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遺体

 御手洗肇が目覚めたその日に、肇の長男である蓮が亡くなったのは、神の悪戯としか言いようがなかった。妻恵子の憔悴ぶりは周囲の人々の涙を誘った。事故からほぼ六ヶ月もの間、夫と息子が回復することを願い続けていたのだから、やむをえない。夫が回復した嬉しさと息子を失った悲しさは、もちろん相殺できるようなものではなく、むしろ悲しさの方が、時間が経つにつれて際立ってきていた。そしてそれは、夫である肇も同じだった。

「ホール」と書かれた部屋に向かう廊下を、車椅子と何人かの人々が歩いてくる。点滴スタンドが付けられた車椅子には肇が座っていた。車椅子を押しているのは妻の恵子だ。かたわらを長女の心が寄り添って歩いていた。みな喪服姿だ。

 ホールに入ると祭壇が組み立てられており、供物が供えられ花も飾られていた。正面には御手洗蓮の笑った顔写真も飾られていた。白い蓮の棺も横たえられ、祖父の御手洗正憲が棺の小窓の中の蓮を見つめていた。そばには鈴木秘書もいる。正憲が促すと鈴木秘書が棺の蓋を開けた。

 肇と恵子、心も棺の中の蓮の顔を見つめた。蓮の顔は痛々しいほど包帯で覆われていて目だけが見えた。傷跡が痛々しいから包帯で覆ったままがいいと医者が言っていた。包帯に覆われたその顔を恵子は手でなぜた。

「目を覚ましなさい、蓮」

 そう言って恵子は泣き出した。

「お兄ちゃん」

 つられて心も泣き出した。心が蓮の右手を握る。

「冷たい……」

と心が思わずつぶやくと恵子も心の手の上から握った。

「そうね……」

 恵子が蓮の右手を広げた。開いた手のひらを見つめていた心だったが、なにかに気づいた。

事故があった日、肇の車に忍び込んで、蓮は心に向かって手を振っていた。そのときの蓮の掌には傷があった。あのとき、肇が電話を終え車に戻ってきたので、蓮は心に黙っているよう口に指をあてた。

 心はしばらく不思議そうな顔をしていたが、なにかを思い出したらしくその場を離れ、蓮の左足側に行き、足の指を見つめた。そして言った。

「この人お兄ちゃんじゃない」

 それを聞いて正憲がギクリとした顔をした。

「なにを言い出すんだ、心」

と肇がなだめたが、心は聞かなかった。

「だってそうなんだもの。この人お兄ちゃんじゃない。お兄ちゃんの手のひらには傷があったはずなのにないじゃない」

 肇と恵子は顔を見合わせて言った。

「そうだったか?」

「そうだったかもしれないけど、傷は消えてなくなることもあるでしょう」

「心と遊んでいるときに心がおわせちゃった傷だもの。心はいつも気にしていたの。事故にあうその日も手のひらに傷があるのを私は見た。それと足にもサッカーでできた傷があったのに、ない」

と心はかたくなだった。サッカーの件は思い当たることがあり、肇が蓮の左足を調べた。たしかに傷はなかった。家族の歴史は、お互いの傷を知り合うことと近いようだ。その傷がいつのまにか消えていた。

「そんな馬鹿な話があるものか。これは蓮だ。認めたくない気持ちはわかるが間違いなく蓮だ」

と祖父の正憲がなぜか必死に否定する。

「そうですよね……」

 困ったようにそう恵子が言った。

「ショックがひどくて錯乱しているのではないでしょうか」

 そう言いながら鈴木秘書は棺の蓋を閉めた。

「そんなことない。この人は本当にお兄ちゃんなの?」

「そうに決まっている」

 正憲が話を終わらせるように断言すると

「さあ、控室にまいりましょう」

と鈴木がその場を離れさせた。


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