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三話

 あの夜の直後にも関わらず、真由は遅刻もせず健気に登校してきた。

 真由はじっと机に張りつき、視線を窓の外へと向けている。友人が声をかけてきても、教師から出席簿で頭を叩かれても、真由は一切として反応を見せず、病んだ空気をらんらんと発露していた。

 真由は教師からカウンセリング室への移動を要請され、さらに一時間後、早退を命じられた。

 昨晩の動物の皮剥ぎ惨殺体は、今朝のローカルニュースには取り上げられなかった。当然だ。あたしらは警察に通報しなかったのだ。真由を家へ送ったあと、あたしはガーデニング用のスコップとゴム手袋を手に現場まで戻り、小一時間かけて墓穴を掘った。動物の死体を埋め終わると、腕時計の短針はとうにてっぺんを過ぎていた。

 というわけで、今日はとても眠い。



 携帯電話に着信があった。放課後になって女子トイレの個室に入り、着信履歴から掛け直す。三秒で吉村浩介は電話に出た。

『真由ちゃんの猫がいなくなったそうだね』と彼は言う。

「よく知ってるね。吉村くんに話した記憶はないんだけど」

 が、昨晩の事件については知らなさそうだ。もし彼がその事件を知っていれば、真っ先にそこから食いついてくるだろうから。

『これから暇?』

「たいへん忙しいですね」

『話がある。いつもの所へ行こう』

 話が通じない。いつもの所ってのは多分、喫茶店ソレイユだろう。あたしはまだ二回しか行ったことがない。いつもの所と呼ぶには気が早過ぎるような。

 寝ぼけ眼をこすって口を開き、きっぱりと断ろうとするが、思い直してそのままあくびをした。喋るのも面倒くさかった。もう電話切ろう。

 そのとき、個室のドアがノックされた。

「入ってまぁす」

『知ってる』

 恐ろしさのあまり思わず通話を切った。そっと、ドアの鍵を解錠する。

 ドアを開けると、そこには携帯を耳に当てたままの吉村くんが立っていた。狐みたいな細目で笑い、便座カバーの上で足を組んで座るあたしを見下ろす。念を押して言うが、ここは女子トイレだ。

「ヘンタイ」

「お詫びに飴を買ってあげよう」

「許す」

 ちょうどよく女生徒三人組が入ってきて、ちょっとした騒ぎになった。



 昔ながらの駄菓子屋で激レアな牛乳寒天飴を二袋買ってもらった。

 喫茶店ソレイユまでの道のりを進んでいると、途中で個人経営らしきジュエリーショップを見つけた。その店の前で足を止める。吉村くんは、突如立ち止まるあたしを迷惑そうに一瞥したが、それでも歩みを続けた。あたしはお店に入る。吉村くんは苛立たしげに足を踏み鳴らして引き返してきた。

 ショップ店員の明るい笑顔に迎えられ、店内を徘徊する。吉村くんが無言の圧力を背中からかけてくる。気にしないようにする。

 ペアアクセサリーの展示棚を発見した。ペアアクセサリーとは、仲の良いカップルが具体的な愛と絆を手に入れるために購入していく商品だ。見ているだけで恥ずかしい。

 棚の表示に『刻印無料のペアネックレスはコチラ』とある。そちらに目を移す。一対のペンダントが展示されている。昨日、あたしが偶然入手したペンダントによく似たタイプのものだ。

 すると、ショップ店員が忍び足で近づいてきた。あたしと吉村くんの顔を見比べ、いくらか確信したように言った。

「なにかペア商品をお探しですね?」

 しまった、と思った。吉村くんが思案顔であたしを見る。二人からの視線がやけに重かった。咳払いをひとつして、あたしは笑顔を作る。

「こういう品物のことで、ちょっと質問が」

「はい、なんでしょう」

「二人一緒に着けるわけじゃないですか、こういうの」あたしは棚の表示を指した。「ここに『刻印無料』って書いてありますけど、普通は、相手の名前を入れるわけですよね」

「そうですね。大抵の方はそういう刻印を注文されます」

 彼女はどうやら、買い取り客を掴んだと勘違いしているらしい。そういう、若干高揚した口調だった。悪いとは思いつつもあたしは再度確認を取る。

「たとえば彼、浩介くんって言うんですけど。もし彼とペアで買うとして、あたしの着けるペンダントには浩介って掘って、彼が着けるペンダントにはあたしの名前を掘るんですよね。それが一般的?」

「そうですそうです。あ、もしかしてペンダントをお探しですか? ご予算はおいくらほどでお考えでしょう」

「いえ、その」

「学生さんのカップルにはこちらが人気ですよ。ほら、二つくっつけるとハート型になるんです。可愛いでしょう。お二人にもぴったりかと」

 あー、もうだめだ死ぬ、と思ってあたしは軽く手を振った。

「あの、ごめんなさい。今日は見にきただけなんですよ。じっくり二人で話し合ってみて、それから決めようかなって。なんで、また今度みたいな」

「そうなんですか……」ショップ店員は残念そうに相づちする。「でも、その方がいいかもしれませんね。こういうのって案外重要ですから。愛の価値は無機物なんかに左右されないって言うけど、私はそうは思いません。形があるっていいことなんです。相手の姿を偶像的に見せてくれますからね。だってそうでしょう、愛というものは、」

