一話
祭りは嫌いだけど、人助けってのはなかなか悪くない。
十月一日。神社の境内では縁日が開かれていた。川向かいの先で大玉の花火があがり、人々は明るい夜空をあおいだ。色とりどりの浴衣と、汗で薄く湿った甚平の群れ。
この場所で高校の制服姿なんて、たぶんあたしだけなんだろうな。
今日は文芸部の部誌の仕上げで、遅くまで学校にこもっていた。たった一人で。一応部長だし、他の部員には気を使ったつもりだった。
ソースと汗と香水のまじった独特の匂いがする。鼻がいいせいか、こういうのは苦手だ。
縁日外れの川沿いには枝垂れ柳が立ち並んでいる。そこには女の人がいた。紺を基調とした浴衣を着ていて、柳のたもとで立ち尽くしている。彼女は白杖を手にしている。視覚障害者が使うような伸縮性の安全杖だ。
「どうしました?」
声をかけてみる。いつものあたしなら素通りするところだった。女性は白杖の先へと顔を落としたまま、「迷子になりました」と言う。表情は、暗くて分からない。
「連れとはぐれてしまったんです」と彼女は再度言う。
「よかったら、一緒に探しますよ」
白杖の女性はうっすらと微笑んだ、ような気がした。やはりよく見えない。一緒に探すとは言ったものの、どう連れていけばよいものか分からない。
すると女性が、宙空にゆるく手を持ち上げた。あぁ、と納得し、その手を取ってあたしの腕へと持っていく。彼女はあたしの二の腕を掴んだ。
「お連れさん、どこにいそうですかね」
「たぶん、たこ焼き屋さんあたりにいると思います」
人混みの流れから守るように、女性を後ろにたずさえる。
「なんでたこ焼き屋さん?」
「彼は、たこ焼きが大好きなんです。私も大好物なので」
だからって、たこ焼き屋にいると考えるのも安易だろう、と思ったが口にはしなかった。実際、あたしが余計なことを言う必要はなかった。連れとやらは、ほんとうにたこ焼き屋の前にいたのだ。
「静香、どこに行ってたんだ」
けっこう格好いい、若い男だった。グレイの浴衣を着込み、胸元でシルバーのペンダントを光らせている。白杖の女性を見ると、彼女も同じ型のベージュのペンダントを着けていた。
はぁ、カップルかよ。
「どうもありがとうございます」
浴衣の男性に礼を言われ、あたしは無駄にどきどきしながらうなずいた。イケメンすぎてまともに顔も見られない。面食いも極めつけだ。
それから軽く、彼らと雑談を交わした。そのあいだ彼は、気遣うように彼女にぴったりと寄り添っていた。
その二人からは汗と香水の独特の匂いはしてこない。視覚障害者の彼女のためだろうか、嗅感覚の邪魔になるため、彼らは普段から香水を使用しないのだという。
「どうしよう、静香。この子になにかお礼をしないと」
白杖の女性は目を閉じたまま(もとより見えないので終始閉じていたが)、うぅん、と唸った。
「やはり、たこ焼きがいいんじゃないでしょうか」
「やはり、なんだね」浴衣の男性は短く笑って、「君、たこ焼きは好き?」
あたしはまたも無言でうなずく。
彼は屋台のオッサンにたこ焼きを注文する。八個入りを二パック、六百円。片方をあたしに渡して、もう一つは彼女に持たせる。
「本当に、ありがとうございました」
二人して頭を下げてくる。さっきは、カップルかよ、などと舌打ちしそうになったあたしだが、こうまで懇切丁寧な対応をされると、こちらも素直な好意を示さならなければいけない。
「いえこちらこそ。たこ焼き、どうもありがとうございます」
ていうか、普通に嬉しかったし。
帰り道、たこ焼きを食べながら歩いていたら、道中で小峰真由と出会った。真由は薄桃色の浴衣姿で、頭のうしろに仮面ライダーのお面を装着していた。どう見てもお祭り帰りだった。
真由はあたしと同じ文芸部員である。かなり頭の弱い女子だ。愛らしい犬みたいな顔をしているが、チャームポイントのアヒル口とゆるゆるウェーブヘアーはあたしに取って目障りでしかない。
彼女はしきりにあたりをきょろきょろと見回し、なにかを探していた。おっす、と声をかけると、真由は涙目をあたしに向けた。
「咲子さぁん……」
「どうしたの真由。赤点の解答用紙でも落とした?」
真由は握りこぶしをぶんぶんさせて、「ちがう!」と黄色い声をあげた。
「タコヤキがいなくなっちゃったんだよ!」
「タコヤキ?」
あたしは手元のたこ焼きを見おろした。
「たこ焼きなら持ってるけど。食べる?」
「そのたこ焼きじゃない。食べられない方の、タコヤキ!」
あたしはびっくりして首をひねる。悪いが、こいつが何を言っているのかさっぱりだった。食べられない方のタコヤキ。なんだそれは。なぞなぞ?
