7.動き出す場所
季節はあっという間に冬に変わり、構内の至る場所に落ち葉のカーペットが出来ていた。
私はその黄色い道を踏みしめながら、はぁっと息を吐き出す。
1時間の昼休み。
いつもだったらみんなと食べる昼ご飯。でも今日は、そうすることが出来なかった。
切れ切れに空に浮かぶ雲を見上げる。
「……アメリカ、か」
呟いた言葉も、切れ切れに空に消えていく。
今朝、テレビのニュースでスポーツコーナーをうっかり見てしまった。
上原と中田くんは、明日いよいよ発つらしい。
連日テレビでも新聞でも顔を見ない日はなくて、意識して避けていたのに。
アメリカだって。ホントに遠いよね。
大学時代にちょっと頑張って留学していたことを思い出す。
違う言葉。違う生活。違う世界。光の色さえも違う場所。
今ではもう、体の中はすっかり干上がって枕を濡らすことはなくなった。
自分でこれでいいんだって納得して決めたことだもの、当然だ。
それでも、こうして不意をつかれると弱い。
構内だからいつ誰に会うとも限らないのに、今誰かに声を掛けられてもちゃんと返せる自信がない。
私の仕事の場合、普段接してるのは同僚だけじゃなくて学生もいるって言うのに。
剥がれ落ちそうになる心の壁を、ぎゅっと目をつぶって押し留めようとした。
向こうで、どんな生活を送るんだろう。
日本じゃほとんどバスケで悩むなんてことはないだろうけれど、アメリカは本場だから何があるか分からないし。
もしかしたら、ブロンドの彼女が出来たりするのかもね。
「う、ふっ……」
バカだ、私。
未だ思い浮かべるだけで、押し留められなくなるなんて。
無意識に唇を覆う。
いつまでもあのキスを憶えているなんて不毛なだけなのに。
中学時代はいつだってちょっと乱暴だったけれど、あの最後のキスはあんなにも優しくて。
大人になってしまった本物の上原のキスを知ってしまったら、どうしても忘れられなかった。
とうとう抑えきれなくなって、俯いた。声にならない嗚咽が指の隙間から零れ落ちてゆく。
上原はもう手の届かない星。しかも、自分で手放したんだ。
道端で立ち尽くしたまま、広い空の下で1人、動けない私。
枯れていたはずの涙が一度溢れ出したら止まらない。
何て滑稽なんだろう。世界が違うことが苦しくて離れたはずなのに。
離れた今も、ううん、今までずっと、ずっと苦しかった。
本当はずっと一緒にいたかった。
私は全然強くない。こんなにも弱い。
そんなことに今更気付いてしまっても、何も出来ずにただ、泣き続けるだけ。
「うえは、」
「……やっと呼んだな」
突然、ぎゅうっと背後から何かに包み込まれた。
大きくて、温かくて。
驚きで息が詰まった。抱きすくめられて、振り返れない。
「なん、で……」
「何でだろーなー」
私の首筋に顔を埋めた声の主。
言葉はのんびりしているのに、私を抱き締めた腕はよりきつくなってゆく。
「お前こそ、何で?」
「えっ……?」
「何で俺の名前呼んだ?」
相変わらず、呼吸は浅いまま、混乱した頭にも全然酸素が行き渡らない。涙が止まる。
「なぁ」
こっち向けよ、と解いたその腕で向き合わされる。
まるで今までのことが何一つなかったかのように、無邪気な顔をして私の顔を覗き込んでくる上原。
ど う し て こ こ に い る の
目も口も見開いて突っ立ったままでいたから、気付いたときにはもう、意思とは関係なく私は今度は正面からその腕に抱き締められていた。