58作目 最悪の事態になる前に
小さな村の付近にある暗い荒れ果てた森の中で一人の男は長いこと手を合わせていた。目の前には"深紅の双星"と彫られた墓石があり、その下にあるふたつの名前は削られて見えなくなっていた。
「この前お前に似てるやつが温泉にいてさ、思わず告白しちまったよ。お前が生きてたならあのくらいの年になるかな、とんでもねぇ美人だったよ」
懐から安酒を取り出し、長らく吸っていない煙草を取り出して火をつけた。
「お前にやめろって言われてからしばらく吸ってねえけど今日くらい許してくれや」
返事は返ってこないと知っていながらも無精髭の男は墓の前で何度も話し続けた。久しぶりに吸うであろう煙草は不愉快なほど煙が喉に張り付き、酒に焼けた喉を刺激した。
穏やかな顔つきで墓を見つめる男は耳に入る早馬の足音に気がついて一瞬刀に手をかけた。けれどその足音が知り合いの愛馬の足音に酷似していることに気がつき、手を離す。
やがて暗く深い闇の中からひとつの小さな灯りが見え、その早馬に跨っている騎士を見上げて男は問いかけた。その切羽詰まった表情は嫌な予感をさせるに充分だった。
「クラストじゃねぇか、どうした?そんな顔で」
「久しぶりだなレイズ、端的に言う。ドラゴンが出た、助けてくれ」
クラストと呼ばれた騎士が馬から降りてカバンをレイズに放り投げて頭を下げた。
「そうかい、場所は?すぐにでも向かう」
「学園都市だ、ドラゴンだけじゃなく進化個体の魔物も複数いる。今は街にいる冒険者が何体か倒してくれてはいるがそれでもジリ貧だ」
「勇者と聖女は?ババアだっていんだろ」
「2人は湯治で街にいない、シェンズ様は都市防衛の要だ。それにドラゴンに魔法が効かないことはお前が一番知っているはずだろ」
「ハッ…いいぜ、すぐに向かう。先に街に戻ってな、俺もすぐに向かう」
「すまない、助かる」
クラストはすぐに馬に乗り直し、再び闇の中に消えていった。レイズは振り返って再び手を合わせたあと、酒を墓に置いて街に向かって走った。刀を握る手は強まり、奥歯が削れるほど噛み締めた。
「…また出やがった」
試験が終わってから3日経った。俺たちは校門の前に張り出された掲示板を見ていた。その中には数字が張り出されており、各クラスごとに番号が張り出されていた。俺の番号である399番はAクラスの下の方に書かれており、合格していた。しかしアストラの番号をどれだけ探しても見つからず、戸惑っているとアストラが俺の肩を指で突いて困ったように笑った。
「…オレ特待に受かってる」
「本当か?」
慌てて特待クラスを見てみると十数人の番号が書かれておりその中に400番が入っているのを見つけた。アストラはその場で頭を抱えて「やべー、どうしよー」と何度も呟いた。ここだけ見れば落ちているように見えるが実際は特待に受かっているのだから笑えない。
特待クラスは唯一他クラスと違い全ての学年が統合されていて別の実戦的な授業を受ける特殊なクラスだ。つまり勇者と常に授業を受けることになるということだ、これは俺たちにとって失敗を意味する。同じクラスになればそれだけ顔を合わせ、交流することになるからだ。
「とりあえず帰ってカトレアに報告しよう、なんとかなるかもしれん」
「うん…完全に失敗だぁ…どうしよぉ…」
自責の念から半泣きになりそうになるアストラの手を引いて学校を後にした。街は試験が終わり合格発表も終わったというのに相変わらず騒がしかった。強力な魔物が多く森に跋扈し、学園都市から出ることは困難になりつつあった。
冒険者は忙しそうにギルドに向かい、逆に街に戻ってくる冒険者は傷や血にまみれ、討伐証明である部位が入っているであろう血まみれの袋を手に持っていたり、死んだ目で仲間の遺体の一部であろうものを手に抱えていたりと散々なものだった。
学園都市専属の回復魔法使いや学園専属の魔法使いは連日教会の臨時治療所で夜遅くまで働いていて、街の騒がしさは悪い方向に徐々に進んでいった。家に戻るとジャックとカトレアがなにやら神妙な顔つきで話し合っていた。
「おかえり、どうだった?」
