潜入
帝都製薬は御殿場に研究所があった。東名高速の御殿場ICから市街地とは反対側の箱根方面へほんの少し行った先にある。広い敷地に二階建ての白い建物があり、ヘリが飛び立てるくらいのグラウンドもあった。敷地内には別棟の研究施設が設けられていた。もとは第二研究所と呼ばれていた建物だったが、数年前に建て替えられた。
研究所入口近くで五日ほど前から一台の車が停車するのがよく見られるようになった。この日も昼過ぎから停まっていた。車の中には高木がいた。高木は望遠カメラを用意し、カメラのファインダー越しに研究所内を観察していた。
研究所はほとんど出入りがなかったが、別棟の建物からは作業員らしき男たちがよく出入りしていた。建物入口にズームインすると「生命ラボ」という看板が見えた。高木はショルダーバッグからタブレットを取り出すと「生命ラボ」と言う単語で検索してみた。いくつかヒットし、そのうちの一つをタップすると帝都製薬のニュースリリースが表示された。
「帝都製薬では、御殿場にある研究所施設内に『生命ラボ』を建設いたします。同ラボはiPS細胞を使った再生医療を中心に、クローン技術など生殖医療に特化した研究施設となる予定です。
また、同ラボの所長には、元国立再生医療研究所長の田所雄介が就任する予定です。」
もう一つの記事もタップしてみた。
「帝都製薬の生命ラボに、山形聡(四十三歳)と木下武(四十二歳)の二人の研究者が国立再生医療研究所から移籍することになった。国立再生医療研究所では、山形研究員がクローン技術を、木下研究員が成長促進技術の研究をしてきたが、同ラボに移籍してからは研究を加速させ、さらに両者の技術を融合させた新技術の開発を目指すという。両者の移籍に強い影響を与えた生命ラボ所長で、元国立再生医療研究所長だった田所雄介は『二人の研究を合わせることで新しいテクノロジーが誕生するはずです。生命ラボはそのフロンティアを大いに切り拓いてゆきます』と語った。」
高木がタブレットで記事を読んでいると一人の作業員が門から出てきた。高木はタブレットを閉じ、車のエンジンをかけるとゆっくりと走らせた。作業員は研究所の塀沿いを歩き、近くにあった定食屋に入っていった。高木は車を停め、その定食屋に入った。夕方というにはまだ早い時間だったせいか、定食屋の客はまばらだった。高木は研究所から出てきた男の近くに座り、瓶ビールを頼んだ。作業員の男はビールを飲みながら店員と喋り始めた。
「けっこううちのラボは人使いが荒いんだよ。研究所の方はまともらしいけど……」
「でも給料はいいんでしょう?」
店員のうらやましそうな顔に作業員の男が答える。
「まあな。うちのラボはゾーンが分かれてて、オレがいるのがゾーンαってところだけど、ゾーンβに昇格できれば研究所の二倍、最上位のゾーンγなら三倍だぜ。でもオレ高卒だし、無理だろうな……」
男は遠いところを見るような目つきでぼやいた。高木がビールのグラスを置いて作業員に語りかけた。
「研究所の所員の三倍ってのは凄いね。どうしたらお宅の職場に入れるんだい?」
「え、だれ? 見たことのない顔だけど」
「ちょっと事情があって前の仕事辞めたばかりでさ。困ってるんだ、助けてくれよ。良かったらビールでも。奢るよ」
高木は自分の瓶ビールを男のグラスに注ぐ。
「悪いね。あんた、住んでるのはどこだい。この近くかい?」
「ああ……いや宿無しだ」
「そりゃ、かわいそうだ」
二人の酒は進んだ。ビールが日本酒に変わり、やがて焼酎も飲み始めた。ラボの話から世間話まで話すことは多い。周囲が暗くなってくると店は混み始め、客の中には男と顔馴染みのものも多かった。ラボの作業員仲間と思われた男たちも現れ、男たちの雑談を聞いていると作業員の男はそれなりに人望もあり、いわゆる顔が広いタイプだった。やがて二人揃って泥酔と言っていい様子になった。
「ちょっと飲みすぎちまった。じゃあ明日ラボの総務部長に話しておくから。話が進むようなら電話するわ」
「悪いね、アニキ」
いつのまにか高木は男をアニキ呼ばわりしている。作業員が立ち上がり、勘定しようとすると、
「ここはオレが出しとくから。アニキはいいから」
「宿無しだっていうのに悪いね」
高木が苦笑いしながら答える。
「それより明日頼むよ。アニキだけが頼りだ」
「じゃあ」
そう言って作業員が店を出てゆく。少し時間を置いてから高木も勘定を済ませて店を出た。車まで歩いて行き、乗り込む。
「飲んじゃったから車で帰れなくなったな。寝てくか」
そうぼやいてから車の照明を消したが、高木が眠るまでそんなに時間はかからなかった。




