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act2-4

神奈川県

厚木基地

16 August.2021



 先週末に起きた中国軍による弾道ミサイル発射以降、台湾海峡を挟んで中台は対立し、台湾空軍機も日本の領空すれすれまで飛び回って台湾海峡を越えてやってくるかもしれない中国軍機を警戒していた。


 国連の安全保障理事会で抗議を受けても中国は持論を通すことにしか興味が無く、日本政府の厳重抗議も台湾政府の非難声明にもどこ吹く風で、相手にもしていない。


 引き続き、デフコン4は維持されており、東シナ海では航空護衛艦《きい》を旗艦とする第二護衛隊群が宮古海峡まで進出していた。海上自衛軍も潜水艦の動向を警戒し、厚木基地からもP-1対潜哨戒機が飛び立っている。


 それに比べると第103飛行隊の雰囲気は通常となんら変わらず、訓練が続けられていた。しかしそれでも実戦を意識させる内容が盛り込まれている。朝礼時にはパイロットが脱出時に使用する拳銃の取り扱いの説明が実施された。拳銃を持つということは敵地での緊急脱出(ベイルアウト)を想定しているのだ。訓練時はおろか通常のスクランブル発進でも支給されない装備だった。前線の《きい》に展開した第102飛行隊のパイロットたちにはすでに拳銃まで支給されているという噂が広まっている。


 基地内の航空救難団の救難員たちも今日は銃を持った訓練を行っていた。航空自衛軍の一般的な航空救難団は高度な訓練を受けているが、戦闘捜索救難を想定した訓練は普段行っていない。


「実戦が近い……か?」


 秋本が呟く。


「どちらかといえば現場の自衛官の緊張感の強化だろ」


 笠原はそう答えながらも確かに実戦が近いことを感じざるを得なかった。


 エプロンにはすでに航空機の列線が完了し、今日の錬成訓練に向けて淡々とブリーフィングが行われている。


 笠原は黒江と向き合って本日の訓練についてのブリーフィングを行っていた。


夜間飛行訓練(ナイト)で硫黄島に飛んだことは?」


「ない」


 笠原の問いかけに短く答えた黒江の視線は手元のウェザーレポートに向いている。もう少し会話を膨らませて次の話への糸口を見つけたい笠原は口を結んで次の言葉を考えていた。かれこれ十回以上。笠原が話しかけては短い言葉で二の句を継がせない黒江は、すでにこれ以上会話をする必要がないとばかりの雰囲気だ。


「これは今度の陸上空母離着陸訓練(FCLP)で学生どもを飛ばす予行飛行みたいなもんだ。102(イチマルニ)で継続訓練をしてきているそうで心配はしていないが、何か不安事項はあるか?」


 そう言いながら笠原は夜間着陸訓練(NLP)時の硫黄島のランウェイの写真をファイルから取り出そうとした。


「ない」


 黒江はまた眼も合わせずに次の資料をめくっている。笠原は「そうか」と辛うじて答えるのが精いっぱいだった。机に視線を落とし、写真をファイルに戻し、足元のバックに静かに入れた。


 取り付く島もない……。まるで苦行のようなプリ・フライト・ブリーフィングだ。とっくに顔面からは血の気が引いていた。笠原は溜息を堪え、黒江を見つめた。笠原に対し、一切の関心を払わない黒江はその視線に気づいても気づかないふりをしているようだ。視界の端に様子を窺う秋本と今井の姿を見つけ、口を堅く結ぶ。


「……なら俺からの達示事項はもう無い」


 黒江はようやく書類を置いて事務的に「よろしくお願いします」と口にしてさっさと立ち上がると身を翻して背を向けて去っていった。


 実戦が近いと想像するほどの緊張が高まっている時期、自分はウィングマンとの連携すら覚束ない。これで本当に戦えるのか……?


