第四幕:過去の恐怖
【第四幕】
やあ、君。僕はホームズだ。そして、ホームズを愛するシャーロキアンの一人だ。
なのにーーシャーロック・ホームズと名乗っている。
第三幕では、僕らは約二年間世話になったハンウェル精神病院から、まさにケムリのように飛び出した。
そして僕は、懐かしのロンドンへと戻った。あの夜の散歩から、ここまで長い時間をかけた。
ーー元カノに会いたかった。
そして、なぜか彼女の子ーー娘か息子かわからないがーーあの天使にも会いたい気持ちになった。
憎い男の子だとしても......だ。
今まで僕の無意識は、彼らを一切考えないようにしていた。だが、この霧の街に戻った時、まるで待っていたかのように、意識の奥底から浮かんできた。
でも浸ってなんかーーいられない。
彼女たちに会いたい思いはあるが、
僕にはやらねばならないことがある。
愛すべき宝よ、再び虚空へとーー。
心を落ち着けた後は、僕とワトソンの居住地について、静かに考えを移した。
グレグソン警部補が容易してくれたのは、ロンドンのベーカー街のメインストリートから一本入った裏通りに面した、角地の建物の上階だった。
ここは喧騒の中心から外れている。
人目につくことが減り、
脱走患者としての追跡を避けられる。
僕が「新しい世界」を観察するには、外を広く見渡せる上階の窓が必要だ。
観察は日々欠かせない。
階下に出入りする人間や、
通りを歩くロンドンの雑踏を分析するための「監視の場」でなきゃいけない。
この建物はヴィクトリアン様式の三階建て以上のタウンハウスを改装したフラットだ。
中身は質素。僕とワトソンの二人分の生活空間。寝室が二部屋。居間、広い空き部屋が一つ。実にいい。広々としている。この空き部屋は資料とか、ちょっとした研究室になるかもしれない。原作のシャーロック・ホームズのようにさ。
家具は必要最低限で、やや埃をかぶっていた。ーーそんなのどうでも良かった。満点だ。
ワトソンは顔を真っ青にしていた。
彼は僕の耳元に顔を寄せた。
「ホームズ。気をつけて。こいつは罠だ。あまりにも都合が良すぎるーー彼は警部補だ。こんなのムリだ。きっと、神さまは警部補が高給取りだと勘違いしている。これは夢だーー」と囁いた。
「ボクら、いつか、夢から醒めるんだーー」と悲しそうに顔を歪めた。
僕はワトソンを見つめて、ニヤリとして見せた。
「グレグソン警部補は商人の息子だ。
その可能性が高い。
彼の孤独は名前だけではない。
そこに嫉妬が含まれている。何かあるからだ。人が嫉妬するのは、金か容姿か、そんなもんだ。彼はイケメンじゃない。ーー聞かれるなよ。
でなければ、こんなに一人で行動なんてしない。
彼は暇なんだ。
事件という事件に関わらせてもらえてない。一生警部補どまりだ。先はない。」
「でも、それは想像だろ。ーー推理じゃない。」
「信じろよ。疑うなら、彼と親しくなって聞けよ。答え合わせは無しだ。
そんなの作家に任せろ。僕は知らん」
ワトソンは苦笑した。
「ボクが、その作家になるかもしれないんだぜ。なるべくなら、答えを知りたいよ。」
「なら、タイプライターを使えよ。
アル中に作家活動は酷だと思うがね。」
近くにいたグレグソン警部補は、僕らをみた。
「管理人は、あとで雇う。他に必要なものは?」と聞いてきた。ワトソンがいなきゃ抱きついてキスしたよ。
するとワトソンが唐突に発言した。
「グレグソンさん。ボク、タイプライターがほしい。原作のワトソンが持っているやつ。この居間と、ボクの寝室に一台ずつほしい。」僕はそれを聞くと、頭を抱えそうになった。
ワトソンのやつ。本格的に作家活動するつもりなのか?
「ーーはぁ。わかった。用意しよう。
その代わり、吾輩の活躍を増やせ。原作のヤツをこえて見せろ。」
ワトソンは微笑んだ。
ーーきっと、ごまかしたんだ。
それから、階下を見渡せる居間の窓から、グレグソン警部補を乗せた馬車が離れていくのを見た。
「信じられない。これが本当に起こったとしてーー、ボクは連れ戻されるのが、怖い。」
ワトソンが、僕のとなりで呻いた。
「ドクター・ハントリーは許さない。
きっと、彼はボクらを連れ戻す。
あの酒もない部屋に閉じ込められる。
そして監視窓から、覗き込むんだ。
ボクらをあざわらってさ。」
どうやらワトソンは、心配症らしい。
君もきっと知りたいだろう。
僕がなぜ、安心に思っているかをさ。
(こうして、第四幕は二人の巣によって幕を閉じる。)