「俺はAクラスで合格だ」
「オレは特待になっちゃったよ〜」
「そう、良かったじゃない」
「良くないよぉ〜、特待になっちゃった〜」
「使っている人なんてあまり見ないけど下のクラスに落として入ることもできるから入学式のときに受付に言えばなんとかなるよ」
「ほんと!?」
「うん、教師に少し目をつけられるけどね」
安堵した表情でその場に座り込み、「よかったぁ…」と腕に顔を埋めてアストラは呟いた。
「ところでなんでジャックがこんなところにいるんだ?なんかあったのか?」
「それがね…」
「ワタシが話しまスよ」
カトレアの口を手で遮り、ジャックはポツポツと語り始める。
魔物が思ったより強力かつ、何段階も進化しているらしく人手も足りない学園都市は半ば手詰まりの状態になっているらしい。勇者や聖女は湯治とやらに出かけていてしばらく帰ってこなく、常駐している神聖国の騎士や冒険者では現状対処が難しいとのことだった。
「問題なのは対処できないことによって王国から円卓の騎士が複数派遣されるかもしれないということなんスよ」
神聖国が抱えている最強の個人である聖女がいない上に、最強の魔法使いの1人であるシェンズ・バリロントはドラゴンに対して無力なことが災いして、ドラゴンという未知数の暴力に対して後手に回っているらしい。
魔物の複数進化の原因は未だ分かっておらず、ドラゴンが近くの山に居を構えている以上国に応援も頼めず、陸の孤島として孤立してしまっている。定期報告がなければ国から使節団が派遣され、その状況によっては王国に円卓の派遣を申請するらしい。
「アレンがここにくればもしかしたら全ての任務がパァになる可能性だってあるっス。情報統制しようとも思ったっスけどそうしたらこの街にいる人全てが危険になるのでそれもできないんス。なによりもう1人この街に騎士が派遣されてるのが気がかりっス、あまりに早すぎる」
「…しょうがない、バル、アストラ準備できる?」
「もちろんだ」
「すぐにするよ」
眉間に皺を寄せて、吸い殻が山盛りになった灰皿に何本目かの煙草を押し付けてカトレアは俺たちに指示を出す。ふたりの間を俺たちは通り抜けて自室に向かった。白いワイシャツに袖を通してネクタイを締めてジャケットを羽織る。腰のベルトに刀を差し込んで黒い手袋を付けてコートを着た。
階段を降りてリビングに戻るとジャックとカトレアは少し口論をしているようだった。
「危険すぎるっス、身バレや最悪騎士との戦闘になる可能性もあるんスよ」
「分かってる、けどこのままじゃこの街が崩壊するか、それでなくても円卓全員と勇者が街に来る可能性だってある。それが一番まずいんだ、最悪を想定して今できることをしないと…」
「なら今すべきは動かないことじゃないんスか?」
「だからこそ今動かなきゃならないんだ、分かるだろ…ジャック…」
「私情の持ち込みは高くつきまスよ…」
「必ず払おう、2人を頼む。揺籃から墓場まで…だろう?」
「はぁ…しょうがないっスね…」
俺とアストラがリビングに戻ってきたのを2人が確認するとカトレアは苦虫を噛み潰したような顔をして拳から血が出るほどに握りしめていた。ジャックは相変わらず薄ら笑いで俺たちに近づいてくる。
「じゃあ2人とも行きましょうか、ジャックさん主催の地獄のツアーへ」
「あぁ、楽しみだ」
「オレたちにとっちゃピクニックだよ、早く行こう」
ジャックが先頭に立って扉を開けて俺たちもその後を着いていく。家を出ようとしたときカトレアが何度も叫んだ。
「2人とも本当にすまない、なにがあっても生きてたら助けるから必ず戻ってきてくれ…!!」
「戻ってくるからあのパスタまた作って待っておいてくれ」
「それいいね、オレもまた食べたいや」
「あんなのでよければ沢山作ってやるさ…」
「行ってくる」
「行ってきまーす!」
扉を閉めると蝶番の音がした。昼下がりにしてはやや空が白んでいるのが気になった。
元気に挨拶をした以上ちゃんと戻ってこなければならない、だが俺とアストラなら大丈夫だろう。ルーティンと化した拳合わせを門の前でして街を出た。