 置いていかれたような孤独感を覚えた笠原はしばらく用意していた資料などが詰まったバックの取っ手を掴んだきり、椅子を立つことが出来なかった。


 *


 夜間飛行(ナイト)訓練のために1840(ヒトハチヨンマル)にテイクオフした笠原はF-18EJのコックピットでずっとモヤモヤとした気持ちだった。背中が落ち着かない。編隊飛行だというのに孤独で飛んでいるような気がしてならないのだ。


 振り返れば見事に笠原に合わせて二機編隊を組む黒江のF-18EJの姿が見える。衝突防止灯アンチコリジョンライトと翼端の航行灯(ナビゲーションライト)が灯ったF-18EJは、センターラインに増槽を吊っていて、模擬のAAM-5B短距離空対空ミサイルが二発、翼端のハードポイントに装備されていた。笠原と同じ状態だ。黒江はちょうど夕日の沈んだ濃紺の夕闇に沈む西の方向に顔を向けているようだ。


 薄暮の空は大気による太陽光の散乱により、茜色から橙色、金色に輝く夕焼けの名残と夕闇に沈む青、濃紺が入り混じっていた。雲は背景の空よりも暗く、はっきりと見える。初めて空からあの光景を見た時のことを思い出した。あの時もつい見とれてしまった。彼女も見とれているのだろうかと思っていると黒江の頭がこちらを向いた。慌てて顔を正面に戻す。


 すでに正面の視界は漆黒の闇に包まれていた。JHMCSとHUDの表示の輝度を落とし、闇に眼を慣れさせる。約一千二百五十キロ。片道一時間半の行程だ。遠いが、厚木基地でナイトのFCLPをかまそうものなら周辺住民から苦情が殺到する。エンジンサイズの拡大によって騒音は原型のF/A-18Eよりも抑えられていると言っても、戦闘機が発する爆音というのは戦闘機(ファイター)パイロットである笠原にとっても騒音そのものだ。


 一時間半もの長い間、黒江と一言も話さずに飛ぶのは息苦しい。顔を見合わせなければ話が出来るかもしれない。ウィングマンとの仲を深めるチャンスだ。笠原は僚機間通信のPTTを押し込んだ。


「ファル、あと数分で父島が見えてくるはずだ」


『了解』


 黒江の無感動な即答が耳朶を打ち、再び無線は沈黙する。


 何が了解なんだ。俺が何を伝えたいか、なぜわざわざ伝えてきたのかも理解しての了解なのか。


 こみ上げてくる不満を深呼吸して押しとどめた笠原はPTTスイッチに添えた指を力なく離した。


 結局、父島を確認しても黒江は何も言ってこなかった。合理的に無線の私的使用はしないという規律心の現れだろう、もう、それで良い。硫黄島までの一時間半の行程を二人はほぼ無言で過ごし、硫黄島飛行場の管制塔とコンタクトを取った。


 現在の硫黄島飛行場には偵察航空隊の第503飛行隊という無人偵察機を運用する偵察飛行隊が在駐していた。これは暫定的な配備で、第503飛行隊が配備するRQ-4Bグローバルホーク無人偵察機の試験運用などが完了すれば三沢基地に移駐する予定だった。


「イオウトウ・アプローチ。こちらシーウルフ11編隊。ゲートの北35マイルを8500フィートで飛行中。管制圏内への進入及び5回のタッチアンドゴー訓練(トレーニング)を要求」


 笠原は慣れたように交信を始めた。


『シーウルフ11編隊、こちらイオウトウ・アプローチ。レーダーで識別。ゲート北30マイル、8500フィート。有視界気象状態(VMC)、管制圏内への進入を許可。ゲートに到達後、管制塔(タワー)交信せよ(コンタクト)


 二機は空母に対する着艦アプローチと同様の指示を受けながら連続離着陸訓練(タッチアンドゴー)を開始する。


「イオウトウ・タワー。こちらシーウルフ11編隊。2500フィート、ゲートを通過(パス)


『シーウルフ11編隊、こちらイオウトウ・タワー。左舷側(ハードポート)着艦経路(ダウンウィンド)への進入(アプローチ)を許可。ベース進入後、報告せよ』


 無線でのやり取りも着艦に則って行われる。データリンクによって着艦訓練用の指定パターンが表示される。HUDに表示される表示に従い高度を1000フィートまで下げる。


 黒江に向かって連続離着艦(CTGL)訓練のために編隊解散の手信号を出す。了解の手信号を無駄のない所作で返した黒江機は左旋回で離れた。硫黄島の滑走路が見えてきた。本日は第103飛行隊の二機のFCLPのために滑走路が航空護衛艦の飛行甲板と同様の着陸誘導灯になっていた。


「エアスピードチェック、フックダウン」


 着艦アプローチをとることを視覚的にアピールするためにアレスティング・フックをフックダウンして直上を通過する、通常の空母に対する飛行も行う。


「オントップ、マーク。レフトターン、ナウ」


 直上を通過し、左旋回。そのまま着艦(着陸)経路に進入する。空母への着艦経路はレーストラック方式が用いられている。文字通り陸上競技のトラックのように反時計周りでコースを飛行し、着艦する。


