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右手に強欲を、左手に憤怒を。-異世界で全てを奪われた俺が全てを奪い返すまで-  作者: イカネコ
魔法学園編

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75作目 おい

俺は初めて学園都市に来た時に3人で寄った町酒場に着き、隅の席に案内される。おずおずとした様子で椅子に座る彼女を横目に適当な料理をいくつか注文し終えた辺りで周りの視線が俺たちに集中していることに気がついた。

いや、俺たちというより少女に対してだ。思えば彼女はボロボロの薄っぺらい服を着たままだ。あまりにも無遠慮だった自分を恨み、彼女に制服のブレザーを着せた。今手元にある大きな布はこれしかない。

すると少女は驚いたように椅子に座ったまま俺を見上げた。


「あ、あの…こんな綺麗な服…駄目ですよ、私なんかに着せたら…」

「気にするな、寒いだろう」

「そ、その…ごめんなさい…」

「なぜ謝る、謝るのはこちらの方だ。気づけなくてすまなかった」

「頭を上げてください…!そちらの方こそなんで謝るんですか」

「そんな薄着でここまで来させてしまったからな、寒かっただろう」


俺は自分の席に戻り、彼女の方を向いて会話を続けた。そういえば自己紹介もまだなのに、随分と連れ回してしまった。


「自己紹介がまだだったな、俺はバル。貴女は?」

「オイ…です」

「オイ、か。奇妙な名前だな」

「そうですかね?えへへ、でもみんな知ってると思ってたんですけど…」

「貴女の名前を…か?有名なのか?」

「そんなわけではないですけど、みんな私をそう呼ぶので」

「? どういうことだ?」

「え、えっと、色んなところで名前を呼ばれるんですよ。まぁ大体そこに向かうと変な顔をされるのですが…」


さっきからやけに会話が噛み合わない。

奇妙な違和感を覚えたがそのタイミングで料理が届き、ひとまず彼女の空腹を満たす方を優先した。オイは机の上に並べられた料理に目を輝かせて、生唾を飲み込む音が聞こえた。食べていいのに、一向に手をつけなかった。

この期に及んでまだ、遠慮をしているというのか。俺はオイの飢えを一時的にでも満たしてやりたい、お礼をしたいだけなのに。


「好きに食べてくれ、ここは全額俺が出すから」

「あ、あの…本当にいいんですか?私、お金もってないですよ…?

「気にするな」

「い、いただきます…あの!このお礼は後にでも…」


そう言って彼女は羽織っていたブレザーを少しだけはだけさせて俺に肩を見せる。その一連の動作がやけに手馴れていて、オイの過去やこれまでの生活を簡単に想起させた。それがどうしようもなく痛ましく、勝手に心が傷んだ。

俺は直視できずに顔を両手で覆い隠して、食べるよう催促した。少しすると食器が擦れる音や咀嚼音が聞こえたため、手を少しずらして見てみると彼女はとても美味しそうに忙しなく口に料理を運んでいた。

俺が料理を作った訳でもないのに、美味しそうに頬張り続けるオイに頬が緩んだ。カクエンやカトレアもこんな気持ちだったのだろうか。

俺は飲み物を口に運びながらその様子をただ眺めていた、すると冒険者が従業員を呼び止める声が店内に響いた。


「おい!酒はまだか?」

「はい、すぐにお持ちしますのでもう少々お待ちください」


なんてことはない酒場の喧騒だが、オイは慌てて手元にある飲み物のコップを持ち出してその冒険者の元に駆け寄った。

その一連の行動に理解ができず一瞬フリーズした。


「あ、あの…!これどうぞ!!」

「あぁ?なんだお前、気が利くな」


冒険者がコップを飲み干した直後その表情は見る見るうちに変わっていく。


「あぁ!?なんだこれ、ただの水じゃねぇか!!」


当然だ、オイの年齢が分からない以上薄めた葡萄酒ですら出せるわけがない。頼むのは水に決まっている、そしてオイのために注文したそのコップの中は当然水だ、酒なわけがない。


