67作目 次の日
陽光に照らされ、目蓋の上から優しい光が刺激する。ゆっくりと起き上がって大きなため息を吐いた。家が静かだ、話し声も聞こえず、足音もしない。下の方から微かに聞こえる料理の音と、鼻腔をくすぐる焼いた卵の匂いがする。
階段を下ってリビングに向かうと白衣を椅子にかけてカトレアが朝食を作っていた。こちらを振り向かずに「おはよう」と静かに呟いた。なんとなく元気に返してみようと思ったが喉の奥につっかえて言い淀んだ。クスッと微笑しながら振り返り、割れた目玉焼きが載った皿を食卓に置いた。
「無視とはいい度胸だね」
「そんなつもりはない、おはよう」
「あぁ、おはよう。相変わらず割れてるけど気にしないでね」
「これはこれで案外美味い」
「はは、そう」
珍しく食卓に座り、紅茶を入れたカップをふたつ目の前に置いた。困ったように笑いながら前のめりで机の上で腕を組み、口を開いた。
「間違えてふたつ入れちゃった、飲む?」
「ありがとう、もらおうか」
「良かった、ひとりでふたつも飲めなくてさ」
差し出された温かい紅茶を口に含む。カトレアの入れる紅茶ははっきり言って美味しくはない、紅茶の入れ方など知らないが店やカクエンのようなやり方から幾分か工程を省いているからだと思う。
味のするお湯、とアストラは表現していた。それでも俺と違い、彼は毎朝こぞって入れてもらってそれを飲んでいた。相変わらず美味しくはないが不思議と落ち着く味がした。ほっとするような、そんな感じだ。
「美味しくないでしょ」
「味があっていい」
「あはは、嫌なこと言うね」
「あぁ違う、そういう意味じゃなくてだな…カクエンとはまた違った良さが…」
「いいっていいって、責めてないから。ただ、昔もおんなじこと言われてね、少しだけ思い出しちゃった」
「…そうか」
手のひらに顎を乗せて、彼女は少しだけ口角を上げた。柔らかいセーターを着た腕を伸ばして、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。ゆっくりと吐き出して、煙で顔が隠れた。
彼女の作る味の濃い目玉焼きを食べていると煙の向こうで彼女はゆっくりと話し始める。
「あたしはさ、料理なんて味が濃ければ濃いほど美味しいとは思ってないんだよ」
「にしては濃いめな味付けだが…」
「昔はよく料理もしててさ、それを食べてくれる相手は濃い味が好きだったんだ。まだ若いから味の濃いものしか食べたくない〜ってよく言ってたな」
「そうか」
「そしたらいつの間にかそれしか作れなくなっちゃってさ、いつか文句言おうと思ってるんだ」
顔が上手いこと隠れているせいで表情が見えなかったが、声色は優しかった。かつて誰かに言われたであろう思い出の台詞を思い出して、反復して人に伝える時特有の穏やかで、ゆるやかな声だ。
「あぁそうだ、食べ終わって少しゆっくりしたら制服を仕立てに行くからね」
「分かった」
煙が晴れ、そこにいるのはいつも通りのカトレアだ。少しクマの目立つ、目鼻立ちの整った顔。そういえば人の顔などまじまじと見ることは姉さん以外になかったような気がする。
フォークで切り取った割れた目玉焼きを口に放り込みながらカトレアの顔をじっと眺めていると不思議そうに見返してくる。アストラとはまた違った、困惑を前面に押し出すわけでもなく、余裕のある表情だ。
「あたしの顔になにか面白いものでもついてる?」
「そういうわけではない、ただ…」
「ただ?」
「…美人だなと思っただけだ」
俺がそう言うとカトレアはゆっくりと口角を上げて目尻を垂らして微笑を浮かべる。
「なに思春期?あたしはバルの恋人じゃないよ」
「い、いやそんなつもりではなくて…ただ本当にふと思っただけなんだ」
「ははは、からかってごめんね。でもあたしたち以外にあんまりそういう事を言うのはやめた方がいいよ」
「気をつけよう」
「そうしてね、女の人にとって興味のない人から向けられる好意ほど不快で怖いものはないから」
そう言って彼女は灰皿に煙草を押し付ける。燻る火の音が少しして、最後の煙が立ち昇った。気付けば皿の上にある朝食は全て食べ終えていた。
「ご馳走様、美味かった」
「そう、良かった」
「いつでも仕立てに行けるから、カトレアに合わせる」
「分かったよ、すぐ準備してくるから少し待ってて」
彼女はそう言って机に手を押し出してその場から立ち上がって地下に歩いていった。背もたれに体重を預け、ひとりぼーっと天井を眺めていた。食事を終えたというのに料理人にしか感想を伝えられないというのは寂しいものだと、ふと思った。
別に誰かと事細かに感情を共有することが好きなわけではなかったが、どうやら俺は随分と打たれ弱くなっているようだ。小さくため息をつきながら天井の木目を眺めていた。10分ほどそうしているとカトレアが戻ってくる。「じゃあ、行こうか」と呟いて彼女は真っ直ぐ扉を開けた。
それに着いて行き、街の中を歩いているとこの前とは様相が打って変わっていた。魔物の掃討を粗方終えたことで民衆や冒険者、衛兵に至るまでが安堵し喜んでいるようだった。視界の端に移った教会はまだ忙しそうだったがそれでも活気は戻りつつあった。
町民が話していることが耳に入る限りでは魔物の多くを討伐したのは勇者という事になっていた。更にはドラゴンが討伐されたことで素材収集と生態調査のための部隊が編成されるらしい。首都である神都ミストレアから調査隊員も来るらしく、それはそれは大事になるようだった。
しばらく歩いたあと、大通りにある綺麗な服屋の前でカトレアは止まった。"ファースト・オーダー"という名前の服屋はスーツなどを仕立てる専門の店らしく、正面にあるショーケースには高そうな服が飾られていた。
扉を開けると落ち着いたベルの音が鳴り、スーツを着た店員がこちらに駆け寄ってくる。短く整えられた短髪に眼鏡をかけた上品そうな店員が俺たちを見たあと話しかけてくる。
「いらっしゃいませ、当店のご利用は初めてですか?」
「生まれ変わってからは初めてだ」
「そうですか、では3番目の採寸部屋をご利用ください。すぐに店長が向かいますので」
「ありがとう」
カウンターの奥にある廊下には複数の扉があり、3と書かれた扉を開ける。四方をエメラルドグリーンに塗装された壁で囲われ、大きな鏡が貼り付けられていた。ふたつある椅子に座り、カトレアに先程の奇妙な問答を尋ねた。
「さっきの変な問答はなんだったんだ?」
「合言葉、かな。多分そろそろ店長が来るからすぐに分かると思うよ」
「そう…か」
5分ほど採寸部屋の中で待っていると廊下の方から足音がした。それは俺たちの部屋の前で止まり、ゆっくりと扉が開かれた。そこには灰色の髪をした男が立っていて俺たちを見るとニヤリと笑った。
「どーもどーも、毎度のご贔屓ありがとうございまス」
「あなたがここに来いって言ったんでしょ」
「あはは、まぁそうなんスけどね。あれ?アストラさんは?」
「まぁ色々あってね、とりあえずバルだけで今はいいよ」
そう言うとジャックは察したのか「なるほど」とだけ呟いて俺の採寸を始めた。