「エアスピードチェック。アビームスタンバイ……マーク。ギアダウン、ランディングチェックリスト」


 着艦地点の真横でギアダウンし、着艦前の最終点検であるギアダウンの確認、フラップ・フックの位置の確認、速度の最終確認などのランディングチェックリストを実施する。


「レフトターン、ナウ。ベース・コール……」


 左降下旋回し、パワーを絞りながらファイナルコースに機首を向ける。


「イオウトウ・タワー、こちらシーウルフ11。ベースに到達。タッチアンドゴーを実施する」


『シーウルフ12、タッチアンドゴーを許可する。風は120から五ノット。着艦信号士官(マーシャル)とコンタクト』


「ラジャー。マーシャルとコンタクト」


 タワーと交信しながらも機体を徐々にタッチアンドゴーに向けて修正する。


 LSOはベテランの艦載機パイロットが務める。硫黄島基地では着艦資格を持つパイロットたちがLSOの資格である着艦誘導資格を取得するべく訓練していた。


『シーウルフ11、こちらマーシャル。貴機を視認、進入を継続せよ。接地点まで四マイル。ミートボールが見えたらコールせよ』


「ラジャー。シーウルフ11、オンボール」


 ボールと呼ばれるフレネルレンズ式光学着艦システムが見えたことをコールする。


『少し低い。パワーを上げろ……良いぞ、適正なパスに乗った。ステディ……ステディ……キープしろ』


 LSOが細かく指示する。その指示に従い、さらにフレネルレンズ式光学着艦システムの着艦誘導信号灯のライトが適正経路の緑一線となるよう機体をコントロールする。


『フックアップ。キープ』


 下げていたアレスティング・フックをタッチアンドゴーに備えて格納する。高度も速度も充分下がり、機首上げ、高仰角姿勢になる。間もなく接地だ。接地の衝撃で舌を噛まないように気をつける。


『艦尾変わった!』


 着艦体制に入った機体が完全に艦尾を通過した瞬間の伝統的なコールが耳を打つ。機首を上げ、スロットルを絞る。


 主脚が滑走路を叩いた。衝撃が伝わり、機体が沈む。


「ボルター!」


 接地後は必ず再離艦(ボルター)に備えパワーを上げておくが、今回はボルターが前提だ。ミリタリーパワーまでスロットルを押し込んだ。


模擬着艦失敗(シミュレートボルター)!』


 ボルターは着艦失敗時に行うため、ここでは着艦失敗を模擬して以後の行動に移る。


 加速し、再び機体は上昇する。笠原は機体を左に旋回させた。ちなみに右旋回は発艦中の艦載機の針路を妨害してしまうので禁止されている。


 同様に黒江がアプローチを始めたのを確認した。黒江のF-18EJがするすると滑走路に糸で結ばれて引き寄せられるかのようにまっすぐ向かっていく。


 修正についてもスムーズだ。高仰角姿勢で滑走路に進入した黒江の機体が滑走路を叩き、再びアフターバーナーに点火して上昇していく。


 二機はタッチアンドゴーを五回繰り返し、着陸する。ここで給油等の支援を受け、すぐさま厚木にとんぼ返りすることになる。


 硫黄島飛行場のエプロン地区には無人偵察機MQ-9リーパーと、再編された第22飛行隊のT-8高等練習機が五機並んでいた。


 T-8高等練習機はT-4中等練習機の後継として開発された純国産の艦載型戦闘機前段階練習(LIFT)機だ。T-4と異なり、超音速飛行が可能であり、さらに着艦訓練も出来る。


 またLIFT機として対戦闘機訓練や対地射爆訓練、非常時には補助戦闘機として使用するため、M61機関砲や火器管制レーダーを装備できる余地があり、高出力エンジンと先進技術実証機から得たCCV技術が活かされ、高い機動性を発揮する。


 双発で信頼性が高く、周辺諸国からは練習機としてだけではなく、軽戦闘機としても注目されており、輸出も行われているベストセラー機だ。


 第22飛行隊はF-18戦闘機を使用して戦闘機操縦課程の教育訓練を行っている飛行隊だ。T-8は近年の戦闘機同様にグラスコックピット化されており、F-18に乗る導入教育で使用されていた。


