63作目 医者の矜恃
帰る道中、不思議なことに魔物は一切見当たらなかった。嵐が過ぎ去ったあとの大地は悲惨なものだ。森の内部は戦いの後で荒れ果て、所々えぐれた地面や炭化した草木、回収されなかった人や魔物の死体がそこかしこに広がっていた。
森を出て道を進み、仮面を久々に外して外の空気を肺いっぱいに詰め込んだ。新鮮な青草の匂いや街の方から香る営みの匂いの奥に微かな死臭がした。門番に身分証を提示して街の中に入ると、度重なる激戦で疲弊した人々が街を歩いていた。そのせいか街はくたびれた印象を与えた。
カトレアはまだ教会だろうか、途中に寄っていくことも考えたがあの場所にはメイがいて平民と言っている俺がスーツを着て向かうのは不自然だと考えて真っ直ぐ家に戻った。窓から暖かな明かりが漏れ、扉を開くといい匂いがした。
カトレアはソファに座って煙草を吸っており、俺たちに気づくと少々疲れた笑みを見せた。
「おかえり、2人とも。怪我は無い?」
「ただいま、アストラが少し頭を打ったから診てやってくれないか」
「分かった。アストラ、こっちおいで」
アストラはカトレアに手招きされるままソファに座った。ポケットから眼鏡をかけたカトレアが伸びた金髪をかきあげ、おでこや頭部を隅々まで観察する。横に置いてあった荷物から包帯やらの道具を持ち出し、処置を始めた。
消毒液が染みたのか、アストラは目蓋をぎゅっと閉じて痛みにこらえていた。
「ぶつかった拍子に少し切れちゃってるね。しょうがない、かなり痛いよ」
「うぅ…がんばる…」
カトレアがカバンから取りだしたのは爪切りのような道具だった。アストラの頭部にそれを押し付け、両端を握り締めるとバチンと音が鳴った。
アストラの目尻には涙が浮かび、痛みを堪えた声がした。
「いったぁ〜…それなにぃ…」
「ステイプラーっていう傷を簡単に縫合できる道具だよ。昔無理言って作ってもらったのさ、よく頑張ったね」
アストラは頭を抑え、その場に小さく縮こまった。カトレアは優しく頭を撫でたあと道具をしまい込んで思い出したかのように手を叩いた。
「パスタ、作ってあるけど今食べる?」
「たべるぅ…」
「食べたい、手伝うことはあるか?」
「ないよ、盛っておくから着替えておいで」
「分かった」
リビングを抜けて階段を登っている最中アストラは静かに口を開いた。俺の目の前まで急いで駆け上がり大きく頭を下げた。
「あの時言えなかったけど助けてくれてありがとう、迷惑かけてごめん」
「頭を上げてくれアストラ、俺は何も出来なかった」
「でも…」
「いつもお前が助けてくれるように俺も助けただけに過ぎない。それにヴェルドナがいなければ恐らく助けられなかった…だから礼はいつかヴェルドナに伝えてくれ」
「そっか…うん、バルが言うなら分かった。でも本当にありがとう、助けてくれて」
「気にするなと言っているだろう、さっさと着替えるぞ」
アストラの肩を叩きながら俺は先に部屋に戻った。ベッドに倒れ込みたい衝動をなんとか抑えながらネクタイを解き、大きく息を吐き出した。扉の前に座り込み、色々なことが脳に浮かんだ。
ヴェルドナというドラゴンが伝えたかったことはなんなのか、アストラの他にいるもうひとりとは誰なのか。そしてレイズの過去や行方など知りたいことが山ほど浮かんだ。
レイズは何者なのだろうか、あのレベルの強者がそこら辺にいるとは思えない。あれが噂に聞く円卓の騎士というやつなのだろうか。
分からない、ただどれだけこの場で俺が考えても答えが出ないことは分かっていた。スーツを脱ぎ、楽な服装に着替えてリビングに戻った。
アストラはまだいなく、食卓の上にはカトレアがトマトソースを和えたパスタを置いていた。アストラが戻ってくるまでの少しの間、カトレアと話をした。
「教会はどうだった?」
