまで戻す。エンジンの回転数と温度などを素早くチェック。全て正常値。
続いて左エンジンも始動。同じくスロットルを戻すと計器をチェックし、川内に合図する。
プリフライトチェックを実施する。操縦桿を倒して補助翼や昇降舵、方向舵、カナードなどの動翼、ノズルの動作を川内と確認。問題なし。
「シーウルフ11よりシーウルフ各機。タキシング準備」
笠原は無線の規定通り英語で呼び掛け、送信周波数を管制塔に切り替える。
「シーウルフ四機編隊、チェックイン。厚木グラウンド、タキシングを要求する」
『シーウルフ編隊、ランウェイ01へのタキシングを許可する』
「ラジャー。ランウェイ01へタキシングする」
厚木基地の滑走路は一本だ。01とは方位010──約真北に向かって伸びている側で反対側からは19、つまりは方位190の約真南に向かって伸びている。
すでに陽は落ち、空の夕焼けも色あせ、夜が来ようとしている。今日のサードはNLPのため、夜間飛行帯に設定してあった。
一番機である笠原から先にタキシーアウト──エプロンを出てタキシングを開始する。川内を初めとする整備小隊の隊員たちが整列して敬礼し、それを見送る。笠原もそれに答礼し、ギアブレーキを解除、誘導路を進み、ランウェイ01へ向かう。
滑走路端に移動し、アーミングエリアで最終チェックを受ける。
地上点検を行うラストチャンスだ。ここで機体や兵装などに異常があれば飛行中止となる。
幸い問題はなく、全機が離陸態勢に入る。
「こちらシーウルフ11。厚木タワー、離陸許可を求む」
『シーウルフ11、ベクター160でアプローチ中のC‐130に注意。210から二ノットの風。離陸を許可する』
「了解、離陸する」
笠原を先頭に四機は次々に離陸した。滑走路を十五秒おきに機体が走り、アフターバーナーに点火して飛び立っていく。
笠原はさっさと機体が地面を離れると間を置かないようにギアを格納し、上昇させる。黒江がすぐ後ろを続いてきた。
今夜の訓練は夜間の着艦と空中給油だ。佐渡の錬成項目だが、他の三人にとっても重要な訓練だ。飛行隊は間もなく地上での訓練期間を終えて東シナ海の航空機搭載護衛艦に展開する予定になっていた。最近は着艦資格の錬成訓練を中心としていたが、全パイロットが前線に展開するのに必要な各種訓練を開始している。
海上自衛軍最新鋭のあかぎ型航空機搭載護衛艦二番艦の《あまぎ》が硫黄島近くの海域に展開しており、今回の訓練はその《あまぎ》にタッチアンドゴーを三回行ってから着艦。その後、タッチアンドゴーの評価を行い、発艦し、再び連続離着艦を行った後に《あまぎ》の艦載機から空中給油を受けて帰投する、というものだ。
笠原にとっては当たり前の単純な訓練だが、錬成訓練を受けている佐渡からすれば緊張の途切れない内容となる。
笠原達は指導、監督を務めるチェイサー役で佐渡の指導がメインになる。
厚木基地を発進した四機は太平洋に針路をとり、《あまぎ》を目指した。天気の良く、空気の澄んだ夜空が広がり、星が見えてきた。
今日は沈黙が続いているわけではない。時折笠原は瀬川や佐渡と言葉を交わし、黒江が自分を除く二人と言葉を交わすのを聞いていた。当たり前のように笠原と黒江との間に会話は無かった。それに気づいた佐渡が無理やり二人に話題を振るが、途端に黒江の歯切れは悪くなる。
「サドはイメージアップと編隊の維持に集中しておけ」
笠原は佐渡の心遣いに気付いたが、敢えてそう言って会話を断ち切った。黒江は笠原と話すことが苦痛らしい。言葉の端々にそれが見え隠れしている。
「何をどうすりゃそこまで嫌われるんだか……」
笠原は一人きりのコックピットで独り言ちる。気に障ることをしたのだろうか。それも無意識に。笠原は溜息を吐いて空を見上げた。
F‐18EJの座席はGを軽減するためにリクライニングしており、空を見上げるのは楽だった。いつ見ても感動を笠原は覚える。いつもなら黙っている笠原だが、今日はなぜかこの感動を他の誰かと共有したくなるうずうずとした気持ちになった。僚機を盗み見る様にしてちらりとだけ見ると黒江もまた星空を見上げているようだった。考えていることは同じなのにな、と寂しい胸苦しさを覚え、笠原は正面に視線を戻した。
悶々と悩んでいる間に空護から飛び立った早期警戒機の管制下に笠原達は入った。