2.考えもしなかった再会
学祭の日は、よく晴れていた。
雲ひとつない空。絶好の学祭日和。
私は結局体育館にいた。気は進まなかったのに、こんな近くで有名人を見ることなんて滅多にないと言う郁子ちゃんと雪見ちゃんに引っ張り出されてしまった。
案の定、体育館には溢れんばかりの人。あの中田涼介が結婚後初めて公の場に姿を現すとあって、報道陣もたくさん詰め掛けている。
なるべく前で見たいと学生のようにはしゃぐ2人に断って、私は体育館の入口の脇に突っ立っていた。
来てみたはいいものの、いざ体育館に入ったら途端にどうしたらいいか分からなくなってしまって。だから人ごみに隠れるようにして1人、立ち尽くす。
正直この人ごみにホッとしていた。
上原と会いたくなかった。
この中にいれば、私から彼は見えても、彼からは私を見つけるなんてことはないから。いくら10年ぶりだって、顔まで忘れられてるとは限らないもの。
頭が混乱して手が汗ばむ。
どうしてこうなの。もう私たちは関係ない。向こうは有名人、こちらはただの一般人なんだから―――。
MCの学生の紹介で2人が入ってくるなり、会場が沸く。
思わず息を詰めた。
忘れもしない姿だった。さらさらした黒髪。見た目よりがっしりしている背中。
そんなことを思い出してしまって、向こうが私に気付くはずもないのにドキドキした。
2人が席に着くと、トークライブが始まった。
会は大盛況。中田くんが惚気話を炸裂させて報道陣も喜んでいた。
そっと息をつく。
マスコミに非公開になっている彼の奥さんを知っている。同級生で、中田くんとは幼馴染同士だった子。
可愛くて、一途で、私にはないいろんなものを持っていて、ずっと憧れていた。
何より中田くんに大切にされていて、いいなって思ってた。羨ましかった。
それは彼女が彼に対していつだって素直だったからで、それが出来なかった私にそんなこと望める資格なんてなかったのだけれど。
それでも、私が少しでもああいう風になれていたら、きっと全然違う未来が開けていたのだと思わずにはいられない。
私は見てはいけないと思いながら、衝動を抑え切れずに盗み見るようにして上原の顔を見ていた。
あの頃のまま、全然変わらなかった。
もちろん最近の彼を知らないわけじゃない。TVをつければスポーツはこの2人の話題で持ちきりだし、つい昨日だってうっかり特集を見てしまったくらいだ。
だからこうしてまたあの頃と同じようにいることが不思議。
その刹那、目が合った。
ただの勘違いかもしれない。きっとそうに違いない。
でも、彼はその時驚いたような顔をした気がする。それも本当に一瞬のことだったから、本当のことなんて分からないけれど。
そしてすぐに自分の思い上がりだって思った。
そうよ。目なんて合うはずない。
ライブではそれ以降も、よく喋る中田くんと対照的に上原はほとんど何も話さなかった。
*
私はライブが終わる前にそっと体育館を抜け出していた。
これ以上は耐えられない気がした。
いそいそと教務課へ戻って、机の上を整頓する。整頓しているようで、結局はファイルを並べ直しただけ。そんな自分に愕然とした。
もう終わったことなのに、いつまでうじうじしているんだろう私は。
気持ちを落ち着かせようと冷蔵庫からアイスコーヒーを出す。生協で買ったパックコーヒー。
あの頃はコーヒーなんて、苦くて飲めなかった。
ジュースも炭酸も苦手だった私はいつもお茶か紅茶。よく笑われた。
……さ、もう帰ろう。今日はいつ上がってもいいと言われている。
今日でよく分かった。もう彼とは違う世界にいる。改めて目にしたらあんなにもはっきりしてた。
上原にはああいう光輝く世界がよく似合う。いつだって眩しくて、でも自分自身だってその場所にふさわしくいつも輝いている。
あの時離れて、正解だったんだ。これで良かったの。
それに、今更どうこうって話でもないんだから。
「……岩崎?」
え?
どこかで聞いた声。
教務課の鍵を閉めて鞄にしまったところで掛けられた声にひるむ。その隙に腕を取られた。
「え……」
「久しぶり」
振り向いたその先には、さっきまでライトの中央にいた2人がいた。
私の腕を取ったまま中田涼介が笑っている。制服を着ていたあの頃と錯覚してしまうくらい自然に、まるでさっきまで一緒に勉強でもしていたかのように。
「何で……」
「それはこっちのセリフ」
その笑顔に耐え切れず顔を逸らす。そうしたら、必然的にもう1人と目が合った。
上原卓哉。
相変わらず強い眼差しをした人。
「……岩崎」
話しかけられた。
反射のように思わず反応してしまったことに気付かれただろうか。
指先が震えるのが分かる。動揺しているんだ、私。
あの頃のように名前では呼んでもらえない現実。胸の奥がちくりと痛んだ。
引っ張られるようにして視線が絡まり、見つめ合う。
「ここで働いてんの?」
「まあ、ね」
気まずくて俯く。
制服を脱いだ私。年だけとった姿なんて見られたくなかった。
「へぇ、凄い凄い」
中田くんはなおも笑っていた。
頬がかっと熱くなる。この2人に比べたら、何が凄いと言うのだろう。恥ずかしくて仕方なかった。
「な?卓哉」
「……ああ」
「あんたたちに言われたくないわ」
どう切り返していいか分からず、気付いたら強がっていた。
「日本全国のバスケ少年の憧れの的のお2人に言われてもね」
そう。彼らの肩には、たくさんの少年たちの夢が乗っている。
私なんかとはまるで違う。
「そーかなぁ。俺は岩崎がやってるこの仕事も、責任は俺たちとさほど変わらないと思うけど」
「慰めの言葉、ありがと」
「本当にそう思ってるんだけどな」
じっと見つめられる。本当に心からそう思っているんだという顔をして。
その優しさに泣きそうになった。
彼らは昔から、こんな風にどこまでも優しかった。
あの頃はそれが辛かった。わがままだった、あの頃の私。
「岩崎はこの後どうすんの?」
「え?帰るけど……」
「電車?バス?」
「車……」
「良かった。そんならこいつ送ってってよ」
「え?」
「俺これから深雪と食事行くんだよ。憶えてるだろ?うちの奥さん」
「そりゃ憶えてるけど……ってちょっと!」
困っている私を尻目に、中田くんはもう歩き出していた。慌てて後を追いかける。
必死な私の後ろに、あの頃のように上原が続いた。
「ちょ、ちょっと、ねぇ、中田くんっ」
「ん?久しぶりなんだし積もる話もあるだろ。頼むよ」
「頼むよって……」
「まあまあそう固く考えずに。……お前もいいだろ?」
「……ああ」
「じゃ、決まりな」
中田くんは振り返りざま私を通り越して上原にそう言った。
上原はこうなることを知っていたかのように、ちょっと間があったけれど、慌てることも表情を変えることもなく、ただ頷いた。
こうして私は10年ぶりに、上原と2人きりになる。