act2-2
太平洋上空
K空域
10 Augest.2024
結局、笠原と黒江の二人の不仲は改善されることなく初の訓練が始まってしまった。今日は黒江の技量を見るための空戦機動訓練だ。珍しい三対三で、編隊は笠原、黒江、瀬川、対抗役は安藤、藤澤、福原。中堅的レベルの三人とベテラン、中堅、新人レベルの三人との戦いとなる。
あれ以来黒江は笠原とは積極的に話そうとせず、距離を置いていた。しかし今は気にすることなく訓練に集中することにしている。
「交差して反転上昇したのちに開始だ。ファル、援護する」
体と機体にGをかけるウォーミングアップ飛行を終えた笠原は編隊間無線に吹き込んだ。
『了解』
黒江は冷えきったような無感動な声で応じる。クールビューティーか、と心の中で笠原は呟く。
『シャドウ、やっぱりプリフライトブリーフィング通りやんのか』
瀬川が問いかけてきた。
「そうだ、セナ。ファルが主役だ」
『ラジャー』
笠原はこのACMで藤澤に前回の結果を挽回したかった。しかし今回は黒江の技量を見るためのACMだ。今回もお預けだな。笠原はそう思い、操縦桿を握り直した。
前方から旋回してきた三機編隊が迫る。相対速度は一〇〇〇マイル。今回はレーダー使用もあるが、距離は最初からないので必然的にドッグファイトになる。
『シャドウ、こちらデンター』
入間の要撃管制官が呼びかけてきた。デンターは三十代半ばのベテランらしい風格のある男の管制官で、はきはきと的確な指示を飛ばす。
『五マイル、デッド・アヘッド。間もなく会敵』
「デンター、こちらシャドウ。ラジャー」
視界にも三機編隊の機影が見えてきていた。ヘルメットのバイザーに備わり、常に視界に必要な情報を表示するヘルメット装着式表示装置によって目標指示ボックスが接近する機影を四角く囲んで表示した。機影は一瞬のうちに大きく迫って来た。
『交差する。3、2、1、ナウ』
三機編隊同士が交差し、一気に反転に入った。
「ファイツ・オン!」
笠原たちは反転上昇する。
『敵機、三時方向!』
瀬川が怒鳴る。
「エンゲージ!」
笠原は操縦桿を倒して九十度バンク――翼を垂直に立てて旋回する。Gスーツが身体を締め付け、耐G呼吸で耐える。さらにGに逆らって頭をぐいぐい動かし、周囲を周辺視で見ながらヘルメットに備わるJHMCSのディスプレイ上に表示されるTDボックスに囲まれた機影を追う。レーダーを見ている暇は無く、視界の端で辛うじて多機能ディスプレイのレーダー画面を見ていた。
黒江も素早く九十度のバンクをとって反転してきた対抗機の上から押さえつけるように追った。笠原も続く。
黒江が追っているのは藤澤機だ。レーダーでロックオンするために後方を占位しようとしている。藤澤はそれを振り切ろうと右へ左へ不規則な急旋回を行うシザーズ機動をしていた。シザーズ機動の最中はお互いに攻撃ポジションが取れない。笠原が攻撃を仕掛ける。
『シャドウ、ボギー二機、セブン・オクロック、8マイル、ハイ』
デンターがレーダーを見る余裕のない笠原に声で状況を的確に伝える。七時方向、八マイルの距離、自機より上方。安藤と福原が藤澤を援護しようと笠原と黒江の後方に回り込んできたのだ。
「セナ、カバー!」
『任せろ。ポジションにつく』
瀬川が素早く援護に入り、笠原と黒江をカバーする。黒江は優位な位置に立ったままぴったりと藤澤に追従していた。機体の動翼に笠原は注目した。藤澤がする挙動の一瞬前に黒江はそちらに機体を運んでいた。ぴったり追従できるわけだ。予測?いや、勘か?
