ろまんす(2)
でもだからと言って今の俺ではそんなことは言えない。それが苦しかった。
*
時計を見やると朝の7時。俺は布団を占領したまま一晩寝てしまったのか。
さっき起き上がったことで布団が不自然に偏った。
それを感じ取ったのかかすかに眉が顰められ、萌の目が開いてゆく。
焦点のずれていたその大きな瞳が、だんだんと色を取り戻してこちらを見つめた。
「上原……大丈夫?」
そう言いながら俺の額と自分の額に片方ずつ手を当てて、考え込むような顔をする。
距離が近くて思わず心臓が跳ねる。
「……ああ、だいぶいい」
「そ、……か。良かった」
にっこり笑う。相変わらず何も考えずにそうやって素で笑う萌。
俺は俯く。この不自然な動悸に気づかれないように。
風邪の症状と勘違いされたらやってられない。
こいつなら有り得る話だ。
そんな俺の心の中など知るはずもなく、萌はうーんと背伸びをする。
私こんなところで寝ちゃったよ、と苦笑している。
その格好は昨夜見たのとは違うラフなもの。
どうやら寝る支度を整えてから俺の隣で眠りについたらしい。
「うわ、やだ朝じゃない。あ、ねぇ上原、何か食べられそう?」
「え?あ、ああ」
「良かった。何か食べたほうが回復早いだろうし……じゃ、おうどんでも作るね」
俺はそう言って台所に向かう背中をぼうっと見た。
感じる違和感。意図的に避けられた話題が1つ。
そこで一気に目が覚める。
……ああそうか、そうだよな。こいつが知らないわけがない。
*
俺はそのあとネギのたんまり入ったうどんを食わされ、風邪薬まで飲まされた。
その様子を萌はじっと見ていた。
その間もお互い核心に触れるようなことはひとことも話さなかった。
どうして俺が今、日本にいるのか。
逢えばそれを訊かれるだろうと思っていた。
訊かれれば答えなければならないだろう。
でも何と言ったらいいのか分からなかった。訊かれたくない自分もいる。
それなのに俺はこいつに無性に逢いたくなってしまって、戦いの場から逃げてきた。随分矛盾している。
こんな自分は嫌だった。
きっと俺が言わなければこいつは敢えて何も訊かないつもりなんだろう。
だから、俺は自分で重い口を開くことにした。
「……fired」
萌の目が一瞬見開かれた。それを見ないようにして、目の前に座る肩にもたれかかる。
びくっとして、でも拒まないその柔らかい身体。
俺は目を瞑って、なるべく静かに息を吐いた。
「カットされた」
今度は日本語で。
かなり震えた。
「……うん」
頭の上で萌が頷いた。
俺はますますその身体に抱きかかえられるようにして沈み込む。
萌の両腕が苦しみの元である背中に触れた。
何だかホッとして、思わず泣きそうになった。
2週間前、突然チームから解雇された。はっきり言えば、戦力外通告。
3ヶ月前に痛めた背中のせいで上手くシュートが決まらなくなった。
やっと治ったけれど、時すでに遅し。原因はそれだと分かっている。
この世界は常々実力だけがモノを言う。
結果を残さなければ落とされる。ただそれだけ。
そんなことは向こうに渡るずっと前から分かっていたはずなのに、いざ叩きつけられたそれは思った以上に堪えた。
そして俺は、こいつに逢うためだけに逃げ帰ってきた。
外国でまで、また中坊のときのように中田たちの厄介にはなりたくなかった。
あいつらはこいつと同じくらい俺なんかのために心を痛めるお節介だから。
「ねえ、」
その声に、息が震えた。
泣きたくなんてないのに、零れ落ちてしまいそうだ。
だからぐっと喉に力を入れた。
泣かないために。弱い自分にならないために。
「ありがと」
俺の惚れたこの女は、逃げてきた俺に対して感謝を述べている。
……何でだ。
背中に触れていた萌の手に力が入り、俺は抱き締められた。
「私のところに帰って来てくれて、ありがとね」
バカだお前。何でそんな声なんだ。
本気でやばい。
頭にくっつく白い頬。耳に届く温かい吐息。
ああ、本当に萌がそばにいる。
「私嬉しいんだ。だってどうせあのチームにいなくたってバスケするんでしょ?挑戦し続けるつもりでしょ、これからも。だってバスケ大好きだもんね。私は……こうして逢いに来てくれるから、そばにいてもいいんだなって、私が必要なんだって上原が感じてくれてるのかなって……ちょっと自信つく」
「お前、バカだな」
「バカでいいんだもん」
萌は思い切り膨れて見せた。
そしてついに俺は泣いた。
熱出して泣くなんて、子供みたいと萌が笑った。それは俺にだけ見せる、優しい顔。
子供でいいよ、お前のその顔を見られるなら。
俺今究極的に自分に自信が無いけれど、それでも、そんな俺のそばにいてくんないかな。
本当は弱い俺。そういうの見せんの嫌だったんだ、誰にも。
でもお前ならいいと思える。
そう思ったらずっと胸に痞えていた苦しさが取れたような気がした。
萌は俺が落ち着くようにと背中を撫でていた。
しばらくそうして、腕が解かれる。
俺は萌を見上げた。
「なぁ……仕事、好きか?」
恐る恐る訊く。
「……うん」
萌はこくりと頷いた。
それだって分かってたことだ。でも。
それでもいつでもこうして手の届く範囲にいてほしいと願う我が儘な自分。
俺はそっと息をついた。
「……でもね、」
萌がこっちを見ている。俺も見つめ返した。
「今はそれ以上に……こうしてそばにいたいの」
何だよ。何なんだよ、その直球の破壊力は。
じわじわと込み上げてくる嬉しさ。俺はその言葉を噛み締めた。
そして今度は逆に萌を腕の中に包み込む。
「……一緒に来て」
小さく息と共に吐き出した本音。
答えが怖いんじゃない。きっとこうして弱音を吐くと、一気にボロボロに崩れてしまいそうで、それが怖かったんだ。
でもこいつのそばにいられないことのほうが今の俺にはよっぽど恐ろしく思えた。
「……うん」
ムードとかそんなの関係ない。
ただ、萌がそばにいることを望んでくれるかどうかだ。格好悪いけど。
でも格好なんてはっきり言ってどうでも良かった。
別に格好いいと言ってくれる誰かのために生きてるわけじゃない。萌がいて、バスケがやれたらそれでいい。
だからもう、充分だ。
これからはもう、いつでもそばに。