「行こう、浩介くん」

 吉村くんの背中を押して無理やり店から飛び出す。どんだけ恥ずかしいこと語り出す女なんだよ、と思いながら。

 額の汗を拭う。あたしの顔面は、汗と火照りでのっぴきならないことになっていた。

「浩介くんか……」

 隣で意味ありげな呟きが聞こえた。もう知らん。あたしは顔を逸らして歩き出した。



 喫茶店ソレイユに入ると、不良風の高校生店員に、また来たのかよ、というような顔をされた。三度目の入店にして顔を覚えられるのは結構なことだったが、仮にもこっちは客である。

 アイスティー二つを注文した。待っているあいだ、吉村くんと無言で木製テーブルを挟む。彼は、さっきのジュエリーショップでの件について何も訊いてこない。ただ、複雑そうな愛想笑いを向けてくるばかりだった。なので、あたしは自ら誤解を解きにいく。

「さっきのことだけど。あたし、友達に相談されててさ。ペアネックレスについて。好きな人が出来たんだって、その子。なにかプレゼントしたいらしいんだけど、どういうのがいいのかなって、そういう相談で」

「咲子さん、友達いないじゃん」

「真由がいる」

 自分で言ってて泣けてきた。

「真由ちゃんに好きな人が。飼い猫がいなくなった今の状況で?」

 彼の瞬発的な読みの深さには末恐ろしいものがある。それからあたしは、口八丁の嘘八百で吉村くんを騙しにかかった。ときおり事実を挿入し、信憑性には細心の注意を払う。

 まず、真由とともに猫のタコヤキを探し回ったことはありのままに語った。気をつけるべきポイントはそのあと。すなわち、動物の皮剥ぎ死体と、その犯人とおぼしき人物についてだ。この一連の出来事は伏せて話した。

 なぜかというと、やはりそこは真由のためだった。吉村くんがこの話に興味を持ってもらっては困る。彼は、事件という言葉を女の子の次に好むのだ。好き勝手に事件をかき回されて、また真由を混乱させたくはない。

 あたしは慎重に嘘を吐く。真由はもう、いなくなった猫をそれほど心配していないのだ、ついでにペアネックレスの相談を持ちかけてくるのだ、と。

 吉村くんは半信半疑の表情を浮かべた。というか、明らかに信じていなかった。

「まぁ、いいけど」

 口先だけの納得をして、また不安げにあたしを見つめた。

「結局、咲子さんは僕に気があるわけじゃないんだよね?」

「うん、まあ……」

 どうしてこんな反応をされなければいけないのだろう。あたしに好かれるのがそんなに嫌か?

 吉村くんはほっと息を吐く。

「ならいいんだ。よかった。実は僕も咲子さんに相談したいことがあって。これでやっと話せるよ。だからここに連れてきたわけだから」

 そこでアイスティーが運ばれてくる。おまたせしました、という不良風店員の無愛想な接客文句。店員がいなくなるのを見計らい、吉村くんが神妙な面持ちを作る。あたしはもう、吉村くんが何を言うのか悟ってしまった。

「単刀直入に言うけど、僕ね、いま恋をしているんだ」

 やっぱり。なんかすごい時間を無駄にしている気がする。

「一応聞くけど、相手はどんな人かな。ロリコンはもう卒業した?」

「うん。今度は年上の女性」

 吉村くんはストローなしでアイスティーを傾ける。一気に三分の一まで減らした。彼が興奮している証拠だった。

「たまたま、とあるカフェで出会ったんだ。都内のお洒落なブックカフェでね。一人、彼女は本を読んでいた。膝の上に、茶ぶちの猫を乗せて」

 茶ぶちの猫、とあたしは心の中で反芻する。

「とても綺麗な女性だった。一目惚れとはああいうことを言うんだろう。入店一分以内に僕は話しかけた。というかナンパした。そうして僕は、そこでやっと気づいたわけさ」

 吉村くんは一度後ろを振り返り、光を一身に浴びるオープンテラスを流し見た。感傷に浸り、もったいぶるように間を置く。

「咲子さん、恋には障害がつきものだよね」

「かもね」

「しかも僕らの場合、障害はとても具体的な部分にある」

「つまり?」

「彼女、目が見えないんだ」と吉村くんは言う。「読んでいた本というのは、実は点字の本だった」

 徐々に、あたしの思考がまとまっていくのが分かった。

「その人の名前は?」

「静香さん。洗礼された美しい名前だろう」

「そうですね」

 言いながら、あたしはポケットに手を入れる。昨晩手に入れたシルバーのペンダントを取り出した。木製テーブルの下に隠し、吉村くんには見えないようにする。ペンダントに刻まれた『SHIZUKA』の文字を見ながら、いくつかの疑問と矛盾点を整理していく。そうして決意を固めた。

 この一件は、あたし一人で解決してみせる。

「そのブックカフェ、あたしにも紹介してよ」

 吉村くんはまた、さっきの疑り深い目をした。

「僕、修羅場は嫌だよ」

 くそ。

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