端緒
帝都製薬の御殿場研究所にある生命ラボには、建物から少し離れた場所に簡易な屋根がある喫煙所が設けられていた。この喫煙所は生命ラボ専用というわけではなく、研究所の研究員や職員も使っていいのだが、研究所の研究員らはそもそもタバコを吸わない者がほとんどで、喫煙所に来ることはまったくなかった。生命ラボは研究員以外にも作業員が多く、中には喫煙癖が強い者がいたため、この喫煙所で休憩しながらたむろっていることも多かった。この日も数人の作業員がタバコを吸いながら噂話をしていた。高木は一人離れた場所で電話をしていた。
「御殿場研究所内の敷地内に生命ラボというのがあって、なんとかその生命ラボに潜り込むことに成功しました。所長の田所や研究員たちも確認することはできました」
「さすがに行動が早いですね。週刊誌の方はだいじょうぶですか?」
電話の相手は肇だ。
「私は契約専属記者なので、編集部に通ったりする義務はないんですが、記事を書かないと収入がなくなるのが……」
「それはなんとかします。何かつかめそうですか?」
「ラボは三つのゾーンに分かれていて、新人の私はまだセキュリティの一番ゆるいゾーンにしか入れません。それでもラボが何をしているか少しずつわかってきました。表向きはiPS細胞を使った再生医療がメインとうたっていますが、主力はクローンのようですね。しかも人間のクローンではないかと思われます」
「え、人間のクローンですか……」
「すみません。昼休みが終わるのでいったん切ります」
高木は電話を切って、作業員たちの群れに戻った。
※ ※ ※
生命ラボは三つのゾーンに分けられていた。ラボに潜り込んで間もない高木はゾーンαにしか立ち入ることができない。ゾーンβやゾーンγと呼ばれるエリアでなにが行なわれているかはまだわからない。ゾーンの入り口にあるパネルにラボから渡された認証カードでタッチするのだが、高木のカードではラボ入り口からほんのわずかなエリアにしか立ち入れなかった。ゾーンαは廊下や部屋に青く太い線が引かれていて、聞くところによるとゾーンβでは黄色が、ゾーンγでは赤色が基調となっているという。
高木ともう一人の作業員が、モップやらバケツやらウエスやら、作業道具の入ったワゴンを押しながら生命ラボの青色が基調の廊下を歩いていた。
「このラボで人間のクローンを作っているというのは本当ですか?」
潜入に成功して三週間ほどがたち、作業員同士の噂話が聞けるようになった。話の中ではクローン作成は間違いないようだが、どこまで進んでいるのか、化学に疎い作業員たちの話からはなかなか確信がつかめなかった。
「ああ、多分本当だ。クローンだけならほぼ成功しているって話だ」
「クローンだけなら? クローン以外のものも作っているんですか?」
「クローンを成長させているみたいで、成長の段階でうまくいかないものがあるらしい。そういえば失敗して処分する予定だったものを東京までヘリで運んだときがあったな」
「いつですか、それは?」
「いつだったか……そうそうあの事件のときだった」
高木が思わず手を止めて尋ねた。
「あの事件?」
「あの事件だよ。帝都の常務さんが転落して死んだ事件。あれ自殺だったっけ?」
「ええ、最後は自殺ということで片がついた事件です」
「あの事件の夜、オレはたまたま夜勤だったけど、ヘリが飛んできて処分する予定だった個体をヘリに積んで飛んでいったらしい。あんな失敗作どうするんだろうって、しばらく話題になったもんだ。あのとき常務さんの顔写真がテレビのニュースに出て、あれ~よく似ているな~って噂したもんさ」
高木がズボンのポケットからスマホを取り出し、ネットで検索して、御手洗吟の顔写真を探し出す。スマホで写真を表示し、作業員に見せる。
「この人が投身自殺した御手洗吟さんですが、どうです、似てますか?」
作業員はう~んとうなってから答えた。
「運ばれたのがこの写真に似た人かどうかはっきりしないけど、この人そっくりのDはたしかにこのラボにいた」
「Dってなんですか?」
「オレもよく知らないんだ。ここのラボで生まれた個体をDと呼んで、プロジェクトそのものはプロジェクトDというらしい」
「プロジェクトD……」
初めて聞く用語のDの表すものを求めて、高木の目がさまよった。
「おっと早く片付けちまおうぜ」
作業員にうながされて、あわてて高木は手を動かし始めた。




