覚醒
帝都病院の特別個室は、病室としてはもっとも最上階にあり、広く豪華だった。専用のトイレと洗面台のほか、バスルームや小さいがキッチンも用意されていた。チェストはもちろん、テーブルに四つの椅子のセットがあり、さらにそれとは別に入り口近くに応接セットすらあった。テーブルの近くにはお見舞いとして届けられた胡蝶蘭がいくつも並べられていた。
病衣を着せられた肇の近くには、医者が二人おり、一人は肇の眼球をペンライトで照らし反応を確認していた。そのとなりで看護師が医療機器を操作している。医療スタッフのほか、椅子に鈴木秘書が座っていた。
「気がつかれましたか? お名前と生年月日をお答えください」
LEDライトを持った医者が尋ねるが、肇はとまどった顔をして無言のままだった。
「わかりますか? お名前は?」
今度は看護師が聞いてきた。
「ミタライ……」
肇が反射的に答えたが、あとが続かなかった。
「御手洗さんですね? 下のお名前はなんですか?」
看護師の問いかけに苦しげに御手洗肇が答えた。
「ツトム?」
肇の答えを聞くと、医者が隣の医者とひそひそ話をした。
「意識が混濁しているようですね。ドーパミンを投与しますか?」
別の医者がそう言ったとき、
「ハジメ」
肇が絞り出すような声で答える。看護師がにっこり微笑んだ。
「はい。患者さんのお名前は御手洗肇さんです」
「ミタライ ハジメ……」
ドアが開き、恵子の姿が現れた。恵子はベッドのまわりを見て、肇の様子に気がつき駆け寄った。恵子が肇の手を握って言った。
「気がついたのね。よかった……よかった……」
恵子はそうつぶやきながら涙を流した。恵子の顔を見つめながら肇がつぶやいた。
「ケイコ?」
恵子は顔を上げて肇を見返し、それから周囲のスタッフを見回して言った。
「ああ、もうだいじょうぶだわ……」
椅子に座っていた鈴木秘書がベッドに近づいてきた。
「夢を……悪い夢を見ていた……」
肇がそうつぶやくと鈴木秘書がけげんな顔をしてさりげなく聞いてきた。
「どんな夢でしたか?」
「目が覚めたら病室だった。廊下をさまよい歩いて入った部屋の中におれの死体が二つあった……」
鈴木秘書と医者たちが顔を見合わせた。
「その死体を男たちがバスタブのような機械に入れてスイッチを入れたら液体が出てきて……死体が溶け始めた。怖くなって廊下に飛び出したら音がして、その部屋の前に行ったら、部屋の中に男がいるのがわかって……それはおれだった……」
鈴木秘書と医者たちがふたたび顔を見合わせた。
「やはり意識が混濁していますね」
「なにしろ意識不明になってだいぶたちますからね」
「どれくらい眠っていたんですか?」
肇がそう尋ねると恵子が答えた。
「もう半年、六か月くらい」
「六か月……そんなに……」
「事故のことは覚えていますか? 九月のことですが?」
鈴木秘書の質問に肇は驚いた。
「事故? 私がですか?」
「はい。自動車事故です。高速で……ひどい事故でした。てっきり……私はもうあきらめかけていて……よかった」
恵子がかわって答えた。
「いやはっきりとは覚えていない……」
そう答えたとき、自分が運転する自動車が高速道路の分岐点に衝突し、大きく跳ね上がる瞬間が浮かび上がった。フロントガラスに衝突する蓮の姿もあった。
「そうだ、蓮は……蓮はどうした?」
恵子は押し黙ったままだった。医者と鈴木秘書は顔を見合わせた。
「蓮さんの意識はまだ戻っていません」
恵子が泣き出した。
「肇さんの記憶の回復も急には無理でしょう。ゆっくり思い出せばいいです」
そのとき看護師が病室に駆け込んできて、医者に耳打ちした。
「残念ながら蓮さんは意識が戻らないまま息を引き取られたようです」
医者のその言葉に、恵子はもう一度泣き出した。肇はただ茫然とするばかりだった。医者と看護師は慌ただしく病室を出て行った。鈴木秘書が医者のあとを追った。