藤澤が急減速して追越させようとしてした。援護位置に笠原がいるので黒江は無理をせず一旦離脱。笠原が藤澤の後方を占位した。
兵装選択装置でFOX2――赤外線画像誘導ミサイルを選択し、レーダーがミサイルのシーカーヘッドとリンクする。
藤澤機はアフターバーナーに点火し、加速を始めるが、遅い。ドッグファイトというのは速度が命だ。エネルギーを考えて常に戦わなくてはならない。減速するなら高度を上げて速度を位置エネルギーに変えておき、加速するなら降下して位置エネルギーを運動エネルギーにしていく。ドッグファイトの鉄則だ。
F‐18EJ/FJはベースのF/A‐18E/Fよりはエンジンを換装し、ダッシュ力がついているが、それでも加速性能には限界がある。それを補うために藤澤は咄嗟に機首を下げて急降下し、位置エネルギーを運動エネルギーにして加速しようとする。
笠原は落ち着いて追尾しながらレーダーの捜索モードを切り換えて藤澤を捕捉する。機上のJ/APG‐3がミサイルのシーカーヘッドとリンクしてターゲットを捕捉にかかる。
藤澤にレーダーを振り切るだけのパワーは残されていなかった。
自動補足モードのレーダーが藤澤機をロックオンし、JHMCSに表示された藤澤機をシーカーヘッドシンボルが囲み、TDボックスが赤く染まる。
「シャドウ、FOX2。ボギー、ワン・キル」
藤澤に対して死刑宣告を行う。藤澤機は機体を水平に戻し、空域を離れる。
藤澤を撃墜でき、笠原は満足だった。心のなかで現在の勝率を引き分けにカウントしておく。本人の悔しがった顔が目に思い浮かんだ。
「ファル、グッジョブ!」
僚機間無線に話しかけながらも笠原は次の行動に入っていた。上昇し、スプリットSの要領──ループの頂点で機体を捻って水平にして反転する機動――で機首を真後ろに向けると、瀬川の援護に向かう。黒江も同様、とっくに次の行動に移っていた。
『シャドウ、早く援護を!』
瀬川は安藤と福原に追い詰められていた。二機が狼のように瀬川を追い詰めている。
「待ってろ、セナ!今行く」
笠原は返事をしながら左手に握るスロットルレバーを押し込み、アフターバーナー点火、増速する。
*
安藤の技量は恐ろしかった。藤澤を失い、二対三という戦力差に加え、未熟と言っても過言ではない福原がウィングマンだったが、それでも安藤は瀬川を落とし、続いて笠原もかなり追い詰められた。なんとか福原を黒江が先に撃墜し、二対一に持ち込んで安藤を撃墜したが、危うい戦いだった。
基地に帰投し、駐機スポットに機体を運んだ笠原は風防を開けるとすぐにヘルメットを脱いで汗を拭った。
「お疲れ様です」
梯子をコックピットに渡した渡邉が声をかけ、笠原にタオルを渡す。渡邉はやはり気さくだ。汗だくで全力疾走後のようにまだ息が整っていなかった。
「ありがとう。機体を頼むよ」
「了解です」
気さくな渡邉に感謝しながら笠原はタオルで頭を拭きながら黒江の方を見た。機体から降りた黒江はヘルメットを抱え、姿勢良くたたずんでいる。風が彼女の濡れた髪を揺らし、妙に艶かしい光景だった。
「お疲れ」
笠原が声をかけると彼女は驚いたように振り向くが、笠原の顔を見るなりまた漂白されたように無表情になった。
「ああ」
黒江はそう短く応じて何か言いたそうな顔をしていた。笠原は続けようとした彼女への称賛の言葉を呑み込む。勝利で高揚していた溜飲は下がり、気持ちは結局晴れず、胸苦しさだけが残った。何も顔を見ただけで表情を変えなくてもいいだろうに。
「あちいな。早くブリーフィングルームに行こうぜ」
「はい」
瀬川がその微妙な空気を知ってか知らずか割り込んでくる。黒江は笠原以外とは順調に慣れ、瀬川とも話すようになっていた。笠原は並んだ黒江と瀬川の少し後ろを遅れるように続きながら、瀬川に応じて色々話しながらも歩く黒江を見てやはり胸が締め付けられるような苦しい痛みを感じた。そんなに何が気に食わないのだろうか。自分の言動を思い出すが、やはり頭を捻るばかりだ。しかし、笠原は人を不愉快にさせ、敵を作るのは得意だ。あの藤澤が笠原に対して挑発的な態度を取るのも笠原に原因がある。
自分のウィングマンは、自分のことを敵だと断定してしまったのだろうか。そう思うと空虚な気持ちになった。
*
「大変だな」
瀬川から事情を聴いた秋本はそう言って落ち込む笠原に同情しながらも飲み干したコーヒーの缶のプルタブを外してゴミ箱に放りこんだ。
ACM訓練を終え、勝利を収めたというのに笠原は普段の強面と鋭い目付きだったが、それも今は萎れているように見える。相当気に病んでいるようだった。秋本は瀬川と共に笠原を連れて事務室へ戻った。
事務室のホワイトボードには午後のフライトのことが書き込まれている。そのホワイトボードの前では第103飛行隊飛行班のナンバー2である総括班長の加沢光明三等空佐がいた。
「887号機、不調か。……明日のフライトの機体を変更しよう」
電話を相手にスケジュール表を見直し、調整している。乗機は機体の整備状況や調子によっては変更される。相変わらず忙しそうだ。黒江は笠原の向かいの机ですでにレポートをまとめていた。
「まーだあの調子なのか」
安藤一尉が黒江には聞こえないよう笠原に声をかけていた。先輩気質な安藤はよく部下たちの面倒を見てくれる。ウィングマン同士が不仲なのを気に掛けてくれたのだろう。
「……はあ」
笠原は曖昧に頷いている。
「シャドウ、週末は飲みに行くぞ」
笠原は素直に頷きながら黒江から視線を外した。
「あ、自分も良いですか」
秋本が口を挟むと安藤はにやりと笑う。
「もちろんだ。セナも行くか?」
振り返ると瀬川は一瞬、喉を詰まらせたような顔をしたが、苦笑いして振り返る。
「金曜はサドの補備教育です、残念極まりない」
「あいつは大丈夫です、バイクの部品買って今月の給料風前の灯らしいんで」
秋本が言うと安藤は笑った。