「T-8、懐かしいな」


 笠原は隊舎のラウンジで書類を書きながら声をかけた。返事が返ってこないので黒江の方を窺うと、黒江は無言で笠原を見つめていた。


「……私は前の飛行隊でアグレッサー役を務めた時に乗っていた」


 黒江は顔を背けるとそう答えた。


「……俺は教育までだ」


 笠原はやはり望んでいた会話の糸口とならなかったことに落ち込みながらそれだけ言った。黒江はやはりそれ以降の会話を繋げては来なかった。


 無言の時間に耐えながら笠原は書類を書くと飛行場勤務隊に顔を出して気象を再度確認する。


「これから帰ります。ありがとうございました」


「了解です。お疲れ様でした」


 ベテランらしい中年の幹部がやけに丁寧に声をかけてきたので不審に思いながらエプロンに向かうと、背後から黒江が続いていたことを思い出した。自衛官以外に人が住まない硫黄島で見ることの出来る美人は貴重だ。


 列線員達が補給と点検を終えて笠原達に敬礼する。笠原と黒江もそれに答礼し、機体に乗り込む。


 整備員とインターコムとハンドサインでやり取りしながらエンジンを始動し、機体各所の作動点検を行う。


 他に離陸する機体も無いので非常にスムーズだ。直ちに離陸し、硫黄島タワーに感謝の言葉を伝え、一路厚木へととんぼ返りする。


 笠原は給油後の燃料計算を行いつつ、僚機から目を離さず淡々と飛ぶ。まるで試験だ。まだ戦闘機課程に進んだばかりの時期を思い出した。無言のプレッシャーが襲ってくる。自分のフライトのすべてを丸裸にされている気分。


 あまり気持ちの良いものではなかった。




 基地に帰ると、オペレーションルームの隊員たちは皆、テレビにくぎ付けになっていた。軽くシャワーを浴びて乾いたフライトスーツに着替えてきた笠原は黒江と思わず顔を見合わせていた。


 黒江は顔を見合わせた後、なぜ見合わせてしまったんだとばかりに慌てて顔を逸らす。別にそれくらいで恥じるような仕草をしなくてもと笠原は呆れながら「戻りました」と声をかけた。


「おお、シャドウか。どうだった?」


 振り返った瀬川が聞く。


「どうって……別に普通だが」


「あ、そう。お前たちが飛んでる間に厄介なことになってるぜ」


 テレビを見上げるとアナウンサーが興奮したように同じことを再び語り出そうとしているところだった。テロップにはでかでかと「中国軍の爆撃機、撃墜される」と乗っている。


「は?」


 思わず身を乗り出すとアナウンサーはまるで自分だけが知っているニュースを伝えたくてしようがないように興奮した様子で語った。


『台湾国防部の発表によりますと、本日夕方、台湾海峡において台湾領空を領空侵犯した中国軍の爆撃機を台湾空軍の戦闘機が追尾、警告に従わなかったため撃墜したとのことです。爆撃機の乗員の安否は不明で、現在台湾軍の救難隊が現場海域を捜索しています』


 笠原は憮然とした顔でそのニュースを見ていた。アナウンサーの背景には今回、撃墜された爆撃機と同型機として、防衛省が公開している自衛軍機に要撃を受けた中国人民解放軍空軍のH-6爆撃機が表示されている。撃墜した台湾空軍の戦闘機はF-16だったようだ。


『中国は先日から軍事演習を台湾周辺で実施、台湾上空を弾道弾が通過し、台湾政府が抗議した矢先の出来事でした。両国関係の緊迫化は周辺情勢を不安定にしており、日本も海上自衛軍の“空母”を周辺海域に展開させることを検討しています……』


「空護だっつーの」


 秋本が呟いた。


「言葉騙しは通じんさ。それとデフコン4は継続だ」


 秋本の言葉に瀬川が肩を竦め、笠原に言った。


「俺たちの展開(デプロイ)も早まるかもな」


 笠原はそう楽観を装って呟きながら黒江の横顔を盗み見た。黒江も同様、真剣な顔でテレビを見つめていた。





誤字、脱字があれば報告お願いします。

感想をいただけると嬉しいです。


T-8高等練習機

グラスコックピット化の流れに対応しています。

双発、双垂直尾翼でF-18とT-4を足して割ったみたいな外見……というイメージです。

超音速飛行が可能で離着艦可能となると相当高額になりそうなんで、通常タイプと離着艦が可能なタイプに分けた方が良いかもしれませんね……

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