あたしがタコヤキの正体を知るのは、それから五分ぐらいかかってしまったのだが、タコヤキとはつまり真由が飼っている猫の名前らしい。なぜ猫にそんな美味しそうな名前を付けてしまうのかと尋ねたところ、
「頭と背中におっきな茶色の丸ブチがあってね、背中を丸めるとたこ焼きが二つ並んでるように見えるんだよ。だからタコヤキ」
ということらしい。猫なめんな、とあたしは思う。
「真由、一人?」
「ううん。おじいちゃんと二人で来たんだけど……」
真由ははっとして周囲を見回した。
「おじいちゃんもいない!」
まったくどうしようもない女だった。真由は落ち込んだように仮面ライダーのお面をいじった。ゴム紐を伸ばして、パチン、と音を鳴らす。
「でも、まあいっか。おじいちゃんだし。おじいちゃんなら一人で帰れるよ」
「あ、そう」
「それより、タコヤキを探さないと!」
「がんばれ」
そのまま帰ろうとすると、真由から肩をつかまれた。
「マユ、薄情な咲子さんなんて嫌だな」
「あたしさ、人助けは日に一度と決めてるんだ」
「なんのこと?」
真由は首をかしげる。
「ねえ、お願い咲子さん。もし見つかったら、好きなだけタコヤキ触らせてあげるから」
「まじで?」
「まじで」
その夜、二時間ほど神社周辺を探したが、結局タコヤキを見つけ出すことはできなかった。
ずっと猫の名前を呼び続けていたので、あたしらの声は少し枯れてしまった。タコヤキ、タコヤキと叫び回る女子高生二人を周りはどう思っただろう。きっと縁日で浮かれきったアホだと思われたに違いない。
「そういえば咲子さん、どうして制服なの?」
しょんぼり顔の真由から相当遅い質問をされる。
「文芸部の居残り。部誌発行も近いしね」
「そうだったの? ごめんね、マユも手伝えばよかったのに」
なんだかんだで優しいやつなのだ。同じ文芸部員の堤くんとは大違い。
「咲子さんのことを手伝っていれば、お祭りに来ることもなかったし、タコヤキも迷子にならずに済んだんだ……」
そしてこの落ち込みよう。そもそも、祭りに猫を連れてくるからこうなるのだ。でも、やっぱり可哀想なので、あたしは真由の背中をぽんぽんと叩いてあげた。
「咲子さん……」
真由は今にも泣き出しそうにあたしの目を見つめた。あたしは、やれやれという風に首を振った。
「タコヤキ探し、見つかるまで手伝ってあげるよ」
そう言うと、感極まった真由に抱きつかれた。家に帰ってから、やっぱり猫探しなんか引き受けなきゃよかったと反省するあたしだった。超めんどい。
その翌日。放課後の文芸部の部室で、真由は猫探しのポスターを作っていた。部誌の作業も大して残っていないので、好きにさせておく。堤くんは次回の部誌製作に向け、連載小説の続きを書き始めている。
真由は一時間ほどでポスターを作り上げた。それをあたしに見せてくる。ポスターにはデジカメで撮ったらしいタコヤキの写真が貼られており、猫がいなくなったときの状況と、猫の特徴が詳しく載っている。随所には手書きの猫も描かれていた。あまり危機感が感じられない、小学生が描いたみたいなファンシーな猫だった。
まあ、そこまではいいんだけど、問題は他にもある。
『タコヤキを探しています! 見つけた方にはお礼にクレープを奢ります!』
あたしは頭を抱える。
「タコヤキじゃなくて猫って書かなきゃ分からないだろう。つか、クレープ奢るくらいで誰が協力する?」
「駄目かなあ」
「あと、これもだよ」
あたしはポスターの下方に記載された一文を指す。そこには真由の素性が書かれている。氏名年齢性別、住所に電話番号、在籍校まで。
「個人情報書き過ぎ。世の中物騒だからさ、名前と携帯番号くらいでいいと思うよ。女の子目当てのヘンタイが来ないとも限らないし。それでもいたずら電話くらいは覚悟しなきゃだし、本当は探偵でも通した方がいいんだろうけど、まぁそこはお金かかるからね」
「女の子目当ての、ヘンタイ」
「吉村くんみたいなね」
「あぁ、なるほどお」
馬鹿な真由でも納得してくれるのだから、吉村くんのネームバリューも使い方次第である。吉村くんとは、あたしらの同級生で、彼のことを話せば非常に長くなるので割愛するが、総合的に評価して何かと危ない人物であることは確かだ。できればあたしもあまり関わりたくない。
真由は里親探しポスターを直しはじめた。あたしはチュッパチャプスの包装をやぶって口にいれた。キャラメル味。おいしい。
「身近にも協力者がいれば助かるんだけどね」
と、あたしは部室を見回すが、真由の他には副部長の眼鏡男子、堤くんしかいない。耳栓もしていないのに我々の会話が一切聞こえていないように、自分の物語の世界に浸っている。こいつには端っから期待していない。
「マユ、クラスの友達にも声かけてみる」
「あたしは真由以外友達いないしなぁ」
「一匹狼だもんねー」
真由はマジックペンを止めて目を輝かせ、やたら『一匹狼』を強調して言った。真由的には褒め言葉のつもりなのだろうが、ちょっと傷つく。
なんだかんだ言っても人助けってのは気持ちがいいものだ。二度連続でたこ焼き関連ってのが妙だけど。
「しばらくは二人で探しますか」
「うん!」
それぞれの作業に戻る。あたしは部誌のページにひたすらパンチで穴を開けていく。綴じ紐を通し、緩まないよう穴の縁で閉じていく。残りあと十部というところで、窓の外へと目を映す。
夕暮れの空に、うっすらと満月が見えた。不気味に寒々と、どこか印象的に。
猫の惨殺体が見つかったのは、それから二日後のことだった。