拉致
山形が話疲れたのか、高木と肇の二人の顔を交互に見てから言った。
「ちょっとトイレに行かせていただきます」
山形が会釈してから立ち上がり、洗面所に向かって歩き出した。その後を二人の男が追った。山形は追われていることに気づかず洗面所に入った。山形が鏡の前で立ち止まったとき、追ってきた男たちが鏡に映った。危険を感じ山形が振り向いたとき、男たちが山形の口にハンカチをあてた。ハンカチに締め込ませてあった薬品を嗅いであっけなく山形は気を失った。山形を両脇から抱えて二人の男は去って行った。手際のいいやり口に店員もだれもそのことに気づかなかった。カウベルがなったときには、すべてが終わっていた。むろん高木と肇もそんなことには気がつかなかった。
「恐ろしい……」
肇がそうつぶやいたとき、高木は言葉が見つからなかった。
「今の話だと、私はデュープだったということですか?」
「そうですね……山形さんははっきりとは言いませんでしたが、いくつかの状況をまとめると、御手洗さんはデュープに……なんというか、切り替わっていた? たとえば、自動車事故で入院していた半年間くらいほぼ面会謝絶だったこと、私が生命ラボに侵入したとき、ラボで御手洗さんそっくりな方にお会いしたこと……」
肇はまた生々しい記憶がぶり返した。
「私の入院中、どこかの施設の中で、液体で溶けて行く人間の姿を見た記憶が……悪い夢だとばかり思っていましたが、そうではなかったのか……あれは現実……たしかにいくつかの謎も解ける。小さな傷跡が全部なくなっていること……指紋認証や虹彩認証を取り直さないといけなかったこと……」
「指紋認証……そうだったんですか……このことを知っているのは……」
肇は真っ先に思い当たった。
「父……」
「そうでしょうね。お父さまの御手洗正憲社長が進めたことは間違いないでしょう。それにしてもなぜ? ひどい自動車事故だったようなので、肇さんを助けるためだったとは言え、まったく承認もされていないデュープ化を自分の息子にするとは……」
「父はエゴイスティックな男ですから、私のために私をデュープ化したとは思えません。なにか自分にとって大事な理由があったんでしょう。父以外では、秘書の鈴木……指紋を取り直したとき、機器の交換のためとか言っていました……それ以外は……家族は……」
「ご家族……家族が知っていたと?」
「わかりません。幼い心は知らないと思いますが、妻は……」
高木が周囲を見回してから言った。
「やけに遅いですね。ちょっと様子を見てきます」
高木がたちあがり、洗面所へ向かった。その喫茶店の洗面所はかなり奥まったところにあった。洗面所に行ってみたが、だれもいない。喫茶店内をぐるっとまわって探してみたが、山形の姿はどこにもなかった。
「どうしました?」
肇が聞くと首を傾げながら高木が答えた。
「山形さんが突然いなくなった……」
「いなくなったって……挨拶もしないで帰られるような人には見えませんでしたよね?」
「ええ。何かあったんじゃなければいいんですが……」
高木があらためて喫茶店内を見渡してから、不安げな顔でつぶやいた。




