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回復

 肇と恵子はダブルベッドを使っていた。

「うわっ」

 肇が最近よく見る悪い夢にうなされて飛び起きた。周囲を見渡して自分が自宅に帰ってきたことを思い出した。

「どうしたんですか? 悪い夢でも……」

 ダブルベッドだとどうしても振動が伝わってしまい、妻を起こしてしまう。

「起こしてしまったか、すまない。何度も同じ夢ばかり見る……」

「だいじょうぶですか?」

「ああ」

 肇はあらためて横になった。恵子が身を寄せてきた。

「さびしかった……」

「いろいろすまなかった」

 軽く抱きしめて肇が言った。

「事故があったときは、びっくりしました。きっと免許証からわかったのだと思いますが、県警からうちに電話があって……」

「厚木のインターチェンジだったらしいな」

「はい。インターチェンジの分岐点に正面衝突したようです。あとであなたの車を見ましたが、正面がぐちゃぐちゃで……とても生きていたとは思えないほどでした……ほんとに……厚木のICから平塚の救急病院に運ばれたんですが、じゅうぶんな対応ができないからと翌日には鈴木さんがヘリコプターを用意してくれて、帝都病院まで運んでくれたんです」

「ヘリ……お前も乗ったのか?」

「私は怖いから車で行きました」

「はは」

 ヘリコプターに乗る機会などそうそうないだろうに、貴重な機会として受け入れるより、高度が怖いと嫌がる妻が愛おしかった。

「笑い事じゃありません。平塚の病院のICUに入ったときは、もう怖くて怖くて……意識がないし。実際、帝都病院に移ってからも意識不明のままだったし、植物人間になるかもしれないとお医者様はおっしゃるし……」

 肇は思わず妻を抱きしめた。夫と息子の二人が同時に救急救命室に運び込まれ、意識不明のまま亡くなるか、あるいは植物人間となりもう言葉も交わすことがないかもしれない。恵子の性格では悪い方に悪い方にとばかり考えが巡らされたのではないだろうか。そう思うと肇にはいっそう愛おしかった。抱きしめられた恵子がふと眼を開けると、肇の胸元が見えた。

「あ」

「どうした?」

 恵子の小さな叫びに肇が尋ねた。恵子には、事故現場から救急車で運び込まれた平塚の総合病院で見た肇の最初の姿が思い起こされた。酸素マスクをあてがわれた顔の下の胸はあらく包帯が巻かれていた。事故の衝突の衝撃でエアバッグが作動したが、エアバッグの急激な膨張とシートベルトの巻き上げで胸と腹部を強く打ちつけ、鎖骨や肋骨が骨折しているとのことだった。

「鎖骨に大きな傷があったはずなんですが……」

「鎖骨?」

「うん。事故のとき、胸をうって鎖骨が骨折したらしく、しばらくは包帯があてられていたの。入院しているとき、意識不明のまま手術が行なわれて……そのときの傷があったはずなんですが……消えるものなんでしょうか?」

 肇は鎖骨のあたりをさわってみた。たしかに傷などなく、骨折などした感触はなかった。肇はほんのわずかだが自分の体に違和感を感じていた。

 しかし職場への復帰を願い、リハビリをかねて散歩をし、やがてウォーキングへと変わってゆく中でそんな違和感も薄れていった。退院してから十日ほど経ち、職場への復帰も可能になったころの昼前、肇は自宅でPCを操作し過去のメールを整理した。週刊誌の記者高木からもたくさんメールを受信しているのがわかった。

「高木という記者とかなりやりとりしていたんだな……生命ラボか……」

 恵子が洗濯物を抱えてやってきた。

「だいじょうぶなんですか? お仕事なんてして……」

「うん。少し記憶が戻りつつあるんだ」

「記憶が……ですか? なにか刺激を与えたほうがいいんでしょうかね?」

「そうかもしれない」

 洗濯物をたたみながら恵子が言った。

「そうだ、あなた、お兄さんのところに花をお供えにゆきましょう」

「花って、お墓か?」

「お墓もですけど、銀行に献花台ができたんでしょう? 私まだ行ったことなくって。お兄さんが亡くなってからけっこう経つのにお花がなくなることないんですって。やっぱり吟義兄さんは人に慕われていたんですね。行きましょう」

 そう言われて断る理由もなく、近いうちに復帰する帝都銀行本店に一度顔を出しておくかと肇も出かける気になった。車に乗り、恵子が運転して、都心へと向かった。途中で花屋に寄って花束も買った。帝都銀行本店に入ると警備員が嬉しそうな顔をして歓迎してくれた。駐車場に車を止め、本店入口から背面へゆっくりとまわった。

「あそこじゃないかしら?」

 恵子が指差す方を見ると机が置いてあり、たくさんの花束が積み上がっていた。雨風を防ぐ簡単なシートもはられていた。兄が亡くなってから、九ヶ月ほどたっていたが、たしかに多くの花束が供えられていた。帝都銀行の職員だけなく、顧客やその周辺の人々からの供物なのだろうと想像させた。机の前に立ち、恵子が花束を備えた。肇と恵子は二人で手を合わせ黙祷した。先に目を開いた肇が、隣で黙祷を続けていた恵子を見つめた。恵子の姿に高木の姿がオーバーラップした。

「ああ」

「え、どうしたの、あなた?」

 過去の出来事がフラッシュバックのように甦った。その中に高木の姿もたくさんあった。肇は堪えきれずにしゃがみ込んだ。

「だいじょうぶ? 病院に行きましょうか?」

 肇が頭を振って答えた。

「いや、だいじょうぶだ。一気に過去の記憶が甦ってきて……たしかに僕はあの高木という記者と親しくしていたんだ……思い出してきた」

「本当にだいじょうぶなの?」

 肇は立ち上がり、微笑んだ。

「うん。だいじょうぶ」


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