吾輩は人である
吾輩は人である。
どこかで聞いたことのある出だしだが、まあそれは置いておこう。
人ということは、一人の人生を生きるということだ。
もし生まれる前に、自分がどんな人生を歩むか知っていたらどうだろう。
笑う日も、泣く日も、誰を愛し、いつ別れ、どこで死ぬのか。
そのすべてを知った上で、それでも生まれたいと思うだろうか。
これは、そんな問いから始まる物語である。
山形県の山深い村に、一人の少女が生まれた。
名を、**紬**という。
冬は雪に閉ざされ、春は山桜が咲き、夏は蛍が舞う。
小さな村で育った紬は、誰からも好かれる子だった。
頭が良く、温厚で、人の話をよく聞く。
誰かが困っていれば手を差し伸べる。
だから村の大人たちはよく言った。
「紬ちゃんは将来きっと立派になる」
だが、紬には一つだけ秘密があった。
未来が見えるのだ。
正確には未来そのものではない。
ふとした瞬間に、これから起きることが頭に浮かぶ。
落ちる枝。
転ぶ子供。
訪れる客人。
それは夢とも直感とも違う。
理由は誰にも分からない。
本人にも。
この世界には、一つの法則があった。
精神の強さは肉体の強さになる。
しかし、その反映には時間がかかる。
何年も鍛えた心が、ようやく肉体に現れる。
だが魔力だけは違った。
精神力がそのまま力となる。
恐怖は弱さとなり、覚悟は力となる。
だから強い魔法使いとは、強い心を持つ者だった。
そして紬の精神力は、異常なほど高かった。
本人が知らないだけで。
十四歳の冬。
紬は見てしまう。
十六歳になった自分の姿を。
雪の降る夜。
村外れの崖。
そして冷たい風。
未来の自分がそこに立っていた。
生きることを諦めた顔で。
その映像は鮮明だった。
あまりにも鮮明だった。
「私は十六で死ぬんだ」
誰にも言えなかった。
言ったところで信じてもらえない。
だが、その日から紬は変わった。
笑顔は減り、空を見る時間が増えた。
未来を知るということは、時に呪いになる。
十五歳の春。
村に旅人が現れた。
黒い外套を羽織った青年だった。
彼は紬を見るなり言った。
「君、自分の死を見たね」
紬は凍りついた。
初めてだった。
自分の秘密を言い当てられたのは。
「未来は決まっている。でも確定じゃない」
青年はそう言った。
「変えられるんですか」
「変えられる可能性はある」
その言葉に、紬の胸は大きく揺れた。
青年は続けた。
「未来を見る力は珍しくない。だが未来を変える力は、見た者だけが持つ」
「どうすれば」
「生きる理由を見つけることだ」
あまりにも単純な答えだった。
だが紬には、その答えが何より難しかった。
そして十六歳の冬が来る。
未来で見たあの日。
未来で見たあの崖。
雪が降っていた。
風も同じだった。
すべてが見た通りだった。
紬は崖の前に立つ。
未来はここまで追いついていた。
あと一歩。
その一歩で終わるはずだった。
だがその時だった。
遠くで子供たちの笑い声が聞こえた。
村の子供たちだ。
昔、自分が遊んでいた場所で。
その声を聞いた瞬間、紬は思い出した。
助けた人たち。
笑った日々。
好きだった山の景色。
未来には映っていなかったもの。
未来は死ぬ瞬間しか見せなかった。
だが人生は、その瞬間だけではない。
紬は崖から離れた。
一歩。
また一歩。
その瞬間、未来は砕け散った。
ガラスのように。
見えていた運命は消えた。
後に彼女は知る。
未来を見る力よりも強い力があることを。
それは希望でも魔法でもない。
選択だ。
未来とは決められるものではなく、選び続けるものなのだと。
吾輩は人である。
だからこそ思う。
たとえ結末を知っていたとしても。
その途中にある笑顔や出会いまで知った者はいない。
人生とは、最後の一ページではなく、
めくられていく一枚一枚の物語なのだから。




