74作目 磨耗の心に
「兄貴、やっぱりレントに行くのはやめにしませんか?」
「いや、ダメだ。俺の冒険者としての勘がこの流れに乗るべきだと言っている」
「俺は反対ですよ、危険すぎる」
俺が適当に入った安い飯屋では冒険者が会話をしていた。レント、という聞き馴染みのある単語が聞こえたためか俺は食べ物を口に運ぶ以外することがないことも相まってその会話を集中して聞いていた。
どうやら、民衆を束ねるために形だけの貴族を配備したらしいがそれを市民が拒絶。逆にその貴族を人質にして市民による自治を要求しているらしい。
そしてその貴族というのは大した爵位も土地も持っていないが貴族が平民にへりくだり、まして軟禁されてるとなれば矜恃を刺激するには十分すぎる理由らしく、公爵以上の大物も参入しつつあるらしい。
なぜそこまで情報が漏れているのか、という疑問は残りつつあるがそもそもレント北部都市自体、貿易が盛んな地域だ。そこには多数の商人が出入りする、そして商人というのは金と与太話に関しては誰よりも耳がいい。
「ならお前たちはここに残れ、俺は1人でも行くぜ。俺には雷神の加護がついてる」
「またそれですか?神様なんて信じない性分でしょう?」
「ハンッ、なんとでも言え。雷神がいなきゃ俺は今頃ドラゴンの胃袋の中だ」
雷神、ドラゴンという単語は俺の脳を刺激するには充分すぎた。しかし決して先走ってはいけない、ゆっくりとその冒険者たちの方へ振り返りその容姿を観察する。
しかし俺の目に映るのは、いつかカツアゲしてきた間抜けな冒険者が3人映っただけだ。そういえばアストラがヴェルドナと話す前、冒険者を助けていたはずだ。なるほど雷神の加護か、それは耳触りのいい、心地の良い響きだった。それは俺にも分けてくださるのかと聞きたくなるほどには。
「名を上げるには良いチャンスだ、俺はもう逃げねぇ。お前らは好きにしろ、じゃあな」
「俺は着いていきますよ!」
「あ…おい!!はぁ…俺も行きますよ、乗りかかった船ですし…」
3人の冒険者は飯屋を後にして行ってしまった。しばらくしたらレント北部都市に向かうだろう。そこでどうなるかは知ったことではないが、アストラを雷神と称したそのセンスがしばらく生きて口伝されていけばいいと思った。
食事中の暇を潰す丁度いい会話が無くなったことで俺はより一層無味無臭の食事をする羽目になった。そういえばひとりで食事をするのはいつぶりだろうか。どんな時でも俺と姉さんは一緒に食事をしていたし、その後は仲間と食事をしていたからあのとき死に物狂いで貪ったカラス以来だろうか。
そう思い浮かべると不思議とこの食べている料理もなんだかあの酷い獣臭を想起させてしまう。そんな嫌な連想ゲームを程々にして終わらせて、俺は事前に注文していたカトレア用のパンと料理を受け取り、店を出た。
外は月が雲で隠れているというのに光り輝いていた。大都市特有の不夜城だ、あのときアストラに手を引っ張られて見たこの光景はあれほど輝いていたというのにひとりで見るこの景色は返って孤独を際立たせた。
「いや、俺は孤独じゃない」
無意識でそう呟いた、そう俺は決して孤独ではない。家に戻ればカトレアがいる、話しかければ返してくれるし周りに死肉を貪らんとするカラスの群れは湧いてない。
今日は、嫌な妄想ばかりしてしまうな。きっと疲れているんだろう、それに俺が思っている以上にアストラの存在は大きかった。その貫かれた心の風穴は思ったより俺の精神を蝕む。さっさと家に帰って風呂にゆっくりと浸かって寝てしまおう。明日も早いんだ。
家に向かって歩みを進めて、少し歩いていると裾を掴まれる。振り返るとボロボロの服を着た金髪の少女が俺を見上げていた。
「今晩、どうですか?」
勘弁してくれ、と思った。
やめてくれ、と思った。
俺の視界を占領する光景全てが俺の胃袋を刺激して、中に入ってるものを逆流させようと喉を圧迫する。
娼婦、孤児、金髪、少女、嫌な連想ゲームは断ち切ったはずなのにどこまでもそれは連鎖する。レント北部都市で見かけた違法娼館や、揺れ動く金髪が脳みその中で気持ち悪い妄想に繋がっていく。
本当に、勘弁してくれ。
俺は慌てて財布の中にあった金貨を少女に投げ渡し、近くの裏路地に駆け込んだ。鼻を刺激する腐敗臭が俺の吐き気を増進させて地面に吐瀉物を撒き散らした。まだ形がいくつか残っている料理の残穢、温かさの象徴である手料理の無惨な亡骸。それは更に俺の胃袋を刺激して、より深く吐き出させた。最終的には喉が焼けるような胃酸だけが口から飛び出た。
俺は、なんなんだ?
