8作目 月が綺麗ですね
食事を終え、早々に自室に戻って行ったカトレアを除いた全員で広間のソファに座って雑談をしていた。
内容は主に俺とアストラの稽古の事だった。
「そういえばラーマ、2人はどう?」
「アストラはまぁかなり動ける方じゃな、バルバトスと違って任務にも何回か行ってるしかなりいける口じゃな」
「やりぃ、残念だったねバル」
アストラはそう言って大袈裟に、けれど心底嬉しそうにクッションを抱えたまま挑発するような表情でその場で少し跳ねた。
ラーマがアストラのおでこを小突き、続けて言った。
「とはいえ、先陣を切る癖が抜けんな。柔軟性に欠ける。その点で言えばバルバトスは視野が広いのう」
「ちぇー」
「そうか」
「ただ基礎と、まだ体が仕上がってないからできることが少ない。ここは地道に作り上げていくしかないの。とはいえ、2人とも光るものはある、磨けばとんでもないものになる」
自分より何倍も強いひとに、才能があると言われて嬉しくない人はいないだろう。胸の当たりが熱くなるような感覚がする。無意識で心臓の辺りをぎゅっと握ってしまう。
「いい話の最中に悪ぃんだけどさ、2人とも風呂入ってきてくんねーか?少しアレだ、汗臭ぇぞ」
「ははは、言われてるよ2人とも。入っておいで」
「カクエンはデリカシーが!ない!」
そう言ってアストラは広間を後にした。カクエンは気まずそうに後頭部を手でかき、ラーマとエースは楽しそうに笑っていた。
とはいえ、この館に風呂があることに驚きだ。まるで貴族みたいな家だな、ここは。
「この館には風呂があるのか?凄いな」
「まぁ少し頑張ったよ。アストラが上がったら入っておいで」
「水がもったいなくないか?」
「気にしないでいいよ。そうだ、着替えを渡さないとね、ついておいで」
そう言ってエースはソファから立ち上がり、俺を小さな部屋に案内する。中には大量の衣類が収納されており、華美な装飾が施された衣類から、俺が着ているような安っぽい服まで種類は様々だった。
「う〜ん、子供用の服あったかなぁ…お、あったあっな。とりあえず数日分の着替えは渡しておくよ」
「すまん、助かる。でもいいのか?俺は一文無しだぞ」
「お金なんか取らないよ、仲間だしね。その他にも必要なものがあったら教えてね、取り寄せできるものだったら取り寄せるから」
「なにからなにまですまない」
着替えを受け取り、俺は自室に戻ってベッドに倒れ込んだ。あの男のことがふと脳裏によぎった。
俺は悪魔と契約してしまったんだろうか、周りに話を聞いてもめぼしい情報は手に入らなかった。この黒い腕のことも、俺の過去を知ってることも得体がしれない。
もちろんあの男についてはいずれ調べなくては行けないし、みんなみたいな能力だって手に入るなら復讐に1歩近付くはずだ。勇者と俺は同じ転生者だ、転生者しか持ちえない知識や単語があれば便利なのだが生憎俺の頭にはそういったものは欠落してしまっている。
勇者ともう一度会えば思い出せるかもしれないが次に会ったとき俺は我慢できる気がしない。
今はとりあえず力と知識を蓄えなければならない、そういえば俺に魔法は使えるのだろうか。使い方なんて分からないし勇者が襲ってきた時以外見たことなんてない。それでもこの世界にあるのなら俺は利用したい、誰かに聞いてみれば教えてもらえるだろうか。
考えることが多くなった上に肉体的疲労のせいで俺はいつの間にか寝てしまっていた、誰かに揺すられて俺は目を覚ます。重たい目蓋を無理やり開けると、火照った顔のアストラが若干水を滴らせて俺の顔を覗き込んでいた。俺と目が合うと表情を崩した。
「おはよ、お風呂空いたから入ってきなよ」
「ん…あぁ、わかった」
「ノックしても返事ないからちょっと心配したよ」
「あ〜、少し眠くてな」
「場所わかんないでしょ、案内したげるよ」
大きい欠伸をししながら返事をし、アストラに風呂場に案内される。脱衣所や風呂でのルールなどを説明されたあと、俺は1人で風呂に入った。
山の中にある家なのに風呂に使うほど水が潤沢にあるのは凄いことだと改めて実感する、おまけに浴槽や床のタイルなども清潔でとても緊張する。
石鹸を使って身体を洗い、浴槽に浸かると少しお湯が溢れた。生まれて初めて味わうタイプの心地良さに思わず声が漏れる。
お湯を手で掬ってみるが透明で綺麗な水だ。ここにきてから初めての体験が多い、それになんというかなんとも言えない心地良さみたいなのを感じている。あそこで姉さんが俺の代わりに死ななければ同じ気持ちを味わえたはずなのに、と自責の念が僅かに出る。
広い浴槽は返って孤独感を際立たせた、反響する音は独りであることをより実感させた。風呂から出ると少し体が冷えたから、寂しくなった。
切り替えることは出来ない、姉さんを思い出にはできなかった。決意が揺らぐわけではなかったがそれでも内側から僅かに寂しいという感情が侵食していく。清潔な服に着替えて脱衣所の扉を開けるとエースが壁によりかかって腕を組んで立っていた。
「お風呂は気持ちよかった?」
「あ、あぁ。あんなに安らいだのは久しぶりだ」
「そうかい。にしては表情が暗いけど、大丈夫かい?」
「いや、大丈夫だ。だい…じょうぶだ…」
若干の息苦しさと共に目頭が途端に熱くなり始めた。何度も押し殺したはずの心の穴みたいなものがより輪郭を伴って浮かび上がる。両親が死んでも、俺には姉さんがいた、心配して手助けしてくれた村のみんながいた。でも今度はみんないなくなってしまった。
エースの顔を見て話せない、地面をずっと見ていた。水滴が何度か床に落ちた。少しの間沈黙が流れたあと、頭を優しく撫でられる。そよ風のような、姉さんのような優しさが頭を撫でる。
「君になにがあったのかは分からないし、きっと想像もできないような辛いことがあったんだろう」
「姉さんは俺を助けて死んだ…助けられて、意地汚く生きた俺は今幸福を感じてしまっている」
「僕が君の姉の考えを語ることは無い、死人に口はない。けれどね、その幸福がもう失われることはないよ」
「…え?」
「僕たちは死なない、君の姉が命を賭して繋いだバルバトスというバトンが僕たちに託された以上決して落とさない、失わない」
「しかし、俺は幸福を感じてもいいのか?姉さんは俺のせいで…」
「なら今度は君が誰かを助けなきゃだね、姉がしてくれたように。そうしたらきっとその幸福は君が勝ち取ったものだ、姉にしてもらったことを君も繋ぐんだよ」
「…そうだな、ありがとうエース」
「いいんだよ、今日はもう寝なよ。きっと疲れてる」
「あぁ、そうするよ」
今日は月がよく見えた、昔聞いた話だが死んだ人達は月に行くらしい。
見ててくれよ、姉さん。俺、頑張るから。