「あ、あれ…?えへへ、ごめんなさい…間違えました…」


オイは困ったように薄ら笑いを浮かべながら頭を下げた。渡されたものが酒ではなかったのは気の毒だが、他者の善意になぜそこまで怒ることができるのか甚だ疑問だが、とにかく怒った冒険者はオイに拳を振るおうとした。

俺は慌ててその間に入り、拳を左手で受け止めた。黒革の手袋越しに衝撃が走るが痛みは欠片もない。左手に痛覚はないが、それでもこの程度ならダメージすらない。


「連れが迷惑かけた、どうか穏便に済ませてくれないか」

「誰だテメェ、あぁ?その星…チッ、学園のボンボンか」


冒険者は俺の襟元にある3つの星に目がいったのか、面倒くさそうに席に座り、皿の上に乗った骨付き肉に無造作に噛み付いた。


「ボンボンなら奴隷くらいきちんと手懐けとけや」

「彼女は奴隷じゃない」

「知るかよ、勝手なことさせんなって言ってんだ。クソが、気分悪ぃ」

「その通りだ、すまなかった」


この冒険者は口調は荒々しいが言っていることは正論だ。俺たちの関係性は勘違いしてしまったようだが、それでもこのトラブルにはこちらが招いたものだ。俺はオイを連れて自席に戻り、事情を聞いた。


「なぜあの冒険者のところに?」

「なぜって…名前を呼ばれたからで…」

「…は?」

「え?えっと…ごめんなさい…その、名前を呼ばれて酒を持ってこいって言われたので…とりあえず飲み物を持っていったのですが…」

「名前なんて呼んでなかった、ただおいって呼び止めただけで」

「? オイが私の名前ですよ…?」


そこで俺は先程まで抱いていた奇妙な違和感が疑問に変わった。

彼女は、もしかしたら名前なんかないんじゃないか?ただ彼女に用があるものや、行先の関係で「おい」と呼ばれ続けただけで、それを名前だと勘違いしてしまったのではないか?


「先程のは気にしなくていい。食べながらでいいから答えてくれないか、オイの親は?」

「え、えっと…いない…です。ずっとひとりなので…」

「ならなんで自分の名前が…?」

「だ、だってみんな私のことをオイって呼ぶ…から…です」


そうか、彼女は名無しなんだ。

生まれた瞬間に誰もが平等に受ける最初の言葉を、自己認識の記号を彼女は持たざるまま今日まで生きてきたのか。それはどれほど悲しく、切ないものだろうか。

「⬛︎⬛︎⬛︎、ご飯はよく噛んで食べてね」

「⬛︎⬛︎⬛︎、もう寝なさい」

俺は今だって鮮明に思い出せる、姉さんが俺を呼ぶ名前を。それには記号というにはあまりにも多大な意味を含めていた。名前とはそういうものだ。

それを、彼女は持っていない。

俺はその場で大きく息を吐き、目の前の少女をじっと眺めた。大きな疑問符を浮かべた少女、ただひたすらに料理を忙しなく放り込む少女、美味しそうに噛んで飲み込む少女、そして、名無しの少女。


「なぁオイ、今日は宿で寝ろ」

「え、えぇ!?何度も言いますけど、私はお金なんて…」

「俺が払う、今日くらい温かいベッドで寝てくれ」

「そんな…悪いですよ…」


なぁおい、なんてありふれた呼び止める言葉だ。聞き返すための言葉でもある、そんな風に作られた言葉に、彼女は名前を見出した。目の前で困惑している彼女は、どれほどの孤独を背負っているのか。

ただ純粋に、救いたくなった。分かっている、偽善だ。与えすぎた幸福や身の丈以上の平凡は毒だ、けれど俺はどうしても彼女を救いたい。この現状から一時的でも、掬い上げたい。


「気にするな、この近場の宿で今日はゆっくり休め」

「な、なんで…そこまで私にしてくれるんですか?」

「そうだな…」


答えは簡単だ。

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