最終的に全てぶちまけて、そんな疑問だけが残った。復讐を誓ったまではいいものの、仲間ひとり離れていっただけでこのザマだ。勇者と戦闘すらしていない、体に傷一つ負っていない、だというのに今ここで蹲って吐瀉物を撒き散らすだけの存在が俺だ。
情けない、力を得ても結局ただその場にいることしかできず、あの日みたいにただ絶望を喘ぐことしかできない。薄っぺらい決意や、任務への責任は簡単に崩れてしまう。
「あの…大丈夫ですか…?」
いつの間にか俺は何者かに背をさすられて声をかけられていることに気がついた。慌てて刀を抜き取り、振り返って逆手持ちで首筋に刀を添える。生身の体が硬い壁にぶつかる音がして、怯えるような声がした。
ようやく慣れてきた暗闇の中で、先程の少女だとそこで気がついた。彼女は俺の後を追って、ここまで来たのだ。
真っ暗な路地裏の中で俺の瞳と彼女の瞳が交差した。その瞳には確かに怯えがあったが、その中に慈悲や慈しみが宿っていた。俺は刀を慌ててしまい、彼女はその場で数回咳き込んだ。謝ろうとしたがそれを上塗りするように路地裏に彼女の声が響いた。
「あ、あの…!体調悪いなら教会に行った方がいいですよ…!お金はかかりますけど、この金貨があればきっと払えますから…!」
そう言って彼女は俺が先程投げ渡した金貨をポケットから差し出してくる。そして手のひらに載せた金貨を前に出して頭を下げる。
「だ、だから…お返しします…!」
情けない、拒絶して逃げ込んで、投げ渡したカトレアの金貨を俺は…
潰れるほどに奥歯を噛み締めて、俺は少女に向かって深く頭を下げた。
「本当にすまない…色々と…だがその金貨は既にあげたものだ、だからどうか顔を上げてくれ…」
「い、嫌です…!体調悪い人からお金や施しは受けたくありません…!!」
「少し気分が悪くなっただけだから体調は元々悪くない、それよりも貴女の方が…」
「わ、わたしは大丈夫ですから…!」
そうしてお互いにいつまでも頭を下げあっていると路地裏に大きく腹の虫が鳴る音が響いた。俺ではなく、少女からだ。
彼女は慌てて顔を上げて赤面した様子でまくし立てた。
「い、今のは気のせいです…!お腹なんて全然空いてないですし…!!!」
その様子が俺の荒みきった現状にはとてもおかしく見えた。どう考えても嘘に決まっているのに、それでも尚他者を思いやる彼女をどうしようもなく助けたくなってしまった。
それが俺のちっぽけな自尊心を守るためであろうが、しょうもないエゴであろうが、俺はそう思ったのだ。
「ひとまず、食事をしよう。もちろん奢る」
「え、えぇ!?駄目ですよ、そんな…!!」
「いいから、いい飯屋を知っている」
俺は否定する少女の手を引いて、あの日のアストラのように今度は俺が、街の灯りに連れ込んだ。