「どうもなにも、助けられる人を助けただけだよ」
「…不躾な質問だった、すまん」
教会は大忙しだった。酷い怪我をしてる人も複数いた、助けられなかった人などもいただろう。それを俺はなんの遠慮もなしに聞いてしまったことを深く反省した。
「謝ることはないよ。いつだってあたしたちは助けられる人しか助けられない。奇跡なんてないんだ、しょうがないさ」
「…そうか」
「あたしたちができるのはいつだって対処療法で、何か起きた後に治すことしかできない。そしてそれは、死人には適応されないんだ」
煙草を灰皿に押付け、静かなリビングに炎が潰える音が鳴った。カトレアの声は少しだけ震えていた。
「…でも、だからこそあたしは目の前にある命を救いたかった。この異能がもう少し便利だったらって何度も思ったさ。けれど今ある力だけではどう頑張っても助けるためにあたしが死んでしまう」
「それは駄目だ、見ず知らずの誰かも大切だが俺達にはカトレアが必要なんだ。異能抜きに、カトレアが必要なんだ」
無力さは痛いほどわかる、自分にもう少しなにかがあればと願う気持ちは苦しいほどにわかる。けれど命の価値は平等じゃない、誰かにとって大切な人が誰かにとっては心底どうでもいい羽虫以下の存在になる。
それはあの日、俺の心に刻まれた新しい価値観だ。だからこそカトレアが、見ず知らずの誰かを助けるために命を落とすなんてことはしてほしくない。
この願いは我儘だろうか、この気持ちは自分勝手だろうか。
きっとその通りだ、だがそれがなんなのだ。自分にとって大切な存在を守ることで手一杯な俺たちが、かつて取り零した俺たちはそんなことしかできない。
マッチを取り出して新しく咥えた煙草に火をつけ、優しくカトレアは笑った。
「…命に貴賎なしという言葉があってね、かつてあたしの大切な人が口癖のように何度も言っていた言葉だ」
「いい言葉だと思う」
「そうだね、あたしもそう思うよ。けどその結果、彼女は命を落とした。優しい人間に対して世界は優しくないんだ。だからあたしはその逆を行くさ、医者としては失格かな」
「助けるために命を落とす医者とやらは…なるほど素晴らしい。褒め称えられ、後世に名を残すべき偉人だ。けれどその医者の家族はきっと苦く苦しい思いを抱くだろうな、俺はそんなの嫌だよ。カトレア」
俺が今言ったことは心からの本心だ。
医者というものが何を指すのかは分からない、きっと回復魔法使いに似て非なる別のものなのだろう。ただ仮にどこの誰か分からない老若男女を救うためにカトレアが自らの命を犠牲にし、英雄になろうとするならば俺はその一切を拒絶する。
俺の周りに唯一残った家族にも近しい大切な仲間のためなら、平気で万人を切り捨てたって構わなかった。
「あたしはそれでも医者だ、医者じゃなくちゃいけないんだ。全てを失ったあの日、この異能が身に宿った瞬間からね。だからできる限りの人間は、助けるよ。それに医者は命を投げ捨てる行為の一切をしない、拾い集め、救い出し、死の淵から引っ張り出すのが医者だからね」
「…優しいんだな」
「やめてくれよ、優しい人間は早死するんだ。あたしのジンクスさ」
「ならきっと、それは間違ったジンクスだ。もしそれが本当なら墓標は壊滅する」
「縁起でもないこと言うもんじゃないよ」
カトレアは少し笑いながら俺の頭を軽く撫でた。ふわりと花の香りがして、心を落ち着かせた。
そのジンクスは当たらないで欲しかった。きっとその通りになるなら俺以外の全ての仲間が早死してしまうから。階段をおりる音がして、アストラがリビングに戻ってきた。
「あれ?なんの話?」
「「なんでもない」」
「えぇ〜?こわ〜」
シンクロした俺とカトレアの声を聞いてアストラが大袈裟に怖がる様子を見せたあと小さくカトレアが笑った。パスタの匂いとともに、隣から微かな花の香りがした。




