62作目 商人の矜恃
アストラがポツポツと語り始めた内容はどうにも信じ難いものだった。ドラゴンについてわかってることは少ない、勇者が出てくるより前はこれといった動きもなく、時折見かけることはあれど勇者以外に倒したなんていう話もない。まぁその勇者も本当の意味でドラゴンを倒したことなどないのかもしれないが。
はるか昔ひとつの国を滅ぼした巨大な黒い竜や、竜の伝説なんかは語り継がれて知識として俺たちの元に還元されている。けれどその生態は誰にも分からない、喋る竜どころか、そもそもドラゴンについてなど詳しいことなど誰も分からないのだ。
ただアストラは他の人よりドラゴンについて何か知っている素振りを見せ、思い入れがあるような口ぶりだった。おまけに今回の竜との対話は特別ななにかが関係してるように思えた。
「ヴェルドナは死んじゃったんでしょ…?」
「最後まで戦って死んだ。俺たちを援護するようにも見えたが」
「そっ…か…」
「ヴェルドナが何を伝えようとしたのかは分からない。それがアストラ、お前にとってとても大事なことなのかもしれない。お前はどうしたい、俺はその全てを尊重する」
しばらく悩んだ素振りを見せたあと、決心したように俺の方を見た。先程まで見せていた悲しみの色はそこにはなく、ただ覚悟が決まったような鋭い金色の瞳が闇夜に光っていた。
「オレは勇者を殺すよ、確かにヴェルドナのことは気になるけどそんなもの後から知ればいい」
「そうか、ならこの後だが…」
「ジャックとレイズの動向が知りたいよね、情報が足りない」
「その通りだ、ひとまず魔物を狩りながらジャックを探そう。動けるか?」
「少し頭がフラフラするけどなんの問題もないよ」
アストラは立ち上がって土埃を払い、拳を握り締める。レイズのいた方に戻るのは悪手だ、俺たちは特に何も話さずひたすらに森の奥へと進んだ。
不思議なことにヴェルドナが死んでから魔物は徐々に鳴りを潜め、先程までの威勢や踏み込みの良さが無くなっているように感じた。この調子であればもう何日かで魔物は消えるはずだ。
そこかしこで聞こえる戦闘の音も徐々に静かになり始め、冒険者たちは街に戻っていくのを俺とアストラは木の上に登って観測した。
「冒険者は戻って行ったみたいだけど相変わらずジャックはいないね」
「どうする?俺たちも戻るか?」
「いや、もう少し探してみよう」
「分かった」
木の上から飛び降り、真っ黒い森の中を歩こうと足を一歩前に出した途端何者かに肩をとんとんと叩かれる。刀を振り抜き、首元に当てようとすると俺の手首を滑らかに掴み、勢いを完全に殺したジャックが姿を現した。
「…ジャックか」
「驚かしてすいません、なにか変わったことはないっスか?」
「…」
「え?なんかあったんスか?」
俺とアストラはどこまで話すか決めていなかったことにそこで気がついた。ジャックは多少信頼はできる、ただ完全に信用していいことなどひとつも無い。"英雄の墓標"に入っているならまだしも、あくまで協力関係に過ぎない。
アストラの重要な秘密に繋がるであろうものはそう簡単に口にすることなど出来なかった。
「まぁいいっス、お二人共が無事であれば。もう戻っても大丈夫っス、お疲れ様っス」
「そうか、なら俺たちも戻るとする」
「お疲れ様、ジャック。助かったよ」
そう言って俺たちはジャックに仮面を返そうとすると彼は頑なに拒否し続けた。
「上げたものを返してもらうのは商人として恥なんで持っててください、それでは失礼するっス」
「あ、おい」
ジャックは音もなく消え、あとには痕跡などなかった。草木にべっとりとこびり付いて離れない血液を残して。
彼について色々と聞きたいこともあるが今はひとまず家に帰ろう、アストラの頭のことも心配だしちゃんとカトレアに診てもらわなくてはならない。
気付けばかなり奥の方まで来てしまった、戻るのは時間が多少かかるがレイズに見つからなければ大丈夫だろう。
ジャックは森を一瞬で抜け、そびえ立った崖を切り出して作った仮の拠点に戻った。壁に寄りかかってその場に座り込むと大きな血の跡が筆で書いたように石壁に張り付いた。
手のひらで患部を抑えるとインクがたっぷりと染み付いたタオルに触れたように血で覆われた。荒い息を整えながらその場で目を閉じる。この程度の傷は彼にとって致命傷にはなり得ないと分かってるからこそ、慌てず行動できたのだ。
目蓋の裏には2つの巨大な鉄の塊を乱暴に振り回す銀髪の聖女と黒髪の年端の行かない少年が行使するありとあらゆる魔法と目にも止まらない剣閃がこびり付いていた。
「聖女と勇者を食い止めたの…高くつくっスよ…」
ジャックはあの場で向かってくる勇者と聖女の気配を誰よりも早く察知していた。もし辿り着けば戦場は泥沼化し、最悪の場合計画全てが水泡に帰するどころか己の命までも失われるかもしれない。
大きく深呼吸し、胸に力を込める。胸部にできた大きな切り傷の周りを筋肉の壁が盛り上がり、黒く濁った血を大量に吐き出したあと血流が止まった。痛みを堪えながらなんとか部屋の奥まで進み、ボロボロのベッドに倒れ込んだ。暗闇の中でジャックは考える。
自身の力を過信していないジャックが聖女と勇者相手に大立ち回りできたのは、自身の持つ異能を誰よりも上手く使えると確信していたからだ。
「ホント…遺物様々っスねぇ…」
微かな灯りすらない真っ暗な闇の中で、朧気な輪郭になった腕を見る。かつて自分が触れた、円卓の騎士の遺体から受け継いだこの力は、上手く使えたものはほぼいない。
分かりやすい暴力でもなければ、強力な行動を取れるわけでもない。ただほんの僅かに可能性を広げるだけの異能だった。
自身の腕すら朧気なのは異能の効果が高まり、体に馴染んできた証拠だった。このまま使い続ければ自分の末路など容易に想像が着く。
「ワタシのことを覚えてもらうために、明日話してみまスか…」
暗闇に吸い込まれた独り言は反響することもなくただ闇夜に消えた。自身がこの場にいるという確信すらつけないまま、ジャックは眠りについた。




